6. or you(略奪)
声をかけられたわたしは、代り映えしない日々が終わった、と思った。
不測の事態が起ころうとしている。わたしはどぎまぎしながら振り返る。
そこには、さきほど町中で目が合った少年がいた。
「おまえ、死神なの?」
「……」
「この町で春がくる前に森に入るやつはいないよ」
「……」
「やっぱり死神なんだ。」
少年は、わたしを幾度かみたことある、というような目つきでわたしの全身を眺めた。わたしは弁解しようとしたけれど、どんなふうに説明すれば咄嗟に思いつかず、口ごもる。それに、話せば話すほど、怪しまれるに違いなかった。
やがて少年の元には仲間たちがわらわらと集まってきて、あっという間にわたしを取り囲んでしまった。さながらそこだけ魔女裁判の光景だ。外野たちは口々に何かを言い始める。
「その胸についているブローチ、怪しいわね」
「きっとあれがなにかしらの魔力を持っているんだ」
「あれを奪ったら、死神はなにもできないはずだ」
町の子どもたちが、勝手な独自の理論を展開しているのを聞いて、わたしは戦慄した。初対面の人間たちに取り囲まれたあげく、冤罪を蒙り、なおかつブローチを取り上げられようとしている。頭が真っ白になったけれど、このままじゃいけないと、わたしは意を決して口を開いた。
「これは渡せないわ。大切なものなのよ。それにわたしは死神じゃない。」
と言ってみたものの、誰もわたしのことを信用している気配はなかった。わたしはこのときほど、対峙する人間たちが違う生き物に見えたことはなかった。町の子どもたちは誰もがただしく、健康で、人間然としている。対するわたしは人ならざるものと断定されている。わたしは大勢から判を押されることによって、ほんとうに違う生き物になってしまった例を実感していた。
が、そんな悠長なことを言っている場合ではない。わたしはなんとしても、ブローチを死守したかったのだ。これは今なお着ている洋服とおなじく、家から持ってきた大切なものだったのだ。
少年たちは一斉に襲ってきた。それは悪霊を滅さんばかりの勢いで、最初応戦の構えを示していたわたしはあっという間に取り押さえられ、ブローチをはぎ取られてしまった。
「返せ!」
あがけばあがくほど、うち傷擦り傷が増えだけで徒労に終わった。「これで町の人は誰も死なない」。少年たちは鬼の首をとったように喜んでいた。わたしはそれを怒りのにじむ目で見つめていた。少年たちは疲れ果てたわたしの肢体をおのおの持って、暗い森に連れていくと、ぽいと放り投げて「死神を葬った」と笑いながら駆け出して行った。
さいわいにも入り口の近くだったので、わたしは間を置かず広場にもどることができた。森の入り口には、食べそこなったクロワッサンが落ちていた。身を切るような風が吹いている。大空には思い出したかのように夕闇がせまり、広場を覆う森の影が濃くなった。
6
家にはミクス.ラムがいた。満身創痍のわたしの見た目は、恐らく死神というよりかは聖水をかけられて憔悴する悪魔だったに違いない。
花を探しにいったら町の少年たちがいて、死神よばわりされたこと、ブローチが怪しいと言ってはぎ取られたことなどを話した。本物の死神は他人事のように笑っていた。
「これで明日だれかが死んだら、きみは死神確定だろうね」
七歳の誕生日だった。ママは出かける際にいつも、胸元にガーネットのブローチをつけていて、わたしはそれがほしくて強請ったのだった。
ママは誕生日にプレゼントしてくれた。
その日から、あのブローチをつけない日はなかった。
わたしはあの子どもたち、というよりも、人類にたいしてふつふつと怒りがわいた。あんなのを野放しにしておいてもいいのだろうか。ああいうやからが、いつか大きくなって、人を痛めつけ、ひとつの家族を不幸にするにちがいない。
「死んでしまえばいいのよ」
ミクス.ラムが家の中のあかりをつけていた。部屋には重々しい沈黙が流れ、わたしはその焔を見ていると、にわかに寒気がした。
——轟々と、音がする。撒いたガソリン、外の窓から放った火。その隙間から見えた、椅子に座って深く眠るわたしのママ。
だめだ、と思った。耳の奥から鈍い音がする。あっというまに頭を支配して、目を開けられなくなる。かつての焔の音と、だれかの哄笑と、いろんな声が混ざり合って、心臓がその内側からナイフが生じたかのように、痛みを訴えだす。
「けれどだれもきみほどには悪いことをしていないよ」
虫の羽音がする。みちみちと脳をうめつくす音がする。幻聴が螺旋を描いて耳の奥で渦巻いていた。
「死刑囚には石を投げてもかまわないの? 何を奪っても構わないの? 許されるの? ならわたしだって許されるはずよ」
わたしは目をとじて悶えたまま、口だけをひらいて反抗する。
そうして、はたりと我にかえる。どうなのだろう。わたしは。
好き好んで罪を犯したわけじゃない。耐えられなかったから。もう我慢できなかったから。
気持ちのわからない人間に、どうして非難されなければならないのだろう。
どうして誰もが同じ目に遭わないのだろう。どうして?
まるで悪霊たちがわたしの中にある祭壇を荒らすかのようだ。唾を吐き、嘔吐し、供物を払いのけ、土足で踏み荒らし、高笑いをする。
その暗闇の向こうから、玻璃のごとき声がする。
「浅ましいと言っているんだよ。君から大切なものを取り上げたのは、少年や、町の子どもたちじゃない。彼らの姿をかりた神さまだよ」
——次、目を開いたときには、テーブルの上に花があった。
焔が消えかかっている。部屋は墨を煮詰めたような暗がりで、花はその中でぼんやりと白く佇んでいる。
空しくなって、そっと花に手を伸ばす。
なんの意味があるのだろう。こうして毎日おなじ日々を繰り返すことに。わたしのどうしようもなかった生に。わたしたちの家族に。
空しくなって、花をぐちゃぐちゃにしようとして、やめた。
苦痛をもたらすものは、すべて壊した。
ほかに壊せるものがないのなら、まず一番にこの体を壊したい。
寝台にもいかず、椅子に座ったまま目を閉じた。なんどもおかしな、浅い夢を見て朝に目覚めたとき、ミクス.ラムから聞かされたのは、昨日の少年の訃報だった。
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