第二幕 『因果と巡り合わせ』

 千景は三人掛けのソファの端に座り、背もたれに寄りかかりながらゆっくりと呼吸をする。


 侑希子の計らいにより、花岡家の二階の一室を借り、しばらく休むことになった。


「妹がご迷惑をおかけして申し訳ない」


「お気になさらず。当主からも許可を得ておりますから。くつろいでください」


 赤月の謝罪に、侑希子はにっこりと微笑んだ。


 園遊会には花岡家かかりつけ医も参加しているということで、呼び出そうとしてくれたが、だいぶ落ち着いたため断っていた。


 千景は膝上に置いた丸帽子を握り締めながら、彼女を見上げる。


「お気遣い感謝いたします」


「あなたの気持ちもわかりますわ。ここだけの話、わたくしもあの部屋が苦手なの。窮屈な上に、今日はたくさんの人がいたでしょう? きっと空気が悪かったのでしょうね」


 彼女は微苦笑してから、千景をじっと見つめる。


「あの、わたくしの顔になにかついておりますか?」


「……いえ。ただ、あなたのお顔を見ていると、わたくしの大切な親友の顔を思い出してしまって」


 ああ、と千景は胸の中で声にならない叫びを上げる。


(――ごめんなさい。晴れの日に千景として対面できなくて)


 誰よりもあなたの幸せを祈っているという気持ちを必死にこらえていると、自然と戸惑ったような表情になった。


 侑希子はハッとして首を横に振ってから、目を伏せる。


「あの子も風邪を引いて療養中のようだから、あなたもここでしっかり休んでくださいね。頃合いを見て使いの者が参りますわ。わたくしはこれで失礼いたします」


 彼女は一礼すると部屋から出ていった。


(わたくしが療養中? 失踪ではなくて?)


 和冴が周囲にそう説明しているというのか。考え込んでいると、赤月が緊張を解くようにふっと息を吐いた。千景は慌てて小声で謝罪を述べる。


「申し訳ありません……!」


 大口を叩いた結果がこれだ。肩を委縮させて叱責を待ち構えていると、赤月はいつも通りの口調で告げる。


「君は緊張しいなのか?」


「……それもあるかもしれませんが、あのとき身を貫くほどの嫌な視線を感じて」


「視線か……アーティファクトの邪気に当てられたのかもな」


「え?」


 彼の言葉が本当なら、鈴蘭が描かれた花瓶は本当に『意志を持つ宝』になる。


 ドン、ドンッ!


「!」


 千景と赤月は勢いよく振り返り、扉の先を見つめる。


 床に響くほどの大きな音が二回した。しかも二回目の音のほうが鈍く、重いものが倒れたような音だった。


 赤月の顔つきが険しくなる。


「君、立てるか?」


「――はい」


 異様な雰囲気に、千景は膝に力を入れて立ち上がった。


「いい子だ。俺から離れるなよ」


 彼は鋭い声で後ろに着いて来るよう促すと、扉を開け、音がした方向へ足早に歩く。


 屋敷の二階はほとんどが身内の部屋になっているようで、一階とは違って人通りはなかった。


(今度はなにが起きたの⁉)


 千景は必死に赤月の背中を追う。


 ふわり、と風の流れを感じた。まるで千景たちを誘うように、とある部屋の扉が半開きとなっていた。


 赤月は迷いなく部屋に入り、一瞬だけ足を止めると、一気に駆け出す。


 千景も部屋に入ろうとしたとき、足を止めた。


 両手で口元を押さえ、息を呑む。


 部屋の床に侑希子の夫である、花岡誠一郎がワイシャツとズボンという姿で、うつぶせで倒れていた。


 彼の近くには、血が付いた灰皿が転がり、なぜか窓が開いていた。


「人を呼べ! 息はある!」


 赤月は誠一郎の体に触れ、状態を確認してから叫んだ。


「は、はい!」


 千景が振り返って、頭を真っ白にさせながら廊下を走る。その際に靴が脱げたが、気になどしていられなかった。


 吹き抜けとなった二階の踊り場につくと、柵を掴みながら身を乗り出し、一階にいる人々に向けて思いきり叫ぶ。


「誰か! 誠一郎さまがひどいお怪我を!」


 大きな声を出したあと、千景は膝を震わせながらその場にへたりこむ。


 衝撃的な光景が脳裏に焼きついて離れない。恐怖により目を閉じていると、すぐに階段を駆け上がる足音が聞こえた。


「警察だ! これよりこの場は我々が取り仕切る。まずは誠一郎さまの手当てを急げ!」


 来賓の中には警察関係者もいたようだ。


 ほっと一息ついたとき、誰かが千景のすぐ近くで跪いた。


「これはあなたの物か?」


 視界の端に、先ほどまで履いていた靴が見えた。


 反射的にありがとうございます、と礼を告げようとして、千景は目を見張る。


(――なぜここに)

 先ほどの侑希子といい、とんだ巡り合わせだ。


 目の前にいたのは緒方和冴だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る