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 二人の暮らしている水無町は、かつて多くの人が暮らしていた。白壁の内側に沿う形で存在するこの町は、国の中でも特に安い土地のひとつだった。白壁の外にも町はいくつかあったが、国の定める条例が異なり、国民の生活に関する補助が薄くなる。そのため水無町は、貧しい人々が暮らすには最適な町だった。


 憑き物が初めて白壁の内側へ侵入してから、人々が去るのは早かった。国は迅速に条例を見直し、お金に余裕のない人でも、少し無理をすれば、『都』と呼ばれる赤壁の内側で生活できるようになった。

 現在赤壁の内側は、どこへ行っても、目が回るような人の多さだ。当時、条例の変更に反対していた都に住む人間のことを、薄情だと思ったのだが、その光景を目の当たりにすると、その気持ちが分からなくもない気がする。


 憑き物の発生によって、国の財産である油や石炭の採掘に危険が伴うようになり、それを採るのに膨大な費用がかかるようになった。

 国全体が困窮していく一方である今、快適な暮らしを維持しようとする段階はとうに終わってしまったのだ。


 家に着くまでに、人とすれ違うことはほとんどなかった。二人は、車庫に遊型車を停めると、その脇の階段を登った。二階が二人の住居だった。


 剥き出しの青白い電球に明かりをつけると、六鹿はすぐに帳簿を開いた。今回の仕事の成果をつけておくためだ。周りの建物に遮られて、日の光が全然入ってこないため、昼間であろうと明かりをつけないといけない。


「何時に来るように言おうか?」


 四蛇が、着替えをしながら六鹿に尋ねた。


「買い物は済ませてあるし……七時かな」


「七時……と」

 四蛇は壁に貼った浮文紙に、時間を書き付けた。


 浮文紙とは油隠に流通している便利な品物だ。二枚一組になっており、一方の紙に何かを書くと、もう一方にも同じ文字が浮かび上がるようになっている。呪術が取り締まられている九頭龍国において、その便利さゆえに目を瞑られている製品のひとつである。国内で求めるには貴重だが、国境のあたりまで行けば安価で手に入る。


 壁に貼った浮文紙の相手は、目有(メアリ)という女性で、今日うちを訪ねてくる予定だった。幼い頃よりちょこちょこと付き合いがある。身の上の事情が似ているためか、学生時代の友人たちよりも近しい存在だと、六鹿は感じていた。


 彼女は、白壁の外で憑き物に襲われているところを保護され、九頭龍国の人間になったそうだが、元々どこで生まれて、他の家族がどうしているのかは、聞いたことがなかった。

 六鹿、五馬、四蛇の三姉弟も、自分から話したがらないことを、わざわざ聞くつもりはなかった。ただ、肌の色と顔つきが九頭龍国の人間とは異なるため、好奇の視線にさらされていたのだとは思う。九頭龍国にはよそ者を許さない文化、そして噂話を愛する文化があるため、彼女にとっては嫌な土地かもしれない。


 目有は時間通りにやってきた。テーブルには、六鹿が作った魚料理と、四蛇が作ったハムや酢漬けが並んでいる。

 四蛇が地下の貯蔵庫から持ってき果実酒を注ぐと、目有は嬉しそうな表情をして、その透き通る紫を覗き込んだ。


「お仕事、お疲れさま」


 三人は小さく乾杯する。目有は魚料理を口に運び、「おいしい」と目を丸くした。


「今日はどこで仕事だったの」


「第九鉱業地点の新寄宿舎」


 酢漬けをぽりぽりとかじりながら、六鹿が答える。四蛇の作る酢漬けは、六鹿の好物だった。自分の作った魚料理にろくに手をつけずに、次々に口へ放り込む。


「もう、ほとんどすっからかんだね」


 四蛇はあの殺風景な町を思い出しながら、からっと言った。


「あっという間ね」

 目有が眉を寄せた。


「二人とも、本当に気をつけて。慢心しないでよ」と、大真面目な顔で目有が言う。


 彼女はここよりも赤壁に近い場所に住んでおり、彼女の職場は都の中心にある。目有のように特別な能力に恵まれてはいない六鹿と四蛇は、安全ではない、白壁の外での仕事でお金を稼ぐしか方法がないのだ。ただし、危険な分、見返りは大きい。


「蒼羽隊の人数が増えたらいいのにな」

 四蛇が期待していなさそうに言う。


 憑き物という化け物が不死身であるのは、誰もが知っている事実だった。この広い油隠で、憑き物を退治できるのは、煙羅国の蒼羽隊だけだと言われている。呪術を使って殺すことができるらしい。それで、九頭竜国はその蒼羽隊を借りるために、煙羅国へ多額のお金を払っているのだ。


「増やせば増やすほど国は貧しくなるし、憑き物の数に、際限があるのかも分からないよ」

 目有がまっとうな意見を返す。


「分かってるよ」


「私は、蒼羽隊の使っている呪術を教えてもらって、九頭龍国にも憑き物用の部隊を作るべきだと思う」


 四蛇が口を開く前に「無理だって、分かってるけど」と目有が口を尖らせて言った。


 九頭龍国では呪術を厳しく取り締まっているため、公的な呪術の軍隊を持つなど言語道断だろう。そのくせ、煙羅国にお金を払って蒼羽隊を派遣してもらっているため、若者からすれば、国のやっていることには矛盾を感じるのだ。


 かつてこの国は、この油隠という土地で一番栄えていたのだが、今では煙羅国にその立場をとって変わられてしまった。


「憑き物を殺す呪術って難しいのかな」

 目有が言う。


 呪術を自分で使うということなど考えたこともなかった六鹿は「どうだろ」と気の抜けた返事をした。


 呪術に対する抵抗感は、未だに若い人の中にも残っていた。年配者の中には、自分たちを守ってくれる蒼羽隊の人間に対してすら、いけすかない態度をとる人がいる。呪術を扱える目有からすれば、九頭龍国の人間の呪術に対する意識には、疑問を感じざるを得ないようだ。


 目有は、都の官庁で、呪術のかかった不正な書類を判別する仕事をしている。国内で呪術を扱える人間は非常に少なく、基本的には国によって任命された公認の呪師しか扱うことを許されていない。目有はこう見えて、この国の中でも選ばれし者に類するのだ。


「呪術って、練習すれば使えるようになったり、上手くなったりするものなの?」

 六鹿が目有に尋ねる。


「元々素質のようなものがないと、簡単な呪術だとしても、使うのは難しいと思う」


「素質ねえ」


「例えば、血縁者に呪師がいるとかね。ただ、使えば使うほど、というか、理解すればするほど、その術の効果が濃くなるものではあるわね」


「じゃあ目有なら、もしかしたら、その蒼羽隊の呪術も使えるようになるのかな」


「呪術を使うのって、仕組みというか、どういう力を使ってどういう具合で作用させればいいのか、理解しないと使えないの。だから、初めは教えてもらわないとできないと思う」


「ふーん」


 目有との関係を通じて、呪術という不思議なものについて、自分の中に好奇心が少しだけあることに気づいてはいたが、この国で育った六鹿にとって、呪術について不用意に知ろうとするのは、何か悪いことをしているような、どこか居心地の悪さを感じるのだった。

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