9-2

 慰霊式は、昼過ぎに本部の礼拝堂で行われる。

 リオコはそれを、蒼羽隊の宿舎の掲示板で見て知っていた。句朗にそれを伝えたのもリオコだ。

 もうそろそろ、句朗たちが本部に忍び込んでくるはずだ。礼拝堂には、蒼羽隊の人間以外は入れない。先日より脱走したような形になっている桂班も、当然入れないだろう。彼らを礼拝堂の中へ入れるのが、リオコの役目だ。


 食堂を覗くと、数人の翠羽隊の友人がこちらに手を振った。蒼羽隊がいないことで、広く使えるのか、羽を伸ばしている様子だ。

 誰もあえて口にはしないが、翠羽隊よりも蒼羽隊の方が、立場が上であるような空気が、なんとなくある。友人たちは、蒼羽隊らがいない時間を過ごせるのが嬉しそうだった。

 リオコは友人に手を振り返す。呑気な友人が少し羨ましくなる。


 リオコは訓練場へ向かった。幸い、誰ともすれ違わない。

 首に巻いた緑のスカーフを外して左のポケットに突っ込む。代わりに右のポケットから、毛糸で編んだ帽子と、街で買った伊達眼鏡を取り出してつける。色の入ったレンズなので、目元が隠れるだろう。

 遠目に見たら、自分の体格は男に見えるのだと、リオコは分かっていた。変装の必要はないかもしれないが、念のためだ。


 訓練場の内部に入ると、いったん物陰に隠れて、浮文紙を取り出し、知らせがあるのを待つ。

 やがて句朗からの合図があり、リオコは扉を開けて中へ入った。式典のため蒼羽隊が訓練に来ないことが明らかなので、今日は見張りがいない。

 リオコは一番大きな檻へ向かう。


 檻の中から、憑き物が見下ろす。

 立派な体躯に太い四肢。頭はなく、背中から脇腹にかけて分厚く硬い皮膚に覆われている。まるで甲羅のようだ。

 こいつを連れてきたときは、大暴れして大変だったことを思い出す。煙羅国の外へ出ればもっと大きな憑き物はごろごろいるが、この訓練場の中では一番大きな個体だ。班の連携の練習をするのに使われたり、重火器の試し撃ちに使われたりすることが多い。

 ふらりと立ち寄った羅愚来に、八つ当たりで破壊されてきたこいつを、不憫に思ったこともあった。


 檻の扉は人間が通れるくらいの大きさだが、この檻だけ、重火器を入れられるように、いくつかの金具を外すことで、大きく開けられるような作りになっている。全ての金具を外せば、この憑き物がちょうど通れるほど大きく開くことを、リオコは知っていた。以前から危ないと思っていたのだ。


 リオコはその檻の留め具と鍵を開け、素早く他のいくつかの檻の鍵も開けて行く。

 それから、走って戻りながら、鍵を開けた檻の扉を、大きく開け放っていく。

 扉が開いた時、その大きな憑き物は、何が起こったのか理解できていない様子だった。


 リオコは憑き物が檻から出るのを確認せずに、訓練場の扉を閉め、走りだした。


 気がかりなのは、翠羽隊の宿舎が近くにあることだ。リオコは帽子と眼鏡をはぎ取りながら、そこを目指す。

 宿舎の入口で人を捕まえて、訓練場の様子がおかしいことを伝える。自分は蒼羽隊を呼んでくるため、場合によっては翠羽隊のみんなを避難させるようにと、指示する。

 訓練場の方で大きな物音が聞こえてきた。あの大きな憑き物なら、もしかしたら小さな憑き物が入っている檻を、破壊できるかもしれない。被害の大きさは、予想できない。


 リオコは騒ぎの大きさを確認するため、訓練場の前まで戻った。蒼羽隊全員を、礼拝堂から引き離す必要があるのだ。憑き物が脱走しないうちに、事態の収拾がつくのは困る。


 訓練場の入口を見ると、リオコの腰くらいの背丈の憑き物が、ちょうど走ってくるところだった。

 咄嗟のことに避けきれず、リオコは突き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 立ち上がりながらその憑き物から逃れると、大きな憑き物が、訓練場の扉からぬらりと出てくるのが見えた。

 肌の表面に電気が走るように、ぴりりと緊張が走る。

 きた。


 礼拝堂へ一目散に走る。

 ぶつかってきた憑き物は、別の人間に気を取られたのか、いつのまにかいなくなった。怪我人があまりでないことを祈りながら、必死で走る。

 すれ違う人が、何事かとリオコを振り返る。


 礼拝堂へ着くと、躊躇せずに扉を大きく開けた。

 全蒼羽隊員と、壇上の三人の視線が自分に注がれるのを感じる。


「大型の憑き物を含め、複数の憑き物が訓練場から逃げました!」


 自分の声は、すぐに礼拝堂の壁に吸い取られ、シンと静まり返った。

 蒼羽隊の視線が、リオコからヨアに移る。よく訓練されている蒼羽隊は騒がず、ヨアの指示を待った。


 彼女の指示で、蒼羽隊は一斉に動き出す。

 迷わずに蒼羽隊全員を向かわせてくれたので、リオコはほっとした。顔見知りの蒼羽隊が、すれ違いざまに医務室へ行くよう勧めてくれた。集中していて気づかなかったが、腕から血が流れている。怪我をしていることで、事態の深刻さがより伝わったのかもしれない。


 顔を上げると、名法師、ヨア、リアが壇上から去ろうとしている。


「まだご報告することがあります!」

 リオコは礼拝堂の中へ入り、壇上に近づきながら言った。三人を引き留めておかないといけない。


 振り返ったヨアはリオコを見たが、リオコが何も言わないので、ふと礼拝堂の入口の方へ視線を向けた。


 ヨアは驚いた表情をしたあと、すっと目を細め、憎しみを露わにした。

 リオコは初めて見るヨアの表情に驚き、礼拝堂の入口の方を振り返った。

 そこには奇妙な生き物が立っていた。赤くて小さな人型の生き物だ。銀色の胸当てをつけている。


「それで?他には誰がいるんです」


 ヨアがその生き物に話しかけた。

 すると礼拝堂の入口に、ぞろぞろと人が現れた。その中に桂班を見つけ、リオコはそちらへ歩み寄る。


「医務室へ行った方がいい」

 入にそう言われ、リオコは素直に頷いて礼拝堂を出た。

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