白銀の世界に溶ける
土原景文
白銀の世界に溶ける
しんしんと降りつもる雪が、遠くの景色を白く塗りつぶしている。
辺り一面がやわらかな白銀に覆われた、丘の上。静かにその雪をかぶった、一本の樹木の下に僕は立っていた。
かじかんだ両手を白い息であたためる僕の横で、彼女がカメラのシャッターをきる音が聞こえる。
「ごめんね。寒いなか、付き合わせちゃって」
そう言いながら彼女も、カメラを持つ手に息を吹きかけていた。
「いいよ、全然。暇だったし」
そう答えると、そっか、と彼女は言って、再びファインダーをのぞきこむ。
降りしきる雪には、音がない。
静寂のなかで聞こえるのは、彼女が落とすシャッターの音だけだった。
このカメラは、以前にお父さんが使っていたもののお下がりのようだった。
カメラを構える彼女の白い手に、吐き出された白い息がかかっている。
僕は、そんな彼女の姿と真剣な瞳の光を、横から静かに眺めていた。
「そういえば、なんで急に写真なんて撮ろうと思ったの?」
ポケットに手を入れながら僕が訊くと、彼女は視線だけをこちらへ向けて、答えた。
「この景色も、しばらく見れなくなっちゃうから」
その言葉を聞いた僕は、そっか、と小さくつぶやいた。
そうだった。春になったら、彼女はこの街から引っ越してしまうのだ。
昔から仲の良かった彼女は、相変わらずの無表情で。ここを離れることを、どれだけ寂しく思っているのかは、僕には分からない。
いや。もしかしたら、寂しく思っているのは、むしろ――――
沈みかけた気持ちを振り払うように、僕は目の前の景色に目を遣った。
この季節。ここから見える壮大な雪景色は、昔からずっと変わらない。
見ていると、まるで時の流れさえも忘れてしまうような。それほどまでに見る者を魅入らせる美しさが、目の前にはあった。
僕も彼女も、昔からこの場所が、本当に好きだったのだ。
「また、大学とかでこっちに帰ってこれたらいいけど、それでも何年かは先になっちゃうし」
ファインダー越しに白銀の景色を眺めながら、彼女は続ける。
「いつでも思い出せるようにね。好きなものは、写真に撮っておきたいなって思ったの」
ふうん、と僕はつぶやきを返した。言葉とともに出た白い吐息が、むなしく空に消えていく。
昇っていくそれとは反対に、白い雪はとめどなく、静かに降りつづける。手のひらでその一粒を受けると、たちまちその雪は溶けてなくなってしまった。
目の前の雪景色と、その上に広がる冬の空はいつも、美しさと同時にどことない儚さを感じさせる。
この雪が、すべて溶けて消えるころには。
僕の心のなかにあるこの寂しさも、少しは消えてくれるだろうか。
「その、だからね……ひとつ、お願いがあるんだけど」
静寂のなかに零れた、彼女の言葉。
気がつくと、シャッターの音は聞こえなくなっていた。
目を向けると、彼女はカメラをおろして、真っ直ぐに僕を見つめていた。
なに、と訊くと、彼女はしばらく結んでいた口を、かすかに綻ばせて。
「あなたも、写真に入ってくれない?」
白い吐息とともに、そう言った。
それくらいなら、いいけど。と言いかけた僕だったが――――
やがてその意味に気づいたときに思わず、え、という声がもれた。
驚く僕の顔を見て、彼女は少し赤らめた頬をマフラーにうずめる。
そして、それを見せまいとするかのように、僕に向けてカメラを構えた。
この冷えきった、どこまでも美しい、白銀の世界で。
そのなかの、なによりも綺麗で、なによりもあたたかい。
そんな微笑みを、手に持つカメラの向こうに隠して。
白銀の世界に溶ける 土原景文 @t_kgfm
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