第二幕 『和冴のそっくりさん』

 千景は唇を震わせ、血の気のない顔で和冴を見つめる。


 彼は父親である緒方宗則おがたむねのりの代わりに園遊会に参加していたのか、それとも千景の代理でここにいるのか。


(わたくしが園遊会に現れることを予知していたの? ……早く赤月さまのもとに戻らないと!)


 黙ったまま足を動かそうとしたとき、ぐっと腕を掴まれる。


「!」


 引きつった顔で和冴を見上げると、彼は眉根を寄せながら口を開く。


「大丈夫、僕は警察官だから。安心して」


「…………?」


 子どもをあやすような優しい声が聞こえ、千景は身を硬直させる。


(えっと……幻聴かしら)


 言葉遣いがいつもと違い過ぎる。ねっとりとした厭味ったらしい言い方はどこへいったのか。


 さらに和冴はへたり込んでいる千景と目線を合わせ、目の奥から微笑みかける。


「あなたが大声を出してくれたおかげで、僕たちは迅速に動くことができた。ぜひお礼を言わせてほしい。ありがとう」


「……………………?」


 千景は一瞬だけ鳩が豆鉄砲を食ったような顔をすると、勢いよく顔を背ける。


(この方はどなた?)


 千景が知っている緒方和冴はにび色の髪を持ち、横髪を耳にかけ、唇をいつも引き結んでいる男だ。


 容姿は彼本人であり、黒の背広服も普段から使い回しているものだ。


 でも中身がまるっきり違う。


(ああ、そういうこと)


 千景はあることに思い至る。


(あなたは黄蝶きちょうさまなのね)


 千景たちの危機に変装して駆けつけてくれたのか。警察官の恰好をしていれば情報も集めやすいし、きっと違いない。


(和冴さまが黄蝶さまだとわかれば怖くないわ)

 体の震えは治まり、彼の目を真っすぐと見つめる。


「お役に立ててなによりです。靴を拾っていただきありがとうございました」


 和冴から靴を受け取ろうとすると、ひょいっと躱される。


「じっとして」


 彼は目を伏せると、千景の足に触れて靴を履かせてくれる。


 千景は衝撃のあまり、再び口をぽかんと開けた。


(黄蝶さま、ちょっとやり過ぎよ。ここは『なにをしている。さっさと靴を履け』と言うところよ)


 と思っていたところで考えを払拭する。厳しいのは千景に対してだけで、他の人には違うのかもしれない。


(わたくしってとことん嫌われていたのね)


 内心で黄蝶の演技力に拍手を送っていると、ちょうど赤月がやってきた。


「ちひろ!」


 千景はゆっくりと立ち上がってから赤月に駆け寄る。


「誠一郎さまの容体は⁉」


「大丈夫だ。侑希子さまが君の様子が悪化したときのために、かかりつけ医にすぐに動けるよう声をかけていてね。おかげで速やかに処置ができた」


 赤月は千景を安心させるように体に引き寄せると、頭を何度も撫でる。


 温かい手のひらの感覚に、じわりと涙がこぼれる。そのまま彼の胸に顔をうずめていると、和冴が立ち上がった。


 赤月は彼に向けて一礼する。


「妹を気にかけてくれたようで。ありがとう」


「僕は当然のことをしただけだ」


 二人の会話に妙な間があった。千景が様子をうかがうと、赤月と和冴はしばらく見つめ合っていた。目だけで会話でもしているのか。


 そのとき、現場を確認してきた警察官の一人が和冴のもとへ来て耳打ちする。和冴は彼の言葉に頷くと「ああわかった。応援を要請しろ」と告げる。


「第一発見者はあなた方で間違いないですね」


 和冴に問われ、千景と赤月は顔を見合わせたあと、頷く。


「では別室で事情聴取を行う」



◆◆◆◆◇


 屋敷の離れに集められたのは千景、赤月、花岡誠男爵、妻の佐代子、そして佐代子に寄りかかって力なくソファに座る侑希子に、三人の使用人だった。


 誠一郎は現在、かかりつけ医とこの場に居合わせた医者によって処置が施されている。いまのところ意識はあるようだ。


「一体どういうことなのだ! 来賓の方々に顔向けできぬ! よくもわしに恥をかかせおって!」


 頭を抱えて叫んだのは花岡男爵だった。燕尾服の裾をひるがえしながら勢いよく振り返ると、壁際に控えていた赤月に詰め寄る。


「聞けば貴様が第一発見者というではないか! 怪しげな奴め! なぜ貴様は二階にいた⁉ 貴様が殺人未遂の犯人か⁉」


「いやいや、俺は犯人ではありませんから」


 赤月は両手を上げて否定するが、内心では複雑な思いを抱いているのだろう。


(犯人は犯人でも、これから窃盗をする予定の犯人ですから……)


 下手に口出しして彼に不都合な展開にしたくはないため、千景は不安げな表情を浮かべ椅子に座ったまま様子を見守っていると、花岡男爵はさらに赤月を責め立てる。


「なにが目的だ! 言え‼」


「花岡卿、彼は今回の犯人ではありませんよ」


 涼やかな声と共に部屋に入ってきたのは和冴だった。


 花岡男爵は溜飲が下がらないのか、白髪交じりの太い眉をつり上げる。


「お前は?」


「申し遅れました。私は籐京とうきょう警視庁刑事課の警部、緒方和冴です」


 緒方という単語が出たとき、花岡男爵は目を見開いた。


「緒方だと? まさか宗則の息子か」


 和冴は目を細め、唇に弧を描いた。


「父に代わって園遊会に参加しておりましたが、この喜ばしい日を台無しにした犯人を許すわけにはいきません。我々警察官一同、誠意を持って捜査し、必ず事件を解決いたします」


 彼が柔和に微笑むと、気落ちしていた女性陣の頬に血色が戻るが、千景にとっては鳥肌ものだった。


「ふむ、おぬしがいるなら心強い。必ず犯人を捕まえてくれ」


「無論です」


 そういって二人は握手を交わした。


 和冴は力強く頷くと、颯爽と振り返る。


 千景はごくりと息を呑む。警察官としての和冴の仕事ぶりを見るのはこれが初めてだった。


(黄蝶さまの演技とはいえ、普段の和冴さまはどう動くのかしら)


 誰かに対して高圧的な態度を取っていないか冷や冷やしていると、彼は淡々と語り出す。


「さて。ここに集まっていただいたのは、花岡家のみなさまと、事件が起きた時刻に二階にいた方々です。みなさまの事情聴取は私が担当いたします」


 和冴は一人一人の顔をくまなく見回す。


「情報をまとめると、乾杯の音頭を取ってから一時間ほど経った頃、二階の誠一郎さまと侑希子さまの寝室で、誠一郎さまが頭から血を流して倒れていました。意識はありますが、当時の状況を覚えていないようです。つきましてはみなさまに捜査のご協力をいただきたい」


 やがて彼は、赤月と千景を交互に見つめる。


「第一発見者は東雲京介しののめきょうすけさんと東雲ちひろさんですね」


「ああ」

「……はい」


 名前を呼ばれて、赤月と千景は会釈をする。


「お二人はどうして二階の部屋に?」


 和冴に問われ、赤月は妹を気遣うように千景の肩に触れながら口を開く。


「妹が体調を崩してしまったところを、侑希子さまに助けていただきましてね。侑希子さまの計らいで二階の一室を借りていました」


「侑希子さま、それは本当ですか?」


 和冴に問われ、侑希子はゆっくりと首を縦に振る。


「え、ええ」


「そういえば、その話はわしも聞いていたな」


 花岡男爵も腕を組みながら頷いた。赤月は一拍を置いたあと、手振りを使って当時の状況を説明する。


「本当に驚きましたよ。休息中に物が倒れる音が二回して……二度目の音が床に響くほどの振動だったことから、誰かが手、もしくは膝をついてから倒れたと思い、様子を見るために妹と共に部屋に入ったのですよ」


 すかさず和冴の追及が入る。


「どうして妹さんを一緒に連れていったのですか? 犯人として疑われないためですか?」


「こんなに可愛い子を置いていけるわけがないでしょう」


「……」


 赤月が曇りなき眼で告げると、和冴は物申せないほど呆れたのか、顔のあらゆるしわを寄せた。


「刑事さん、そんな顔をしないでください。強いて言うなら、俺たちは一介の客人です。人が倒れた原因が持病によるものか、誰かに危害を加えられたかわからなかったため、下手に一人で動き回って危険な目に会わないよう、まとまって行動したまでです。ねえ、ちひろ」


「は、はい」


「最初からそう言え……ごほん、部屋の状況はどうでしたか?」


 千景はわずかに眉を寄せる。和冴にしては砕けた物言いだった。黄蝶の素が出てしまったのか。


「誠一郎さまの隣には血がついた灰皿があり、すぐに何者かに殴られたと判断しました。幸いにもまだ息があったため、俺が状態の確認をしているあいだ、ちひろに人を呼びに行かせました。部屋の状況は……そうですね、個人的には寝台の上に誠一郎さまの上着が乱雑に置かれていたことと、掃き出し窓が空いていたことが気になりました」


 誰もが考え込んでいるのか、辺りがしんと静まり返った。


 ややあって口を開いたのは花岡男爵だった。


「そもそも誠一郎はなぜ自室にいたのだ」


「……私が着替えてくるよう言ったのです」


 着物の裾を押さえながら手を挙げたのは、艶のある黒髪を結い上げた佐代子だった。


「私があの子のシャツに食事の汚れがついていることに気づいて。みっともないから着替えてきなさいと」


 和冴は佐代子の言葉に頷く。


「なるほど。では京介さんとちひろさん以外の方々は事件当時、どちらにいましたか?」


「わしは一階の鑑賞部屋にいたぞ。みなそう証言してくれるだろう」


「私は婦人会のみなさまと庭先に」


「わたくしはちひろさまの容態が悪化したときにすぐに対応できるよう、お医者さまに声をかけていました」


 使用人たちは休憩を取ったり、二階の倉庫に部屋に頂き物を運んだり、せわしなく動いていたようで、たまたまあの時間にこの三人が当たっていただけのようだ。


 千景はそれを聞いて、膝上で両手を握り締める。


(殺人未遂ではない……?)


 ふと、誰もが赤月と千景に目を向けていることに気づいた。


 ――お前ら二人が共謀して騒ぎを起こしたのか。

 と言わんばかりの疑いの視線に、固唾を呑んだとき、


「犯人は窓の外から逃げたのではないか?」


 聞き慣れない声に、誰もが部屋の扉を見つめた。


 そこに立っていたのは、頭に包帯を巻いた花岡誠一郎はなおかせいいちろうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る