10 猫と一泊

 瞬に頼まれ事をされた。実家に泊まるのでしらすを見ていてほしいということだ。俺もしらすの扱いに慣れてきたし、軽い気持ちで引き受けた。


「兄さん、エサはこっち。もう小分けにしてあるから、袋の中全部あげていいよ。くれぐれも勝手におやつ与えないでね。太っちゃう」

「わかってる、わかってる。父さんによろしくな」


 さて、暇だしBLでも読もう。俺はこの日のためにマンガをいくつかスマホにダウンロードしていた。ベッドに仰向けになり、瞬の残り香をかぎながら、マンガに没頭した。しらすは自分のベッドで寝ているようだった。


「うっ……ぐすっ……」


 兄弟が離別を選ぶマンガで不覚にも泣いてしまった。辛い。辛すぎる。俺たちと違って、同じ家で育った兄弟の設定だったが、それでもガッツリと感情移入してしまった。


「しらすぅ!」


 俺はしらすを抱っこしようとしたが、するりと抜けられてしまった。


「しらす……ちょっと心細いんだよ、ナデナデさせてくれよ」


 つーんと尻尾を立て、しらすは部屋の隅に行ってうずくまった。


「ケチ……」


 動物は飼い主に似るというが、しらすもそうなってないか。瞬と同じで、自分が甘えたい時はベタベタ来るくせに、こっちが行こうとしたら塩対応だ。

 何かで気を紛らせたい。俺はマンガのレビューを書くことにした。感情のままに書いていたら千文字くらいになり、自分でも引いてしまったが、誤字脱字をチェックしてそのまま投稿した。

 そんなことをしていたら夕方だ。俺はしらすにエサをやることにした。


「うわっ、お前わかってたな?」


 しらすは俺の足元にまとわりついてきた。皿にエサを入れて食べる様子を眺めた。


「ふふっ……食ってる時が可愛いよなぁ……」


 皿を空にした後、しらすは俺の顔を見つめてにゃあにゃあ鳴いてきた。


「なんだよ、足りないのか? ダメだ、太るって言われてるんだ」


 俺はしらすを無視して、冷蔵庫からコンビニで買ったラーメンを取り出した。レンジで温めるだけでできる。最近は便利だ。

 いざ食べようとしたら、しらすが膝の上に乗ってきた。


「おい……邪魔だぞしらす」


 長くてふさふさの尻尾が俺の鼻をくすぐった。俺はしらすを抱えておろしたが、また乗ってきて、またおろす……ということを繰り返した。らちが明かないので、最終的にはケージに入れた。


「あーもう、少し冷めたし」


 しらすはにゃおん、にゃおん、と文句を言っていたが、そっちを向かずに食べきり、さっさとシャワーを浴びた。ベランダでタバコを吸ってから、ようやく出してやった。


「抱っこするか? しらす」


 しらすはキッチンに行き、引き出しをカリカリと爪でひっかいた。あそこは確か……おやつが入っているところだ。しらすめ、そんなことも知っていたのか。


「ダメだったら。俺は甘やかさないぞ。それに、あげたら俺が瞬に叱られるんだよ。わかってくれ。なっ?」


 通じたのかどうなのか。しらすは自分のベッドに戻った。俺はもう一度さっきのマンガを読み返した後、瞬の隠し撮りを眺めながら眠気がやってくるのを待った。

 頭がぼんやりとしてきたので、スマホを放り投げて目を閉じた。


「……いおり。いおり」

「ん……」


 身体の上に誰かが乗っていた。目を開けると、瞬の顔があった。髪は真っ白で長髪の瞬。裸だ。


「えっ」

「いおり、やっと起きた」


 そいつの肩を掴んでぐっと押した。


「瞬……?」

「違うよ。ぼくだよ。しらすだよ」

「はぁ?」


 しらすだと言い始めたそいつは、腰を浮かせて、ぶらさがったものを見せつけてきた。


「ほら、手術の痕あるでしょ?」


 薄く傷があった。大きさも小さい。


「しらす、なのか」

「元の姿だと言葉通じないから、こっちになった」


 そして、俺の身体からおりて、キッチンに行き、引き出しからおやつを取り出した。


「いおり、これ欲しいの」

「まあ……言われなくてもわかってたが……ダメだってば」

「一つくらいなら、しゅんにもバレないよ」

「そういうとこ、瞬に似るなよ」


 なんか俺、変な夢見てるな。夢ならまあ……いいのかもしれない。


「一つだけな。はい、あーん」

「やったぁ!」


 しらすはちゅるりとおやつを食べ、満足そうに目を細めた。


「ねえ、いおり、一緒に寝よう」

「はいはい……」


 ベッドに入り、しらすに抱きつかれた。


「んふっ、こっちの姿だと、いおりともっとベタベタできるね」

「早く寝ろ」


 しらすはペロペロと俺の顔を舐めてきて、振り払うのも面倒だったのでそのままにさせていた。そうしていると、意識が遠のいた。

 翌日、目覚めた俺は、しらすの姿を探した。俺の腰の辺りに丸まって寝ていた。もちろん猫の姿だ。昨夜はとんだ夢を見てしまったな、と思いながら、とりあえず朝の一服をした。


「しらす! 兄さん! ただいまー!」


 昼前になって、瞬が帰ってきた。


「おう、お帰り」


 瞬はしらすを抱いて、背中に鼻をうずめた。


「あー! 久しぶりだねぇしらすぅ」

「……そうか?」


 少しして、瞬が引き出しからおやつの袋を取り出して数え始めた。


「兄さん! しらすにおやつあげたでしょ! 僕数えてるんだからね!」

「いや……あれは夢だったから」

「もう、何のこと!」


 説明しようにもややこしい。


「ん……すまん、あげた」

「いくらしらすが可愛いからって。僕のお願いちゃんと聞いてよね!」


 しらすが人間になった話は、振り返ってみても現実だったのか夢だったのかよくわからないし、俺の胸にだけ秘めていればいいや、と思った。

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