第3話 潜水

 寝室へ移動し、メタリックな銀白色のベッドに横になった。ベッドは僕の動きに合わせてグニョグニョと形を変え、まるで死海の湖面に浮かんでいるような心地だった。


 このベッドの本当の目的はただ単に寝るためだけにあるわけではなかった。もちろん体にかかる負担がほとんどゼロで、寝具として最高の性能を誇っていたが、それは付属的な性能に過ぎなかった。本来はあちらの世界、メタバースに行くためのツールだった。

 この装置を起動し、その上で眠ればメタバース空間へと移動できる。その空間は、全てがAI(人工知能)によって管理されている。サービスが開始された当初は、時間と空間という制約から解き放たれ、自分の好きなことを、好きな時間に、好きな人と、好きなだけ、というのが売り文句だったそうだ。戦争に経済危機、パンデミックと先行きの見えない現実に、そこから逃げ出したいと思っていた人々がこぞって利用し始めたのは、想像に難くない。利用者の中には愛する者たちを亡くした人も多くいたが、メタバースには彼らを虜にしたものがあった。いや、というよりも


 最新のAI技術は死者を蘇らせたのだ。死者たちは、家族にしか分からないほんの些細な行動の癖や、表情の使い方、言葉の間など、完璧に生前のままだった。遺族たちは愛する者が本当に蘇ったと歓喜した。世界大戦が始まり、戦死者が増えるにつれて口コミは広がり、利用者も右肩上がりで増え続けた。


 その時はそれでよかった。戦時下の心の支えになってくれたからだ。それでも、五年前、戦争が終わり、統一政府が樹立され、AIが実権を握った後も、その流れは止まらなかった。むしろ、加速した。一時は、地上を満喫しようと旅行がブームになった。しかし、それもすぐに下火になった。メタバース空間では一瞬で現地に着き、他の観光客に景観を阻害されることもなく、何より疲れることがなかったからだ。そんな空間に慣れきってしまった人々にとって、現実は煩わしいことだらけだった。


 そこにさらに拍車をかけるように、『DaiVEダイブ』というサービスが開始された。この名は、『潜る』という意味の英語、『Dive』と人工知能、『AI』を組み合わせた造語だった。メタバース空間に入ることを潜ると表現したらしいが、確かに言い得ている。

 このサービスはこれまで数多存在していたメタバース空間を一つに統合したものだった。これによって、人類はもう一つの地球を生み出し、本格的に移住を始めてしまった。今やほとんどの人類はそこへ移住し、彼らはメタバースが本当の地球だと主張しているらしい。僕はそれを聞いたときほど、強い孤独を感じた日はなかった。


 僕は薄暗い白天井を見つめ、目を閉じた。そして、手の平でベッドを二度叩いた。次の瞬間、僕は真っ白な空間に立っていた。目の前には駅と広場が、宙に浮かんでいるように建っていた。積み木を適当に重ねたような形の駅では何本もの電車が白い空を駆け、出たり入ったりを繰り返している。

 駅前の円形広場には多くの人がいた。人といっても、人の姿をしているのは半数ほどで、残りの半数は人ではなかった。ネコやイヌ、ワシ、ヘビ、イルカなどの動物、果ては、小さな虫までいた。それでも彼らはまだいい方で、帽子やゲーム機、お菓子の箱、豚の貯金箱、鉛筆に、ただの四角や三角の図形、紋章、星座なんかもいた。この空間では文字通り自分のなりたいものに何でもなれる。


 僕は突っ立ったまま広場の入り口を見上げると、そこには『ダイバーシティへようこそ』と看板が掲げられていた。『DaiVEダイブ』の利用者、『DaiVERダイバー』の街(City)、『DaiVERCITYダイバーシティ』。もちろんこの街を見て明らかなように、多様性という意味の『Diversity』もかかっている。


 ぼうっと二足歩行のネコとぬいぐるみのネズミが手を繋ぎながら、街に入って行く様子を眺めていると、背後から声をかけられた。


野空のあ


 振り返るとそこには人の姿のかいが立っていた。僕はそのことにまず、ほっとした。前に会ったときは羊の姿だったせいで話に集中できなかった。相槌される度に、「メ~」と言われたら、話しどころではない。僕は思わず笑みがこぼれた。


 今日はちゃんと楽しく話せそうだ。

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