2. or you (生活)

  2


 

 わたしの一日はミクス.ラムと寝室のカーテンを開けることから始まる。ママを殺してからというものの、幻聴と頭痛に悩まされるわたしは、朝一人で起き上がることができなかった。金縛りとおんなじで、誰かの手を煩わせないとその病いから抜け出すことが出来ない。ミクス.ラムはそれを知ってか知らずか、いいや恐らくはよく承知していて、朝になると二階の寝台までやって来てくれるのだった。


 黄ばんでシミのついたそのカーテンは酷く古めかしく、所々ほつれていて毛玉が目立つ。その厚手のカーテンをさっと開けると、カーテンレールに積もった埃が部屋中を舞って、朝日に反射しラメように煌めく。このときには既にミクス.ラムの姿はない。わたしは氷のごとく冷え切った窓ガラスから町を眺めたあと、暗い階段を通って一階に降りたつ。そこには一面、朝の白い陽光が射している。


 霜が降りる二月の朝、されどもこの狭い家の暖炉に火が灯ることはない。家主のミクス.ラムはいわゆる普通の“人間”とはつくりが異なっているため、寒さを意に介さないのだ。彼に性別はないし、生命を維持するためのもの、たとえば食欲のようなものもない。眠りも必要としない。どうやら必要なのは水分と嗜好品の洋酒だけ。そうしてたまに、角砂糖一つぶんの甘み。彼はわたしたち人間と同じかたちをした“なにか”であって、けれども決して同じ人間ではない。感覚でいうならば触れられる幽霊。それも命をうばうもの。わたしの認識の範囲内でいうならば、ミクス.ラムは死神だ。


 そんな死神であるミクス.ラムが朝テーブルに用意してくれるのは湯気だった紅茶、固いパン、そしてたまにフルーツ。それらが白いお皿に盛り付けられる。ミクス.ラムは白が好きなのだろうと思う。反対に、色のついたものが苦手なのだろうと思う。わたしが初めてここへ来たときも、彼はこの家の洋箪笥にあったという白のワンピースを用意してくれた。けれどもわたしはその洋服に袖を通したことがない。ママを殺したあの日と同じワンピースを着用し続けている。そのせいもあってかわたしの格好は酷くみすぼらしいけれども、自分にはこの汚れたワンピースが相応しいと思っている。わたしは今後わたしの人生を生きることはない。だから新しい服を着る理由はない。もし仮にあるとすれば、死装束だ。わたしを殺した暁にはきっとミクス.ラムはあれを着せて死体をクレッサント川へ流してしまうのだろう。


 窓際のテーブルについたわたしは、ティーカップに角砂糖を入れる。わたしのカップには三つ、ミクス.ラムのにはゼロ個。これがお決まり。人が死ぬと、死神のカップには砂糖が一つ。これもお決まり。砂糖を入れ終わるとミクス.ラムが紅茶を淹れる。わたしは瓶蓋を閉める。


 カップの中身をかき混ぜて、砂糖を溶かす。ティースプーンをソーサーに置くと、淹れたそばから冷え始める紅茶を飲む。

 ミクス.ラムはどこからか新聞を持ってきて、退屈そうに読んでいる。

 自分が手にかけた人間の名前でも探しているのだろうか、と考えていると、不意に目が合った。


「なにか」


 わたしはまさか心中をそのまま述べるわけにもいかず、つと押し黙った。


「死神がこんなに美しいものだとは思わなかった、そういう話よ」

 嘘ではなかった。事実、わたしの目の前に座る人は、あたかもガラスの糸で縫い上げた人形のように美しい。

 ミクス.ラムは笑った。なにも言わなかった。

「どうして笑っているの?」

「人はね、ローイア。今際に見たい景色をこの身に投影している。ぼくはスクリーンなんだよ」

「……ならその実体は?」

「知らない。神さまだけが知っている」

「……神さまですって?」

「ええ」


 ミクス.ラムの口から神さまの話が出てくるのは意外だった。わたしは無神論者だ。

 だけれど、死神がいるというのに、神が存在しないなどというのはあり得るのだろうか?

 だけどわたしは信じたくはなかった。神さまなんていない。誰も救われることなどない。


 ミクス.ラムは新聞を畳むと立ち上がった。出かけるのだろう。死神はその本業のほかに副業もしている。ベビーシッターや子守などを。

 ティーカップをシンクへ運んだミクス.ラムは、玄関にかけてあった外套に袖を通すと、扉の把手に手をかけ、こちらを振り返って尋ねた。


「花は萎れた?」

「ええ」

「じゃあ、新しいのを持ってくるから」

「次はもう少し簡単だと嬉しいわ」

「簡単、ね。スイセンならそこらじゅう生えているよ」

「じゃあ、それで」


 しばらく間を置いたあと、「いい時間を」と言い残して、その人は家を出た。

 置いていかれたわたしはひとり、冷めた紅茶を飲んでいた。


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