第6話 雨
「わたしは
「──僕は、
「よろしくね」
「ところで、どうして泣いてたの?」
「えっ」
僕は
「──なんでもないよ。なんでもない」
あまりに慌てて拭いたせいで肌がひりついた。
「隠さなくたって笑わないよ。私も毎日泣いてるもの」
「きみも一人なんだね」
「うん。みんなあっちに行っちゃった」
「──そうだね」
僕はまた空っぽになった街に目を向けた。みんなあっちにか。その何気ない言葉が、氷塊をじんわりと溶かすお湯のように、僕の心にゆっくりと染みわたっていく。
「ありがとう」
「私はずっと、あなたみたいな人を探してたの。この数ヵ月、毎日ずっと、色んな町を歩いた。だけど、誰もいなかった。私は、ほんとに一人になったんじゃないかと、不安で不安で。何度も諦めかけた。でも、諦めなくて良かった。今日あなたに会えたから」
「
「うん?」
「どうして泣いてたの?」
「あなたのことが知りたい」
僕はうなずいた。その気持ちも僕と同じだった。
「きみがどうして、歩き回っていたのかを教えてくれるなら」
「もちろん」
僕は今日あったことと、母さんのことを話した。
『ばからしい』とか、『そんなこと忘れろ』とか、『AIを使えば会えるだろ』とか、『理解できない』、『普通じゃない』、『変わり者』、『いかれてる』、『どっか行け』、『消えろ』、『関わるな』。そんな言葉を投げかけられることもなかった。むしろ、僕の心の奥の奥、暗澹とした影の底まで理解してくれているようにさえ見えた。
話し終えたとき、彼女は「辛かったね」とただ一言、そう言ってくれた。憐れみでも、軽蔑でもない、共感の眼差し。それだけで十分だった。
「
「
僕はふっと小さく鼻で笑った。自分で言っておいて、自分がおかしかった。
「そうだね。その通りだよ。じゃあ改めて」
僕は何となく居ずまいを整えた。
「
「実は私も、昔はみんなと同じで、あっちの世界に入り浸っていたの。小さいときに、目の前で両親を殺されてね。殺したのは、現実とメタバースの区別がつかなくなった人だった。錯乱して、包丁を握って暴れ回って、そいつは私に襲いかかった。両親が必死に抵抗して私は助かったけど、二人は戻ってこなかった。目の前が血で真っ赤だったことをよく覚えてる」
「私は現実を受け入れられなくてね。メタバースの中で毎日何時間も、ご飯も食べないで、お父さんとお母さんと一緒に過ごしてた。あっちの世界の二人は、私が望んだことは何でもしてくれた。甘えたいときに甘えられたし、遊びたいときに遊べたし、怒られることも無かった。すると段々、お父さんとお母さんは死んでない、生きてるんだって思うようになったの。むしろ、こっちの方が良いとも思ってた……。
そして一か月も経つと、二人の居ない現実世界が嘘で、二人の居るメタバースが本物なんだって思い込むようになってた。
バカだよね。現実の区別がつかなくなった奴に両親は殺されたのに、その私が区別つかなくなったんだから」
僕はそんなことないと言おうとしたが、さっき
「そんな私を救ってくれたのが、お兄ちゃんだった。お兄ちゃんって言っても本当の兄妹じゃなかったけどね。お兄ちゃんは現実世界で廃人同然だった私をお世話して、何度も説得してくれた。ご飯を持ってきて食べさせてくれたり、私に付き添って寝てくれたり、トランプで遊んだり、マジックを見せてくれたり。
そしたらそのうち、なんて言ったらいいのかな……。メタバースでお父さんとお母さんと握った手が冷たかったの。体感で言えばもちろん温かかったよ。でも、その中身というか、芯の部分に冷たさを感じちゃった。途端に私は怖くなった。その日からメタバースにも行かなくなった。お兄ちゃんが近くにいて、教えてくれたおかげだと思う。だからとっても感謝してる」
「お兄さんはどうなったの?」
「あっちの世界に行っちゃった。私にあんなに説得してくれたのにね。何でだろうね。最後には『お前うざいよ』って言われちゃった。
私、お兄ちゃんのことが好きだった。だから、それを言われた後、しばらく立ち直れなかったな。ずっと泣きっぱなし。だけど、周りには誰もいなかったから、慰めてくれる人もいなかった。一人で泣き続けるのがあんなにも辛いって、初めて知った」
「でもね、このままじゃダメだって思った。あの手の温もりを忘れてしまうのだけは嫌だった。だから探すことにしたの。私みたいに、この世界からうざいって除け者にされた仲間を」
僕も立ち上がった。そして、手を差し出した。
彼女の手は温かった。
「これからよろしくね、
「うん、よろしく。
僕らは互いに笑い合い、見つめ合った。何もしていないのに幸せだった。
「屋根の下に行こうか」
「そうね。もうこんなにずぶぬれだけど」
僕は建物の方へ移動しようとしたが、真渚は動こうとしなかった。
「どうしたの?」
僕はその黒い行進に、強い胸騒ぎを覚えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます