9-3

 私は、緊張から来る震えを止めるように、握りこぶしを作った。

 久しぶりに会うスムヨアは、私を見ても特別な反応を示さず、ただ目を細めた。


「何が慰霊式だ、馬鹿馬鹿しい」

 鼓童が声を上げる。


「お前がしゃべるとややこしいから、今は黙っておけ」

 史紋が呆れたように、しかし冷静に言う。


 鼓童は自重して声を低くしたが、「てめえで殺し合いさせておいて」と文句を言った。

 私の隣で四蛇が、肩をすくめ「その通りだ」と同調する。


 先頭をワロが進み、次に桂班の五人がその後ろの人間を守るように、横一列になって進む。一番後ろには、私と、その両脇に四蛇と潮がいる。


 壇上には、ふたつの懐かしい顔がある。スムヨアと名曳。

 小さな頃、あんなに近くで過ごしていた二人との距離を、今はとても遠くに感じる。二人とも久しぶりに会うからか、予想していた姿よりも老いて見えた。

 名曳は、こちらを見ることもなく、ぼんやりと視線を前に投げている。スムヨアの傍にいる女性には、見覚えがなかった。


「スムヨア」

 私は彼女の名を呼ぶ。


「あなたに会いたくて、どうしても会いたくて、無理を言って連れてきてもらったの」

 私が声を張り上げると、スムヨアは私の名を呟いた。


「ラドメア」


 その瞬間、目有の視界は真っ暗になった。


「魚冥不の呪術だ」

 四蛇が呟く。


 視力を奪われたのは、他のみんなも同様らしい。

 桂班が、私たち三人を守るように、後ろに下がり、肩が触れるほど近くに来たのが、気配で分かった。首元がもぞもぞと動いて驚いたが、句朗の木偶のようだ。私は妙に懐かれているらしい。

 潮が私の肩を抱き、四蛇が私の手を握る。二人とも、すぐ近くにいる。

 桂班のみんなも、ワロさんも、近くにいる。


「自分からのこのこ現れるとはね。こっちはお前が死んだかどうかも知らなかったんだ」


 おそらくスムヨアの声だろうが、まるで別人のようだ。


「私たちは、お前の死を願っていた。ずっと探していたんだよ。お前は、今、死ぬんだ」

 突然自分に向けられた、鋭い悪意に目有は戸惑う。

 心臓の音が大きくなるのを感じた。大丈夫。落ち着いて。


「スムヨア、あなたを説得しにきたの」

 目有は暗闇に向かって声を投げかける。


「こっちへ歩いて、命を差し出せ。従わないのであれば、他のやつらを順に殺す」


 スムヨアには、目有の声など届いていないかのようだ。

 誰かの短く叫ぶ声が、すぐ近くで聞こえた。


「今、私の投げたナイフが、蒼羽隊の男に刺さった」


 すぐに、風を切るような音と、ワロのうめき声が聞こえた。


「次のはワロに刺さった。頭上に気をつけな」


 口を挟む間もなく、スムヨアは攻撃をしかけてくる。


 頭に衝撃があり、何かに押しつぶされるのを感じた。遅れて痛みと眩暈がくる。

 四蛇と潮を含め、数人が横倒しになったようだ。

 何か重たい物が、上から落ちてきたらしい。

 目有の力ではそれを押し戻すことができず、誰かがそれを脇にどけた。目有は暗闇の中で誰かの腕を取り、身体を起こすのを手伝った。誰が誰だか分からないが、みな身体を寄せ合って、さらに小さくまとまった。


 頭上へ落ちてきた重たい物は、礼拝堂にあった長椅子だと推測できた。あんなに重たいものを、頭上まで持ち上げることは、スムヨアたちにはできないだろう。名曳の人形の術だとしか、考えられない。


「名曳、やめるんだ」

 潮が叫ぶ。


「いや、違うんじゃ」

 ワロが何かを言いかけるが、スムヨアに遮られる。


「ラドメア、お前のせいで、人が死ぬぞ」


「分かったから!待って!」


 目有はスムヨアを止めようとしたが、またナイフが風を切る音と、それに続く叫び声が聞こえた。


「目有、こいつはお前を追い詰めて楽しんでいるだけだ。お前が犠牲になったとしても、全員殺すだろう。まともに耳を貸す必要はない」

 潮が冷静に言う。


 それから声を張り上げ、「スムヨア、魚冥不、あなたたちに降伏を求める。話をしにきたんだ」と言った。


 しかし、スムヨアには、話を聞く気などないようだ。


「次は、手の目のお前だ、心臓を狙おう」


 目有は恐怖で上手く息ができなくなった。潮が、殺されてしまう。

 何人もの孤児を助け、多くの子供を笑顔にして守ってきたこの人が、ちっぽけな私のせいで死んでしまう。


「どうする?命を差し出すか?」


 目有は心を強く揺さぶられ、片足を前に出した。


「大丈夫だ、俺が守ろう」


 前方のすぐ近くで、史紋の声がした。それから、何かが、キンと弾かれる音がした。なんとか怪我を免れてくれたようだ。


 スムヨアは言葉を続ける。


「そうだな、お前が死んで魚冥不を継承したら、油隠しから手を引くよう庵或留に掛け合ってやろう」


 聞いてはいけないと思いながらも、その甘い言葉は、耳に入ってくる。


「お前が死んで名曳を継承したら、それこそみんな喜ぶぞ。操り人形じゃなくなるんだから」


 そう言いながら、続けざまに長椅子が落ちてきた。

 背中を強打し、息が止まる。重さに身体が押しつぶされる。誰かが頭を打ったのか、床に倒れたようだ。誰かの脱力した腕が、足に当たった。


 このままではだめだ。私が、なんとかしないと。私が守らないと。この人たちに、迷惑をかけるわけにはいかない。

 目有は動揺して、スムヨアの名を何度も呼んだ。


「死ぬ決心がついたか?」


 目有はとにかく時間を稼がねばと思い、一歩前に進み出た。

 その時、肩にするどい痛みが走り、目有は歯の間から悲鳴を漏らした。


「死ぬなら死ぬとすぐに言え」


「目有!」


 潮と四蛇の叫び声がする。彼らは手探りで目有を探し出し、傷の具合を確かめる。スムヨアのナイフが、肩に刺さったようだ。

 目有は自ら、傷口からナイフを引き抜く。あまりの痛みに、口から声が洩れ出る。


「痛いだろう。次は黒髪のお前だ」


 目有の身体を、恐怖が支配した。

 目の前にいたはずの桂班はみな倒れ、床に転がっている光景が見えるような気がした。スムヨアはまっすぐ四蛇の心臓にナイフを向け、今にも彼の命を奪おうとしている。


 先ほどのスムヨアの言葉は、甘美な誘惑だった。

 私が犠牲になれば、油隠しから手を引く?私が犠牲になれば、名曳が帰ってくる?

 本当にそうなるなら、どんなに幸せなことだろうか。

 自分のおかげで、みなが幸せになるのだ。ただ命を差し出すだけで。

 どんなに簡単で、どんなに幸せなことだろうか。

 ナミクアの言葉が頭をよぎる。


『油隠のために命を使いたい』


 目有は、今こそ、ずっとなりたかったナミクアのようになれるのだと、確信した。


「ナミクアなんか糞くらえだ!!」


 その声は礼拝堂に響き渡るほど、大きく聞こえた。


 視界が明るくなる。どういうわけか、蜃の術が切れたようだ。


 スムヨアが右手を前に出したまま、止まっている。その掌の上には、ナイフが乗っている。ナイフはまっすぐに四蛇を狙っているが、スムヨアは小さく口を開けて四蛇のことを見つめている。


「目有、お前に死んでほしくないとか、俺はかっこいいこと言うつもりはない。迷惑なんだよ、良い奴ってのは。こっちは最悪の気分なんだよ。あたかもそれが善行みたいに振舞いやがって。命を受けたなら、あがいて、諦めないで、一生懸命自分自身のために生きろよ。命を軽んじる時点で傲慢なんだよ。他の命を奪ってでも、生きていけよ。どいつもこいつもどっか行きやがってよお。勝手に、自分だけいい恰好して。かっこつけて、残されたこっちの気も知らないでよお」


 四蛇は、涙声で吐き出すように言う。自分でも、もう、誰に向かって言っているのか分からなくなっているようだ。

 握りしめた拳を振り、四蛇は俯く。


「そんな簡単な話じゃないんだよ」

 震え声で、四蛇は呟く。


 目有はすっと、胸にあった疑念が晴れていくのを感じた。スムヨアをまっすぐ見つめる。

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