第四話「愛よ」

「……どうしたのお母さん?」

「なんで、なんで生きてるの…?これは、夢…?」


「ちょっと、」


「あぁ、そうだわ。そうよね。私本当に具合悪くなっちゃたみたいだわ……」


「お母さん!!」


ーーバチン!!


「え……?」

「あ………」


ユキは、いつの間にか母の頬を強く張っていた。


その証拠に、母の頬の一部に薄く手型の赤みが差していた。

急な展開に母は呆けていた。


「ーーごめん!大丈夫!?ごめんねお母さん、わざとじゃないの……

 セツさんのこと馬鹿にしたと思っちゃって、つい……」


ユキは大変なことをしたと思い、必死に謝る。


「……ううん、大丈夫。お母さん大丈夫だからね、ユキ」


ーーだが、母はユキを責めず優しく抱き留めた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「良いのよ、ユキ。ちょっぴり痛かったけど、お陰で正気に戻れたわ」

「ぐすっ……ひっく」

「ほら、もう大丈夫。何も心配しなくて良いのよ」


ユキは、久しぶりに母の強さを思い出した。

改めて「こんな対応ができる人になりたいな」と思った。



ーー数十分後ーー



「………」


「ーーさて、じゃあ聞くけど。あなたの名前は「井上セツ」で良いのよね?」

「…………(コクリ)」


「……そう、なのね」

「……お母さん、何かこの人について知ってるの?」


ユキが問う。母は一瞬迷いながらも、意を決してユキに真実を告げた。


「知ってるも何も……この人はあなたの父親よ」


「………え?」


思わずユキは実の父セツの方を向く。

セツはその視線から逃げるように、横に顔を向け目を逸らした。


「…あなたが生まれる前、スランプに陥っていた私を

 ここに引っ越してきたこの人が救ってくれたのよ」


母は目を閉じ、過去を今に呼び覚ますように語る。


「出会った当時は『生意気な年下』だと思っちゃったけど、この人は落ち込む私に

 無責任に励ましの言葉を言わず、行動で示した。それがすごく嬉しかった」


乙女のような語り草に、セツが少し照れていた。ポリポリと頭をかいている。


ユキは今までの腹いせに「もっと恥ずかしがれバーカ」と悪態でも

つきたい気分だったが、こんな母を前にそんなことは言いづらかった。


「それで何年か経ったある日、あのゴミ捨て場で急に抑えが効かなくなっちゃって。

 年甲斐もなく、号泣したの。それで、セツさんがいつも通り私に何も言わず

 ぎゅっと抱きしめてくれて……その後「結婚してください」って言ったの、

 婿むことして…あのききほど家が良家で良かったと思った日は無かったわ」


「……え?私どこか聞き飛ばした?」

『大丈夫だ、ユキは全部聞いてた。この人がぶっ飛んでるだけだ』


「あらやだ、寄ってたかって私をけなして……しくしく」


「いや違うよ」

「……(フルフル)」


そう答えると母はつたない泣き真似をやめて微笑んで言った。


「……ふふっ、それにしても本当に仲良くなったのね。さすが血の繋がった親子♪」


「…………」

「…………そういえば、お父さんは死んだって聞かされたんだけど」

『事実だ』


父が書いた三文字を一瞥いちべつして、ユキは眼を鋭くして睨みつける。


「……じゃあ、何?「なんか知らないけど現世に帰ってきましたー」って言うつもり?」

「……………」



「多分、制限時間があるのでしょう?違う?」

「………(コクン)」


無言の空気に、母の言葉が鋭く刺さった。

だが、ユキには新たな疑問が生じる。


「え?なんでお母さん知ってるの?私も知らなかったのに」


「だって……もし無制限ならセツさんは真っ先に私たちの家ここに来てると思うの。

 でも違うってことはーー私たちに『別れ』を経験させたくなかったんでしょう」


「本当、お父さん?だったらそんなの勝手すぎるよ。良い加減にして!」


ーーパン!


母が手を鳴らす。


「ユキ」

「……」


「確かに、お父さんはイケズでスケコマシな人だわ」

「……(ブンブンブンブン)」

「あなた、首振らない」

「………(シュン)」


「お父さんも本当は私たちと会いたかったはずよ。でも、故人が生人に影響を

 与えるのは良く無いと思って他人のフリを続けたと思うの」


「……どうして、そんなに詳しく分かるの?」


「決まってるじゃない、『愛』よ。一度もこの人のしたことを忘れたことは無いわ」

「「………………」」


母はそう断言した。


その言葉には、文字面の意味以外にもずっと深い何かが感じられて。

しばらくの間、沈黙が場を制した。



ーーパン!


「……はい!じゃあ積もるここら辺にしましょう?折角の機会なんだもの。

 うんと楽しまなくっちゃ損よ」


もう一度母が手を鳴らし、空気を強制的に切り替えようとする。


「お母さん………」

「………」


ユキは母の言動に呆れていた。

父は「君も似たようなことしてたぞ」と言いたそうにしていた。


無論、どちらもはっきりとは言葉にしなかったが。


「さっきも言った通り、もう長く無いんでしょう?」

『もって明日の日没だ』


「…!!」


「……ユキ、もう多くを語る必要は無いわね?」

「……(コクン)」


最後の家族旅行をしましょう。



……お父さんとの、お別れの為に。








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