14 猫と記憶

 新居での、のびのびした暮らしもすっかり定着した。

 バイトに行くのは遠くなったが、元々そんなに入っていなかったし、歩くのはいい運動になった。近くのスーパーの品揃えもよく、酒も充実していたので宅飲みがはかどった。


「兄さん、飲みすぎ。ペース落として」

「明日は俺も瞬も休みなんだしいいじゃねぇかよ……」


 その夜、氷も買って、即席ハイボールを作り、映画を流しながらどんどん飲んでいた。潰れたら瞬がベッドに運んでくれるだろうし気にすることはない。


「瞬も飲めって」

「もう……僕はいくら飲んでも大丈夫だからいいけどさ……」


 しらすも起きていて、俺たちの足元にまとわりついていた。俺はしらすに手を伸ばした。


「お前も人間だったら酒飲めたのになぁ」

「どのみち、しらすはまだ子供だよ」

「今ってしらす、人間に換算するとどのくらいだ?」

「えっとね……もうすぐ一歳だから、高校生くらいじゃないかな」


 俺はしらすを抱き上げた。


「可愛いなぁ、可愛いなぁ、誕生日は何が欲しい? んっ?」

「兄さんったら、すっかりしらすに夢中だね」


 それから、しらすを抱き締めて毛の匂いをかぎまくったことは覚えているのだが、気付けば二階の寝室のベッドの上にいた。隣で瞬が安らかな寝息をたてていた。


「頭痛ぇ……」


 薬を飲むのは嫌いだから水を飲んで何とかしよう。俺は一階におりてミネラルウォーターをガブ飲みした。時間を見ると朝の五時。変な時間に起きてしまったな。

 そのまま眠れず、ベッドに戻って瞬にくっつきながらスマホをいじっていた。いつの間にか、しらすの日用品は俺がネットでまとめ買いするようになっており、トイレの砂なんかをカートに入れていった。


「ん……」


 瞬が薄く目を開けた。


「おはよう瞬。今……七時くらいだけど。起きる? もう少し寝とくか?」

「えっ……誰?」

「はっ?」


 瞬は上半身を起こし、きょろきょろと周りを見た。


「ここどこ? 何でこんなところにいるの?」

「何言ってんだよ瞬」

「あれ……何も……思い出せない……」

「なんだよ、記憶飛ばすとか珍しいな。そんなに飲んだのか?」


 瞬はおずおずと俺の顔を覗き込んだ。


「ごめんなさい……本当に、誰ですか?」

「おい……俺のことわかんないのかよ」


 ゆっくりと頷く瞬。昨夜のことは俺もさっぱり覚えていないのだが、まさか瞬が俺のこと忘れるなんて。


「いいか、俺はお前の兄さんだ。一緒に住んでる。猫もいるぞ」

「猫……?」

「ん……会えば思い出すか?」


 俺は瞬を一階の和室まで連れてきた。


「ほら、これがしらす。お前が飼いたいっていうから家族になったんだぞ」


 しらすは起きていたので、瞬に抱っこさせた。


「うん……可愛いけど……まるで思い出せないです」

「マジか」


 それから、洗面所に行って鏡を見せたのだが、自分の顔すらよくわかっていなかった。ぺたぺたと頬を触り、首を傾げていた。らちがあかないので、とりあえずベッドに座って向かい合った。


「僕、これからどうすれば……」

「病院か? デカいとこ」

「というか、本当に僕の兄さんなんですか? 全然似てないですけど」

「ああ、腹違いだし……」


 そして、経緯を説明しようとしたのだが、あまりにもややこしいので詰まってしまった。


「うん、あれだ。写真見ろ写真」

「はい……」


 俺はスマホを取り出し、瞬に次々と見せていったのだが、うっかり昔のところまでタップしてしまって、瞬が高校生時代の隠し撮りのところまできてしまった。


「えっ……何ですかこれ」

「あ、いや、その」


 ただでさえ今の瞬は警戒している。ここで正直にストーカーしていたことを告白すべきか。いや、ダメだろうな。俺はいつも通り強硬手段にでることにした。


「あーもう……身体は覚えてるだろ! 一発やるぞ!」

「な、何するんですか!」


 無理やり瞬を組みしだいた。


「やだっ! やだぁ!」

「うん……昔に戻ったみたいだな……燃えてきた……」


 やっぱり身体はそのままだったようで、いい反応をしてくれたので、ついついやりすぎた。終わると瞬はぐったり、目を閉じて深く息をしていた。


「おーい、瞬、大丈夫か?」


 つんつんと胸をつついてみたのだが、すっかり眠ってしまっているようだった。俺は毛布をかけて髪を撫でた。それにしても、瞬の顔はいつまでも見飽きないな。まつ毛が長くて。頬がほんのりピンク色で。オッサンになってもきっと可愛いままなんだろうな。

 少しして、瞬が目を開けたので、優しく声をかけてやった。


「瞬。思い出したか」

「あれ……兄さん?」


 瞬は自分の手を目の前にかざし、閉じたり開いたりした。


「あっ……思い出してきた……」

「おお、良かった!」

「兄さん! 記憶の戻し方が強引すぎるんだよ!」

「戻ったんならいいじゃねぇか!」

「良くない!」


 そして、瞬のパンチが頬に飛んできたのでやり返して、激しい殴り合いに突入してしまった。なんでこうなるんだろう。記憶、戻らないままでもよかったかな……。

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