青春の思い出
ラピ丸
青春の思い出
「ねぇ、何聞いてるの?」
問いかけに意味はない。ただ、次の時間までの休み時間にたまたま暇が出来ただけだった。
隣の席の彼と、特に仲が良かったわけではなかったけれど、気まぐれに声をかけてしまったのだ。
彼は驚いた様子でイヤホンを外すと、少し考えてから、
「普通の曲だよ」
それだけ。再び耳にはめ直して自分の世界に戻っていった。
「なんて曲?」
もう一度、問いかける。
今度はおへそを彼に向けて、より聞く体制を整えて。
彼は少しだけ鬱陶しそうだったけれど、それ以上にどこか萎縮した様子だった。
「言ってもわからないと思うよ」
「なにそれ、言わなきゃわかんないじゃん」
それがほんのりと拒絶の色を交えていることをわかった上で、食い気味に訊く。
強く拒否する理由もなく、彼は応える。
「――――だよ」
なにそれ。
「知らない」
当然と言えば当然だ。私と彼とでは音楽の好みなど合うはずもないのだから。
そうして、会話は途切れた。
元々私が一方的に質問してただけなので、私が話すのを止めればもちろん会話は途切れるのだけれど。
スマホで適当に調べる。すぐに曲はヒットした。スピッツというグループが歌っていた。
次の日も、なんとなく話しかけた。
友だちが風邪で休んでいたからだ。
「昨日の曲聞いたよ」
ほんの気まぐれ。特に他意はない。
だけど、彼にとってはそうでなかったようだった。
「……そう」
素っ気ないフリをしてはいるけれど、誤魔化せない。
眉が動いてしまっている。
面白いのでもう少しからかうことに決めた。
「感想、いいの?」
「別に、気にならないし」
「嘘つき。気になる顔してるよ」
「……」
私と反対側にそっぽを向いてしまった。あらら。
深追いはするまいと授業が始まるまで仮眠でもとろうとしたら、蚊の消え入るような声がした。
思わず聞き返す。
「ん?」
「……ど、どうだったの?」
隣の彼だ。
「やっぱり気になるんじゃん」
「参考にだよ」
面白い子だ。
私は彼の耳元にこっそり教えて上げることにした。
「まぁまぁだね」
彼はその後気を害してしまったのか、私と目を合わせようとしなかった。
一週間後、今度は彼の方から話しかけてきた。
それは数学の授業の前で、私は一人提出する課題を猛スピードで仕上げていた。
「その課題、今日の範囲じゃないよ」
おずおずと、けれどハッキリした声に、私は愕然と彼の顔を見るしかなかった。
「嘘だ」
「本当だよ。今週のはここから」
彼が示すページには確かに先週の日付と先生のはんこが押してあった。
「マジじゃん」
なんてことだ。これは、大変な間違いを犯してしまった。
大幅な時間のロスと、これ以上はロスできないという思いが素早い行動につなげてくれる。
すぐさま今週分にとりかかる私に、珍しく彼から話題を提供してくる。
「先週何やってたのさ。ちゃんと提出してないでしょ」
「たはは、手厳しいな。今週で追いつくからいいの」
「……ほどほどにしておきなよ。僕らももう三年生なんだから」
ふと、手を止めて彼の顔を見る。
三年、か。
「君は進学するの?」
彼は私よりはよっぽど勉強が出来た。
私ですら親から言われるまでもなくなんとなく進学するんだろうなと考えているのだ。彼はもう具体的にどこどこ大学へまで考えていてもおかしくない。
けれど、この問いかけに彼は少しの間を空けて、
「まぁ、そうだね。ほどほどかな」
彼の言葉の意味がわからずに、私は結局課題を終わらせられなかった。
夏休みに入る頃には、私は彼と少し話すようになっていた。
夏休み前の空気が私は好きだ。学校という制限から解放されて長い休暇に入る人達の表情には、多かれ少なかれ楽しみの色が見える。それが好きなのだ。
けれど、彼は夏休みにちっとも浮き足立っている様子はない。いつも通りすました様子で机に向き合っている。ぱっと見は面白みのない人だ。
担任の適当な話の後、友だちと話す前に彼へ声をかける。
「夏休みだね」
「といっても、僕らは補習で明日も学校だけどね」
やれやれ、彼は何もわかっていない。
私はかぶりを振って机に腰掛けた。
「夏休みという事実が大事なの。雰囲気、ムードってやつ。わかんないかな、君には」
「おあいにく様、わかんないんだごめんね」
まったく悪いともごめんとも思っていない軽口。
ほんのり顔を赤らめながら話すのが彼らしいと、最近わかるようになってきた。
「千春ー、帰ろーー」
教室の入り口からお呼びがかかった。
振り返って返事をする。
「今行くーー。じゃ、そういうわけだから、また新学期に」
「補習サボるの?」
「様式美だよ。じゃあね」
ウキウキ足取り軽く席を後にする。
彼は机に向かって勉強を始めた。
これが私と、彼の関係だった。
彼は補習に来なかった。
私と彼が補習で会うことはついぞなかった。
担任から、彼が転校したと聞いた。
親の事情だとかで、海外へ行ったらしい。
隣の席はぽっかりと穴が空いたようだった。
私と彼は特段仲が良かったわけではない。
たまたま高校の三年の時に、たまたま隣の席になって、たまたま少し話しただけ。
ほんのちょっと人生が交差しただけの関係で、それ以上でも、それ以下でもない。
彼がいなくなっても、私の生活は変わらない。
寂しいという思いは、存外わかなかった。思ったよりもなんでもないことと受け取っている自分が、少し冷たいのかな、なんて考えて、ちょっとだけ嫌になった。
「またねって言ったのに」
果たされなかった約束だけが、宙を漂って消えた。
ある日、街角から懐かしい曲が聞こえた。それはあの日、彼が教えてくれた歌だった。
私は大学生になって、彼氏も出来て、色んな経験を積んだ。
聴く音楽も変わって、付き合う友人のタイプも変わった。
それでもふと、風と共に流れてきた音楽に、高校時代に見た彼の面影が浮かんだ。
きっと彼も変わっているし、もう二度と会うことはないのだろう。
彼を好きだったわけでもない。
けれどどうしてだろう。彼の面影が浮かんで、ほんの少しだけ懐かしく、嬉しくなったんだ。
夏の風が頬の横を通り抜けていった。
青春の思い出 ラピ丸 @taitoruhoruda-
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