7.or you (葬列)


  7



 手招きされ二階へ上がると、すでにカーテンが開かれていた。

 ほの明るい窓辺で、ふたり並んで通りをみおろすと、柩があった。正確には、小さな柩とその葬列があった。


「……だれが死んだの?」

 おそるおそるわたしは尋ねた。眼下を見下ろすミクス.ラムは、あそこに花があるよ、と教えるかのような、やわらかい声で名前を告げる。

「マクス・ホーギャンだよ」

「町の子どもはたくさんいたわ。いったいどの子?」

「君を呼び止めた子どもだよ」

 腰砕けになった母親が、縋りつくように、顔を覆いながら列の跡に続く。

 死んでよかったね。ミクス.ラムは笑った。



 赤ちゃんの頃からマクス・ホーギャンの子守を務めていたというミクス.ラムは、このまま柩のあとをついていくのだと言う。わたしは口ではふうん、と相槌を打ちながらも、内心ではひどくうろたえていた。ミクス.ラムが出かけることについてではない。これはひとえに、少年が死んだことに対する動揺だった。


 誰もいなくなった通りから目を離し、窓から離れ、階下におりると、喪服に着替え終えた死神がいる。わたしはその姿を見送ったあと、ひとりきりになった室内で、落ち着きなくウロウロと徘徊した。とても腰を落ち着けて花を写す気分にはなれず、かといって、じっと家主の帰りを待つことも出来そうにない。意味もなく二階と一階を上り下りし、寝台に腰かけてぼんやりと窓の光を眺めたり、一階に降りて隅から隅まで歩いたりした。けれど、小屋のような家の中ではそれもたかが知れている。なにか簡単な行動で無心になろうと、食器棚の皿と、グラスの数を数えあげた。大皿が二枚、中くらいの皿が八枚、小皿が九枚。グラスは五客。フォークやナイフ類は引き出しに仕舞われているのか、見当たらない。

 そんな具合に、室内のものをひとつひとつ単語に置き換える作業をしていた。テーブルクロスは薄緑、階段下のスペースには埃、鄙びた棚、薄暗くてよく見えないけれど、色褪せた家族写真。——ごく、ありきたりな。一般的な、ふつうの。暖炉には灰、そして埃、燃え尽き損ねた蒔の欠片、火かき棒。ボロボロになった毛皮の敷物、クローゼット、壁には、子どもが描いたと思われる聖像画らしきもの。

 こうして改めて室内を観察すると、ここにはいないかつての住人たちの気配に似たものが、澱のように沈殿しているのが感じられた。

 わたしはひとつひとつそれらを発見することによって、かつての人の気配が立ち昇ってくるかのような錯覚に襲われた。今のわたしにとって、人の気配というのは、たとえそれが、思い込みの霊であったとしても、怖いものだった。

 窓辺から椅子をひっぱってきて、陽のあたらない場所へと持っていき、こしかけた。そうして背をもたせ、ぼんやりと、天井をみやる。

 昨日の出来事を反芻した。少年の声、ちいさな唇の赤さ、凛とした眼差し、風の冷たさ、わたしを取り巻く子どもたちの目。投げかけられた言葉は、一言一句思い出すことができたけれど、途中で首を振って、息をついた。


 ——死んだのか。


 物憂げな、静かなひとときだった。まるで葬列が、町のざわめきを全て攫っていったかのようだった。あるいは、町全体が死んだかのようだった。けれど世界は、変わらず日が照り、草木がそよぎ、雲はながれ、空は澄んでいた。わたしはそれを、少し離れた場所から、窓を通して眺めている。


 やがて、窓から見える通りにぽつぽつと人影が現れはじめる。

 ミクス.ラムが帰ってきた。


「おかえりなさい」

「ただいま」

「どうだった?」

「柩は無事埋葬された。大人も子どもも泣いていたよ」

「そう」


 と、気だるく返事をする。瞬きをするのも煩わしい。

 私情ではないとはいえ、自分で狩った命の埋葬を見届けるというのは、どんな気分なのだろうとわたしは思った。けれど答えはなんとなくわかっていたから、あえて質問はしなかった。摘んだ花の衰弱を悼む人間はいない。

 恨んだ人間が死ぬというのは、どんな気分なのだろう。まあ、快くはなかった。

 ただ沼のように底のない後悔だけが、わたしの胸をふさいでいる。


「わたしが願ったから、死んだの?」

「まさか。三月十日、明朝三時に突発性心臓発作で亡くなる。今日があの子の命日だった。」

「ふうん」


 わたしは不思議に思った。無実の子どもが亡くなり、大罪を犯した子どもは生かされている。これは、いったいどういう了見なのだろう。

 だから神などいないというのだ。わたしはつくづく、信仰というものはばからしいと思う。


 ミクス.ラムは会話をしながら、遅めの朝食の準備をしていた。わたしはその音を、断頭台に昇るじぶんの足音のように聞いている。緩い牢屋。囚人は与えられるものだけを拝受する。与えられたものだけで贖う。自分が死に至るまでの間。わたしが昨日外に出向いたのは、身分不相応の行いだった。罰があたってしかるべきだったのだ。

 用意ができたと声をかけられ、体を起こして椅子を持っていく。テーブルにあるものを見て、わたしは目を見開いた。

 ブローチがあった。


 顔を上げると、ミクス.ラムは向かいでカップに砂糖をいれている。わたしのカップに二つ、自分のカップに一つ。音のない室内に、カラン、カランと音が投じられた。そうして、驚いて立ちすくむわたしを見やり、日陰の花のように微笑んだ。


「もうひとつ、プレゼントがある」

「……だれから」

「マクス・ホーギャンから」


 向かいの人が座ったので、わたしもつられて椅子に腰かけた。

 ミクス.ラムが取り出したのは、真新しい、靴の形をしたブローチだった。それは宝石ではなかったけれど、光沢のある糸で丁寧に縫い込まれていた。

 わたしは、口を閉ざしている。紅茶の湯気が立ち昇る。わたしは、どれにも手をつけられないでいる。


「……」


 子どもをひとり失った、しずかな町の通りを、ゆるやかな午後が過ぎようとしている。


「神さまを信じない?」

「……ええ、決して」


 立ち上がったミクス.ラムはテーブルを避け、こちら側へ歩み寄ると、消えた小さな命を惜しむように、わたしの胸に、真新しい緑のブローチを取り付けた。


「こんなに優しいのにね」


 まるで神さまが憐れだとばかりに、そして、出来の悪い子どもをいさめるように、そう呟くと手を離す。

 紅茶から湯気が立ち昇る。わたしは、どんな顔をすればいいのか分からなくて、早く夜になればいいのに、そう願った。


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