第4話 海
「ほら見ろよ、ウミガメだ。砂浜を登ってくる」
僕らはビーチにいた。僕ら以外誰もいないプライベートビーチにパラソルを立て、向かい合わせに座っている。ビーチは、時々ヤシの木を生やしながら、見渡す限り永遠に弧を描きながら続いていた。
「向こうの世界では何をするにも運と時間が必要だ。分かるだろ。でも、ここでは願えばいい。たったそれだけでこうやって現れる。完璧な恋人も、友だちも、兄弟も、ペットも、何でもだ。理想を願うだけでいい。簡単だろ」
ウミガメは懸命にその短いヒレで砂をかいていた。
確かにそうだと思う。現実では願ったところで何も手に入らない。でも、だからこそ得られるものがあるのだと思う。それとも、変わりゆく価値観を受け入れられない自分を、正当化したいだけなのだろうか。
何かが足をつついた。下を見ると、いつの間にかウミガメが足元までやってきて、足首に顔を押し当てている。僕を見上げるそのつぶらな瞳は、確かに本物とよく似ていた。頭を撫でようかと手をテーブルの下に下ろし、途中で止めた。
「──お前、動物好きだったよな」
「好きだよ。でも、本物の動物をだ。これは……、
「不満かよ」
「不満じゃないさ。でも……」
僕は言葉に詰まった。自分でもなんと言葉にしたらいいか分からなかった。限りなく本物に近いもの、知らなかったら本物だと信じてしまうほど似ているもの。それでも、自分はそれが本物でないことを知っている。自分の想像の域を出ない予定調和に動くそれらに対し、どう接すればいいのか。この世界で母さんと会った時もそうだった。母さんは僕がかけて欲しい言葉を一言一句違えずにかけてくれたけど、それ以上の言葉も、それ以下の言葉もなかった。母さんはあくまでも僕らの記憶と記録でしかなかった。母さんが胸の内で抱えていた喜びも悲しみも苦しみも、僕に対する想いも、その言葉からは何一つ伝わってこなかった。
ああ、これはただ言わされているだけの人形に過ぎないんだなと、そう思ってしまったあの時から、僕はこの世界が好きになれなかった。
僕が黙りこくっている間に雨が降り出していた。遠くでは雷鳴が轟き、サイクロンが真っ黒の渦を巻いていた。それでも、
「お前に、ずっと言いたかったことがある」
「なにを?」
「もう俺と関わらないでくれ」
その直後、雷がパラソルを直撃して焼け焦げ、テーブルは粉々に砕け散る。覆いが無くなり、大量の雨粒が僕らの顔に吹きすさぶ。
「──ちょっと待てよ。
僕は
「もう我慢の限界だった。ほとんどの人間は、こっちの世界に来て、満喫しているのに。お前は向こうの世界で会おうだなんて言い出す始末。未だにあんな時代遅れの箱を使って俺に連絡してくる」
「何もかも自由にできる。ここはそう言う場所だ。なのに、お前はまったく自由にしないばかりか、ここを否定する。ここはお前みたいな変人には相応しくない。
お前は友達だった。だから、仕方なく付き合ってやってた。だけどな、お前みたいな奴と付き合ってても何一つ楽しくなかった。お前から連絡が来るたびに、俺のこの完璧な世界の一部が崩れ去った。お前がこの世界で唯一のストレスだ」
「もう二度と、俺に連絡してくるな」
僕は放心状態のまま、振り返ると別の電車が扉を開けて待っていた。僕は体が動くに任せて、電車に乗り込んだ。電車は
気が付くと、目の前には薄暗い白天井、体には浮遊感があった。上体を起こすと、口元に一つの雫が垂れてきた。無意識に舌がその雫を舐めとった。それはとても、しょっぱかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます