1-4

「ところで、蒼羽隊に入隊する時には、呪術で記憶を消されるらしいわね」

 六鹿は驚いて顔を上げたが、目有の顔を見て、冗談だと分かった。


「俺もそれ、聞いたことある」


「ほんと?」

 言い出しっぺの目有がなぜか驚く。


「蒼羽隊の宿舎で働いているやつが言っていたから、本当だと思うけど」


「私は、上司から聞いたんだけど、からかわれているんだと思ってた」


 煙羅国について、なんとなく自由で開放的な印象があった六鹿には、記憶を消すという過激な統制方法について、にわかには信じられなかった。


「でも、自分で憑き物退治をできるようになれば、外に出られるようになるのかもね」

 目有が食事の手を止めて言った。彼女が白壁の外へ出たがっていると感じることは、これまでにも何度かあった。


「ノウマもいるわよ」

 六鹿は少しいじわるを言った。


「まあね」

 目有は魚料理に戻り、三人はしばし食事に集中した。


 油隠にはハカゼという病気がある。昔から原因不明の死に至る病として存在するものだが、ノウマというその正体不明の生き物は、他の生き物をハカゼにすることができてしまう恐ろしい存在なのだった。また、ノウマはいつも憑き物を引き連れており、憑き物を操っているのがノウマだという見方が一般的だ。その正体は謎に包まれており、一つ目だとか、実は複数いるんだとか、憶測が飛び交っている。


 六鹿は昔一度だけ、ノウマを見たことがあった。


 カシャン、という音がして、そちらに目を向けた時には、机の上には紫の液体が広がっていた。お酒は目有の目の前まで広がり、咄嗟に堰き止めようとした彼女の指の間をすり抜け、白いブラウスを汚した。


 慌てて四蛇が台所へ走り、ふきんを目有に放り投げたが、ぬぐっただけでは取れそうにない。酢漬けに手を伸ばした際に、肘の内側でグラスを倒してしまったらしい。


「ごめーん」


 目有が顔いっぱいで謝罪を表現するので、六鹿は笑ってしまった。

 目有を自分の部屋へ連れて行き、服を脱がせる。着替えを用意しようとしたのだが、地味で安価な服ばかりが入った箪笥がなんとなく恥ずかしくなって、無難な白い服をそそくさと選ぶと、目有に渡した。六鹿の方が背が高いため、大きさは問題ないだろう。


「ごめん、自分で洗うよ」という目有の声に適当に返事をして、汚れた服を洗面所で洗った。良質な素材であることに途中で気づき、六鹿は痛まないようにそっと洗う。


 服を洗い終わり、しわができないように絞るにはどうすればいいものかと、工夫しながら水気を切ると、六鹿は居間へ戻った。


 不思議に思ったのは、目有が六鹿の部屋からまだ戻ってきていなかったからだ。居間では四蛇が机や椅子を拭き終わり、また食事に戻っていた。六鹿が目有の様子を見に行くと、彼女は六鹿の部屋の、箪笥の前に立っていた。


 目有は、険しい形相で何かを見つめている。


 すぐには言葉が出なかったが、やっと「どうかした?」と声をかけると、目有ははっとこちらを振り返り、「な、何も」と取り繕った。




 目有が帰った後、六鹿は、自分の部屋の箪笥の前に立った。ちょうど目有が立っていたところだ。あの横顔の意味はなんだったのだろう。怒っているような、驚いているような、いや、何かを必死に考えるような表情だったとも思える。


 腰までの高さの箪笥の上には、五馬の写真と、その前に形見である木彫りの人形が置いてある。


 六鹿は木彫りの人形を手に取った。子供を模したその人形は、芸術品と呼べるほどのつくりで、髪の流れや服の柄までわかるような精巧さだった。いったいどんな道具を使えば、これを彫れるのだろう。お腹の部分に、おそらく五馬自身の字であろう、消えかかっているが『文 五馬』という文字がある。どこかでこれを売るとしたら、この文字が書かれていることは大きな損失だろう。


 五馬はこれを、しゃべる山彦にもらったと言っていた。空想しがちで変わった子だったため、どこまで本当か分からないが、少なくとも、この人形に呪術がかかっていることは間違いない。五馬本人に身の危険が及ぶと、氷のように冷たくなるのだ。


 六鹿は、五馬の命の炎が消えてしまう、その時の人形の冷たさを思い出し、気づけば関節が白くなるほどそれを握りしめていた。

 木彫りの人形をゆっくり箪笥の上に戻すと、指先でそっと撫でる。五馬は生前この人形をいたく気に入っており、どこへ行くときにも持ち歩いていた。


 五馬亡き今、六鹿は彼と同じように、この人形を持ち歩いている。人形に執着することで、五馬を救えなかったという後悔を紛らわせているのかもしれない。

 六鹿には、今更人形を大切にしても、何の意味もないということは分かっていた。四蛇もたまに何か言いたそうな顔をしていたが、六鹿は気づかないふりをした。


 甲高い声でぺらぺらとおしゃべりする山彦を思い描き、六鹿は笑みを漏らす。おしゃべり山彦なんて……。


「いるわけないか」

 独り言を呟いた。

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