09 猫と幼児

 瞬の部屋で寝るのも当たり前になってきた。そのまま俺はバイトに行くこともあったし、留守番してやり、しらすの相手をすることもあった。

 その日は昼から二人ともバイトがある日で、寝過ごさないようスマホのアラームをかけていた。

 眠い目をこすりながらアラームを止めると、違和感に気付いた。ベッドがやけに広い。しかし、瞬の息遣いは聞こえる。瞬の姿を毛布をめくって探したら……小さくなっていた。


「えっ」


 着ていたパーカーはダボダボになり、その中にくるまれている形だ。五歳くらいだろうか。顔立ちは瞬だ。間違いない。幼児化していた。


「瞬、瞬!」

「にーちゃ……」


 ぽやんと俺を見つめる瞬。物凄く可愛いがそんな場合ではない。一体どうしてこんなことになってしまったんだ。


「おはよ、にーちゃ」

「お、おはよう……」


 頭を撫でてやるとニッコリと微笑んだ。そして、俺に抱きついてきたのだが、瞬のパーカーはぐっしょりと濡れていた。慌てて瞬が寝ていた辺りのシーツを触るとそこもダメだった。


「瞬、おねしょしたな?」

「ごめんなさい……」

「あ、謝らなくていい」


 とりあえず瞬を脱がせてバスタオルにくるみ、シーツをはがして服と一緒に洗濯機に放り込んだ。しらすが瞬に寄っていったのだが、瞬はしらすの尻尾をぎゅっと握った。


「しらすぅ!」

「瞬、尻尾はダメ!」


 瞬がパッと手を離すと、しらすは部屋の隅に逃げていった。


「どうすりゃいいんだ……とにかくバイトは行けないな……」


 俺は二人とも風邪をひいたことしにしてバイト先に連絡を入れ、しらすに朝ご飯を与えた。


「瞬、お腹……すいてるよな」

「うん」


 困ったことに今朝に限って何もない。瞬をこのまま一人にするのは不安だったが、裸だし、連れて行くわけにもいかない。


「瞬、コンビニ行ってくる。お留守番できるな?」

「にーちゃ……」


 目をうるませてこちらを見てくるので決心が鈍った。しかし、走って戻ってくれば十分以内で何とかなるだろう。


「しらすと大人しくしててくれ。なっ」

「にーちゃぁぁぁ!」


 玄関のドアを閉めると、中からドンドンと叩かれたが、素早く鍵を閉めてコンビニにダッシュした。とにかく目についたパンと飲み物をカゴに入れて帰宅した。


「瞬、待たせたな」

「おかえりぃ」


 瞬は裸でしらすを追い詰めていた。


「何やってんだ瞬! しらすこわがってるだろうが!」

「さわりたい」


 俺は瞬を抱き抱えて椅子に座らせた。


「ほら、どれでも好きなの食え」

「クリームパンあけて」

「はいよ」


 さて、ここからどうしよう。幼児の相手なんかしたことないし、戻し方もわからない。一人じゃ無理だと思った俺は父に電話した。


「父さん、今すぐ瞬の部屋来てくれ」

「ん……どうした」

「瞬が幼児化しちゃって」

「はぁ?」

「とにかく来て! 来てもらったらわかるから!」


 父を待っている間、俺は瞬をバスタオルにくるみ直して抱き締めた。


「はぁ……可愛いんだけど……ずっとこのままってわけにはいかないしな……」

「にーちゃ?」

「よしよし……」


 瞬の部屋にはテレビがないので間が持たない。俺はスマホで幼児向けの動画を探して見せることにした。


「にーちゃ、きょうりゅうがいい」

「うん……じゃあこれな」


 一時間ほどして父が来てくれた。


「父さん、ほら……今朝起きたらこんなんになっちゃって」

「うおー! ちっちゃい時の瞬だー!」

「ぱぱー」


 父は瞬を抱き上げて頬をすりつけた。


「可愛い……可愛い……」

「ぱぱ、おひげいたい」


 動画を瞬に見せておき、俺は父と話し合った。


「父さん、どうしたら戻ると思う?」

「戻らなくてもいいんじゃないか? 可愛いし」

「大学とかバイトとかどうするんだよ……」

「とりあえず愛でさせてくれ、瞬ー! 瞬ー!」

「はぁ……」


 父を呼んだところで無駄だったか。俺はしらすをケージに入れてベランダでタバコを吸った。戻ってくると、父がこんなことを言い始めた。


「なあ伊織! 瞬とお風呂入りたい! 湯張ってくれ!」

「はいはい」


 何ならこのまま福原家に引き取ってもらうか。しらすの世話は俺がすればいいし。とにかく俺はバスタブに湯をためた。


「瞬、パパとお風呂だぞぉ」

「おふろ、おふろ」


 父が脱いで瞬と一緒に裸で踊り出した。瞬が本当に小さかった時もこんな感じだったのだろうか。俺の時はどうだったんだろう。まあ、考えても仕方ないか。二人はノリノリで風呂場に入っていった。


「ふぅ……どうするかな……」


 風呂場からは、瞬がキャーキャー騒いでいる声が聞こえてきた。俺はしらすをケージから出して抱っこした。


「お前も早く瞬に戻って欲しいよなぁ」


 しらすはわかっているのかわかっていないのか、ふにゃあと一声鳴いた。


「いくぞー! じゃぼーん!」

「ぱぱー!」


 どうやら二人はバスタブに入ったようだ。俺だって小さい瞬と入りたかったな、等と思っていると、父の叫び声がした。


「いたたたたた!」

「あれ? 父さん?」


 慌てて風呂場を覗いてみると、元に戻った瞬が父とみっちみちにバスタブの中に入っていた。


「良かった、戻ったんだな」

「何で僕、父さんとお風呂入ってるの……?」


 幼児化していた間の記憶はないらしい。二人が風呂場から出たのでバスタオルを放り投げてやった。


「えっ、ちっちゃくなってたの?」

「そうだよ。大変だったんだぞ」


 こうなった原因も、戻った理由もわからないが、とにかく平穏が訪れた。

 ちなみに、しらすはしばらく瞬に近付かなかった。

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