第一幕 『いわくつきの一族』

白浪しらなみ一族……?」


 千景は目を見開きながら、赤月に言われた言葉を反芻する。


 白浪、という単語には覚えがあった。


(確か『白浪五人男しらなみごにんおとこ』という歌舞伎の演目があったはず)


 白浪五人男は、正式には青砥稿花紅彩画あおとぞうしはなのにしきえの演目のひとつにあたる。


 見どころは多々あるが、『稲瀬川勢揃いなせがわせいぞろいの場』という、五人の個性豊かな泥棒たちが桜咲く稲瀬川の土手まで捕手に追い詰められたところで、堂々と名乗りを上げる場面がある。


 五人が錦絵から着想を得た着物を身にまとって横一列に並ぶ姿は圧巻だが、ひとりひとりが花道から登場するときに、それぞれを表した雅楽がなり響くのもまた一興だ。


侑希子ゆきこが首領の『問われて名乗るもおこがましいが』と名乗るところなんて最高なのよ! と言っていたけれど……この人たちは白浪五人男にかかわりがあるというの?)


 目の前にいるのは、警察官の家で育った千景とは相対する存在だ。それなのに、赤月に掴まれた手から伝わる体温は心地よい。


 その現実が千景をひどく動揺させた。


 抵抗する力を弱めると、赤月は千景をベッドの縁に座らせた。


「驚きすぎて言葉も出ないか。大丈夫か?」


 彼は心配そうに千景の顔を覗き込む。そのとき、誰かが彼の後頭部を叩いた。


「当たり前でしょう、馬鹿!」


 声を上げたのは黄蝶きちょうだった。彼女は眉をつり上げて、赤月に詰め寄る。


「一般人をびっくりさせることは言わないで!」


「はあ? 一般人と線引きしたいなら札束なんか見せるなよ! それがなければもっと穏便に済んだわ」


「ぐっ、それは……」


 黄蝶と赤月がにらみ合い、その背後では緑埜みどりのが顔にしわをつくるほど申し訳なさそうに「私たちの配慮が足りず、赤月さまにご迷惑をおかけしました」と首を垂れた。


(な、なんなのですか、この人たちは)


 彼らのやりとりを見ていると拍子抜けしてしまうが、緊張を緩めるわけにはいかない。


(わたくしを盗んだのは警察関係者である緒方家に恨みがあるからなの? だとしたら見当違いだわ)


 小さく息を吐いてから、震える声で告げる。


「わたくしは緒方家にとって価値のない存在です。人質にはなれません」


 赤月の反応をじっとうかがうと、彼は先ほどの様子とは打って変わって、不機嫌そうな顔で千景を見下ろす。


「俺たちを下賤な悪党と一緒にするなよ。宝を盗むのに、人質など必要としない」


「……あなたたちがなにを言おうと、犯罪者であることには変わりません。法で裁かれ罪を償うべきです」


 千景が口調を強めると、赤月は面白いものを見る目をして言葉を紡ぐ。


「弱々しいお嬢さんかと思いきや、手厳しいことを言うではないか。だが、俺たちの盗みは政府から命令されているとしたら――どうする?」


「え?」


 政府が泥棒行為を容認しているというのか。


 まったくもって意味がわからない。和冴が聞いたら地獄の底まで響くような低い声で「は?」という驚嘆を上げるだろう。


「どうして政府が馬鹿げたことを命じているのですか?」


「贖罪だからさ。まあ、最近は雑用もやらされているんだけどな」


 駄目だ。これ以上、聞いたらもとに戻れない気がする。


 赤月たちと距離を置きたいのに、彼は平然として心の距離を詰めてくる。


「俺たちの祖父が歌舞伎の『白浪五人男』に感銘を受けて、義賊の真似をしたのがきっかけでな。あるとき政府に捕まり、世間を騒がせた贖罪のために、公にはできない盗みをしろと命令された。いつしかそれが生業となり、俺たちが三代目として引き継いだんだ」


 そして赤月は千景に左手の甲を見せつけた。


「これがその証拠だ」


 そういって、手の甲に右手の爪を喰い込ませ、皮膚をえぐろうとする。


 次の瞬間、手の甲が青白い炎に包まれ、赤月の右手を拒むようにはじいた。さらに火花が飛び散るが、熱さは感じない。


「っ……これは⁉」


「まじないだよ」


 赤月の左手の甲に、藤の花とそれを囲んだ五芒星の光が浮かび上がった。


「俺たちはこのまじないによって、常に政府に現在地を知られている」


「……」


「これで政府の監視下にあることを信じてくれたかな?」


 やがて紋様は揺らめきながら消えていき、もとに戻った。


 千景は呼吸を忘れて見入っていたため、我に返ってから咳込んだ。赤月はその様子を見つめながら、目を細める。


「なあ、俺たちと君は似ていると思わないか?」


「ごほっごほ、どこがですか⁉」


「政府に囲われた俺たちと、の緒方和冴に囲われた君が」


 千景は涙目になりながら、彼を睨みつける。


「……わたくしのことを調べたのですか?」


「血縁関係者だからこそ、より大切にされてきたみたいだな」


 和冴の父と千景の母が実の兄妹だった。血を薄めないための、緒方家という大樹の枝木を増やすような結婚と聞かされていたが、和冴に大切にされた覚えはない。


「箱庭で生きる者同士、仲良くしようではないか」


 赤月に手を差し伸べられ、千景は顔をしかめる。


 どうやら和冴と同じくらい厄介な人物に囲われてしまったようだ。


 しばらく返事を渋っていると、彼は懐中時計をちらつかせる。


「弁償はしてくれないのか?」


「先ほどは気にしなくていいとおっしゃいましたよね⁉」


 勢いよくまくしたてると、赤月は肩をすくめる。


「気が変わった。金がないなら俺の屋敷で働いて返してくれ。ちなみに拒否権はない」


 千景は頭を抱える。


(最悪だわ)


 弱者に選択肢はない。嫌になるほど知っていた。


 嫌々ながら手を伸ばして、赤月の手のひらに触れる。すると、ぎゅっと包まれた。


「ちょうど家事手伝いをしてくれる人が欲しかったから、よかったよかった!」


「……」


 千景はすぐに赤月の手を払いのける。


(明日からの未来が見えない……ああでもそれはもともとね)


 もはや開き直った千景をよそに、赤月は黄蝶に声をかけた。


「ということで黄蝶、彼女に必要なものを見繕ってくれ」


「この馬鹿! 私たちに了承もなしに勝手なことを言ってくれちゃって。動物を飼うとはわけが違うんだからね」


 再び黄蝶の拳が容赦なく赤月の頭上に振り落とされる。華奢な体からは信じられないほどの重い一撃だった。


 黄蝶は床に沈んだ赤月を一瞥してから、くるりと振り返ると、千景を安心させるように笑みを浮かべる。


「当面のあいだのあなたの生活費は赤月からむしり取るから安心してね」


「は、はい」


 力強い言葉に、千景は素直に頷く。


(黄蝶さまみたいな女性がいるなら、悪いようにはならないのかしら)


 おそらく着替えをしてくれたのも彼女だ、と思いかけたところで、思考を止める。


 少なくとも歌舞伎の白浪五人男に出てくる泥棒はみな男性だったはず。


 目の前にいる黄蝶は、色素の薄い髪を持ち、あどけなさを残した顔立ちに、長いまつ毛を持っている、とても愛らしい女性に見えた。


(ど、どちら?)

 彼女の性別は、いまのところわからずじまいだ。

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