第54話 現浮世
帰ってきた私の世界。あのときあの時点だ。看板より後ろに立っておこう。
キャー!という悲鳴がこだまする。ドスンという音が聞こえた直後、私の姿が消えたらそりゃあ驚くだろう。
「うわ、危なかった。大丈夫二人とも?」
「うわー、生きてる!生きてる!死んだかと思ったじゃない。」
「あー、良かった。さすが葵じゃん。よく避けられたな?今の。いくら何でも神過ぎでしょ!」
「良かった~。良かった~。あああああ、よかったよ~。」
「はいはい。私は大丈夫だけど二人とも怪我はない?」
「ないわ。」
「ないぜぇ。」
うん。大丈夫そうだ。でも、一応救急車呼ぶか。
「あ。救急なんです。どこそこデパートのクレープ屋なんですけど、ええ、事故があって、えーとりあえず怪我人2人で、あ、店主も危ないかな。とりあえず2人巻き込まれました。」
結局君も救急車必要では?ってなって救急車で搬送される羽目になったのだった。
「葵君!無事なのか?いや、無事ではないな。玉の御髪が34本切れてしまっているじゃないか。」
「なんでお前が来るんだよ!あと、え、え、きっっっしょ。なんで髪の毛の本数分かるんだよ!」
「なんで?フィアンセが病院に搬送されたと聞いたら、駆け付けるのがスジというものだろう。そして髪の毛の本数が分かるくらい当たり前だろう。」
「まだ婚約してねえ!そしてせめて髪型で気づけ!本数で気づくな。髪型変わっても気付かないやつだっているんだぞ!お前が外れ値側だからな。偏差値が極めて低いんだからな。」
「偏差値の高低など問題ではない。しかし、なぜまだ婚約していないのだ?おれは確かに葵君のお父様を倒したじゃないか?」
そうなのだ。こいつは「俺を倒した奴だけだ!」と言い放った親父に、正々堂々正面からタックルを決めて倒した猛者なのだ。いや、親父だって弱くは無いのよ?
「いや、結婚に必要なのは両性の同意だろ。親父は関係ねえ。あと病院で騒ぐな!」
「あのう、病院内ではお静かにお願いしますね。」
「すみません。」
今、あの看護師さん、爆発しろとか言ってなかった?気のせいだといいけど。
「剛田、お前のせいで怒られたじゃねえか。」
「むう、すまない葵君。実際のところ大きかったのは君の声量だと思うのだが、まあいい。ところで、話が戻るのだが、「まだ」婚約してないって言ってなかったか?」
「え、あ、いや、言ってない。断じて言ってない。」
「むう。そうか。俺の聞き間違いだったか。しかし、甘美な響きだった。どうだろう葵君。「まだ」だけでいい。言ってみてくれないか?」
「嫌です。すごく嫌です。ほら、私の無事は確認したんだろ。ならさっさと部活に戻れよ。花園に連れて行ってくれるんじゃなかったのか?」
「ああ。その点なら問題ない。顧問の先生も行ってこいと言ってくださったからな。」
「ああ、そうだった。お前は気が散ることがあるとほかの部員を不注意で怪我させかねないもんな。くっそ、恨むぞ先生。いや、待て騙されるところだった。私の無事は確認したんだからさっさと戻れよ。」
「ダメだ。実はお義父様からも頼まれていてな。娘はどうせ無事だから、君が行ってくれればいいとな。」
「え?なんで親父がラグビー部に顔出してんの?あと、お前のお父さんじゃねえ。」
「ん?俺のタックルを見て思うところがあったらしい。技術交流と言っているが、今では時おりコーチをしていただいてるぞ。」
「へえ、知らなかったな。」
「ああ、葵君より言葉で説明してくれるから、とても分かりやすいぞ。」
「そんなこと言われても、見れば分かるじゃん?いや、そうでもないんだったな。」
「おい、やっぱりどこか頭打ったんじゃないのか?MRIとかしてもらった方がいいんじゃないか?俄然心配になってきた。」
「なんだよ。そんなに変か?」
「ああ、「見ればわかるじゃん」を撤回したことは、今までなかったじゃないか。」
「あああああ、うるさい!うるさい!」
「し、声がでかいぞ、葵君。」
「なら塞いでみろや。それかとっとむ!?あ!ちゅむ!」
「むちゅ!・・・もしかして煽りだったのか?すまない。」
「・・いや、別に。ブレスケアまで完璧だったからむかついただけ。」
「そうか。」
「あとなんで落ち着いてるんだよ。もっと舞い上がるとかさあ、ないわけ?」
「いや、今さらキスでドギマギするか?保育園以来どれだけの女性とキスしてきたと思っている。」
「なんでそれをカウントしんちゅ!?」
「葵君。病院内ではお静かに。」
「・・・ばか。誰のせいだと。あと、もううざいから呼び捨てで呼んで。」
まったく災難な一日だった。
「ただいま。」
「おう、遅かったな。剛田君もありがとうな。」
「いえ、葵さんのためならこのくらいなんでもありません。では、失礼します。」
おのれ剛田、こいつはやっぱり優等生なのだ。なんで私なんか好きになったんだ?変な奴。
「今日は災難だったな。やっぱり怪我はないんだろ。」
「親父が叩き込んだ武術のおかげでね。このとおりですよ。」
「叩き込んだ?7日見ていただけですべてマスターした奴の言葉じゃないだろう。父さん、あれはショックだったなあ。ともあれ怪我がなくてよかった。」
「なんだ神妙な顔して。迎えにも来ないくらい心配してなかったんだろう。」
「ああ、心配はしてないんだ。・・・葵、父さんが間違ってたよ。葵は好きなように生きなさい。この道場は私で末代とするよ。」
「あれ養子取るとか?直伝の弟子とかいなかったの?弟子なら昔はたくさんいたよね?」
「それは紫苑一刀流だ。お前にも教えていない家伝の武術、剣技:紫を伝えるに足る者はついぞ現れなかったからな。」
「・・・そういうことね。【
「!?葵、なぜその技を?」
親父をぶん投げる。さすが一端の武道家。ちゃんときれいに受身を取る。
「ん?紫苑一刀流から逆算しただけだよ。早蕨だって源氏物語だからね。きっとあるはずと思っただけ。」
「ははは、そうか。いや、葵ならやるかもとは思っていたよ。武術の根本は同じだからな。たとえ絶えたとしても、再び技を蘇らせる者が現れる。私の代で絶える覚悟を決めてから自分にそう言い聞かせていたが、まさか自分の娘がそうだとは。これも皮肉だな。」
「うん。そうだね。」
「ねえパパ。私もね、パパの言うとおりに好きなように生きることにしたの。この道場は私が継ぐよ。」
これ以上言葉は要らない。顔を見れば分かる。武術家とはそういう生き物だ。父が泣くのを見るのは3度目だと思う。
一度目は母の葬式のとき。生まれたばかりで目も開いてなかったはずだ。間違いなく泣いていたはずだ。
二度目は剛田のタックルを受けた時、私が嫁に行くと言って泣き喚いたっけ。剛田が大丈夫ですお父さん、私が婿入りしますとか謎のフォローしてたから、二人まとめて飛び蹴りを食らわせたんだった。
これが三度めか。湿っぽいのは嫌いなんだよ。
「そうと決まったらやるぞ、修正申告!私が継ぐときに負債を残されるのはごめん被るからね。親父の分は親父の代で清算しとくからな。」
あーあ私まで泣いてるじゃない。締まんねーな。
終
剣技:紫 ~源氏物語厄介オタク御家人の末裔はその武術で異世界を切り拓く~ 戦徒 常時 @saint-joji
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