【あったかもしれない未来】


 涼介が教室を訪れてから数日が経過したある日の夜。

 雪奈は一人、家の最寄り駅から20分ほど電車に揺られた先にある無人駅のロータリーに居た。


 ポツポツと一定の間隔で灯る、少しばかり頼りない街灯。

 送迎の車は勿論のことタクシーすらも停まっていない駐車場。

 そして、無駄とも思えるほど数だけはある自動販売機。


 雪奈はそんな光景を見て、この辺は変わらないなぁ~。と、心の中で呟く。

 そこは未来で何度も見た光景であり、時間を遡っても尚変わっていない景色だった。


 春斗と同棲を始めた時、金銭的に余裕ができるまで住んでいた場所。

 まだその時は結婚していなくて苗字も違っていれば、左手の薬指にも何も付けていなかった。


 ――ここに来るのも久しぶりだ。


 雪奈はそう心の中で呟くと近くの自動販売機で飲み物を買い周囲を散策するように歩く。

 一歩、また一歩と歩く度に、当時の思い出が自然と浮かんできた。

 

 ――近くのスーパーに買い物に行くときはこの駅前を通って行くんだよね。あの時も車は持ってたけど、今と違って歩くのも苦じゃなかったからよく歩いて行ってたっけ。


 当時の記憶と今の景色を比べながら、気の向くままに歩く雪奈。

 気付けばその足は昔住んでいた場所へと向かっていた。

 

 小さな公園を中心に広がる閑静な住宅街の一角。

 古びた木造アパートの二階、左から三番目の部屋。

 

 雪奈はアパートの前に立つと、昔住んでいた部屋のドアに目を向けた。


「この時間で電気が付いてないってことは誰も住んでないのかな」


 そんな独り言を吐きながら足を踏み入れ、住人が居るか確認したくなる衝動を抑える雪奈。

 流石に女子高生が一人、夜に人様が住んでいる敷地内に入るのは良くないだろう。


 ――それにしても……やっぱり古いなぁ~。築年数どれくらいだっけ?


 この場所に住むのはこれから数年後の未来。

 それなのに、目の前にあるアパートは時代を感じさせるほど古いものだった。


 ――あの頃は本当にお金が無くて……でも、それでも一緒に住みたくて……。不動産の人に沢山相談してこの部屋を見つけたんだよね。


 雪奈は昨日の事のように思い出せる春斗との日々に口角を上げる。

 その時間は本当に楽しかった。

 金銭的に苦しいながらも、工夫一つで過ごした日々。

 

 ――ハルには本当に感謝だ。"生活レベルを下げて"まで一緒に居てくれたんだから……。もしもハルが私と一緒に居ない選択を取っていたら……どうなってたんだろう。


 あったかもしれない可能性について考える。

 思えば春斗と雪奈の関係は偶然の連続がもたらしたものだった。

 運命的なものでも無ければ、必然的なものでも無かった。


 ずっと不参加だった春斗がたまたま来た同窓会。

 あの時は莉穂と遥が予定があって来れなくて……雪奈自身も色々あり、話し相手が居ない状況の中、たまたま雪奈の隣に座ったのが春斗だったのだ。


 それから気付けば二人で会うようになり、恋人になり、夫婦となった。

 まさか再会した時は結婚することになるなんて思っていなかったが、人生とは不思議なもので一つの些細な出来事が未来へと直結するものである。

 だからこそつい思ってしまうのだ。

 もしもその些細な出来事が無ければ……と。


 同窓会に春斗が来なければ。

 莉穂や遥に用事がなければ。

 そして、その時に隣の席に座らなければ。


 挙げればキリがない。

 もしもお互いに記憶を失った状態で時間を遡っていたら、二人は結ばれなかっただろう。

 そして、そんな未来が実際に訪れていたとしたら……。


 つい想像してしまい、自然と涙が頬を伝う。


 あったかもしれない未来。

 春斗と結ばれなかった未来。

 それは雪奈にとって最悪とも言えるものだった。


 これは可能性の話だ。

 しかし、最も可能性のあったと言える未来。


 高野雪奈の結婚相手。

 それが河野春斗ではなく――。


 谷口涼介。

 その男の可能性があったのだ。

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