第4話……親友の嘘

 壬生さんへの想いを綴ったノート。最初のページは出会った時の事を書き記し、夢での出来事を付け加えた。

 2ページ目は運動会についてだ。特に書くことがなく、単純に鉢巻きを巻いた壬生さんが可愛かった。としか書いていない。

 前回と同様、下の行に夢の中の出来事を書き足していると、ふっと閃くものが2つあった。


 1つは、このノートに書いてある時系列順に夢を見ているんじゃないか。

 もう1つは、前の夢の出来事が、次の夢に反映されているんじゃないか。


 2つ目は願望も入るが、運動会の時、本当に壬生さんと会った記憶がない。もし、初めて出会った時に会話を交わしていなかったのが原因だとすると、夢の中で会話をしたことがきっかけで、運動会のリレー前に会い、鉢巻を結び直す事象が発生とも考えられないか?


 たしか3ページ目は中学の時のことを書いていたはずだ。


 ページを捲ると、文字の上に水滴が落ちたような跡があり、所々滲んでいた。あっ……と、当時を思い出すと、気が滅入った。

 書いてあった内容は、壬生さんが3年生の彼氏と歩いている姿を目撃してしまった時の心境だ。


 そういえば、泣きながら書いていた記憶がある。この水滴のような跡は涙か。


 あの時の壬生さんは、本当に楽しそうに笑っていた。その所為かテンションが高く、すれ違った時は『あっ! ヒクソン、バイバイ!』って大きな声で言われたな。

 只でさえ気を落としていたのに、壬生さんが発した『バイバイ』という言葉が、『ヒクソンの初恋は終わったんだよ』と直接、本人から告げられたように思えて、涙を堪えながら帰宅したことを思い出す。


 しばらくして、はっと我に返る。そうだ、物思いに耽ってる場合じゃない。もし、次に見る夢が中学の時だったら、運動会の出来事がどう反映されるのか気になる。それにあとは4ページ目の高校の時の心境で終わりだ。


 一喜一憂しているが、現実は変わらない。だからこそ、せめて夢の中でもと思うのは、見苦しいだろうか――



 引っ越しを終えて一週間が過ぎた。その間、夢を見る事はなかった。


 変わり映えの無い毎日がこうも続くと、暇をもて余すことの多くなる。陽もまだ高い。どうしたものかと思案していると、スマホから着信音か鳴る。画面には戸田健太郎とだけんたろうと表示されていた。


 健太郎は中学2年からの付き合いで高校も一緒だった。健太郎の結婚を機に、最近は2年ほど疎遠になったていが、それを除いても、7年来の友人だ。もちろん、壬生さんのことも知っている。


「はいよ」

「よう、恵一。久しぶりだな」

「ほんと、久しぶりだな」

「今晩、久々に飲みに行かないか?」

「いきなりだな、何かあったのか?」

「俺の性格、知ってるだろ? 『はい』か『いいえ』どっちだ?」

「わかった。飲みに行こう」

「よし。じゃあ、いつもの居酒屋に8時頃にな」

「了解」


 健太郎にも病気のことを教えなければ――



 運よく座敷が空いており、顔なじみの大将が案内をしてくれた。この居酒屋も5年ほど通い続けている。レジカウンターの上には、変わらず油とヤニの付いたマイナーな芸人のサインが飾られていた。


「久しぶりだね、恵一くん。お通しはサービスしとくよ」

「ありがとう、大将。健太郎も来るから2人分ね」

「もちろんだ」


 しばらくして自転車のブレーキ音が鳴る。ガラガラと引き戸を開け、周りを見渡す健太郎に手を振った。


「待たせたな」

「いや。こっちも大将に案内されたばかりだ」

「そっか。大将、生2つ!」

「はいよぅ! 生2つ入りましたぁ!」


 大将の語尾を上げる、特徴的な掛け声が懐かしい。


「お前、痩せたか?」

「あぁ、ちょっとな」


 少し出来上がってきた頃に話そうと思っていたが、最初から重苦しい空気になりそうだ。


「そんなことより同窓……」

「健太郎、実話な……」


 お互いの言葉が被り、僅かな沈黙が生まれた。


「お前から言えよ」


 何事も早い方がいい。


「健太郎。実話な、余命宣告を受けてるんだ」


 健太郎は特に驚くこともなく、深くため息を吐いた。


「やっぱりか……」

「何だよ、やっぱりって」

「虫の知らせだよ、虫の知らせ」


 健太郎はちょっとした不思議な力を持っている節があった。


 話によれば、1ヶ月ほど前、不意に恵一に会わなければいけないと強迫観念に襲われたそうだ。それが何を意味するのかと疑問に思っていたらしいが……。


「その答えが今日、分かったよ」

「悪いな」

「いや、俺も生前の父親を見て知っている。癌か?」

「腎がんだってさ」

「そうか……。いつまで持つんだ?」

「長くはないかな」


 店員から生ビールが届く。健太郎は喉を鳴らしながら、あっという間にジョッキを空にした。


「おい、乾杯は?」

「出来るか、そんなもん」

「だよな。そうだ、さっき何を言いかけたんだ?」

「ふぅ……」


 気持ちを落ち着かせようとしたのか、少しの間を置いて続きを話した。


「SNSで高校の同窓会をやろうって連絡が回って来たんだよ」

「そんなの来てないぞ?」

「お前に会う口実に、俺から伝えると約束したからだよ」

「予定はいつなんだ?」

「9月の予定だ」


 余命宣告を過ぎた頃か。


「あぁ! 俺らに辛気臭い話は似合わねぇよな?!」

「当たり前だろ!」

「よし、飲もう!」


 いつもそうだ。健太郎は場が沈んだ空気に包まれた時、率先して奇行に走ったり、場を和ませるためにバカをやる。たとえそれを良しとしない奴に何を言われようがお構いなしにだ。


 久しぶりに会っても変わって無かった。そんな健太郎と友達になれて本当に良かったと思う。


 生ビールも3杯目だ。そろそろ麦芽と別れようという話になり、健太郎は冷酒を2つ注文した。言いたいことを気にせず言える人間が居ることは幸せだ。


 会話は途切れることなく続き、やがて自然と出会った頃の話になっていった――



 健太郎が初めて話し掛けてきたのは、中学2年の夏休み前だった。最初の言葉は衝撃的で、いまでもはっきりと覚えている。


「氷川だっけ? お前、生きてて楽しいか?」


 当時、確固たる意思を持ち合わせておらず、周りと意見が合わないと思っても反論する芯の強さがなかった。

 挙げ句に相手の気持ちを優先しているからと言い聞かせては、望まない結末にも耐え、これで良かったんだと自己完結させていた。


 そんな生き方が楽しいのか。周りと接する姿を見る度に、健太郎はそう疑問に思い、たまらず話し掛けたとあとから教えてもらった。


「あの時のお前は、ほんとにやばかった」

「当時はその方が楽だったからな」

「はぁ。そんな性格じゃなかったら、モテてたと思うぜ? 俺は」

「まさか。まぁモテたとしても、壬生さんが居たからな」

「はは、思い出した! ヒクソン! バイバーイ!だっけか」

「ヒクソン、バイバイ事件とか言って、散々、バカにしてくれたよな健太郎!」

「……今はどうなんだ? まだ好きなのか?」


 冗談か本気か。よくわからないトーンで問いかけてくる。


「もう何年経ってると思ってるんだ、健太郎さんよ」


 これでも告白したり、されたりと恋人がいた時期はある。もちろん本気で好きだったし、結婚を考えたこともあった。実りはしなかったが。


「気づいてないと思うが、壬生さんの名前を出したお前、ちょっと目が輝いてたぜ」


 どんなところを見てるんだ。たしかに夢の影響もあり、ちょっと浮ついた言い方をしたかも知れない。しかし、そこに気づくか普通。


「顔に出てるぜ? 恵一、話を聞かせろ」

「わかったよ。馬鹿げた話だけど笑うなよ」

「笑わねぇよ」


 これまでの夢の中の出来事を全て話した。ノートに書いてある順番に夢を見ているかも知れないことも、前に見た夢の出来事が、次の夢に反映されているかも知れないことも。


 健太郎は冷酒を口に含みながら、押し黙っていた。


「笑える以前の問題か? これ」

「……いや、どこが馬鹿げた話なのかが分からないと思ってな」

「夢の中の出来事に、一喜一憂してるんだぜ?」


 よく聞けと言わんばかりに、健太郎は冷酒を差し出し、一気に飲ませる。


「俺はお前と同じように、お前の気持ちを優先する。いいじゃねぇか、特殊な夢が見れて。きついことを言うが、何がどう転んでも現実は変わらない。でもな、夢の中ではある程度の変化があって、自由も利くんだろ? なら四の五の考えずに楽しめよ」


 返す言葉が無いほど、心に刺さった言葉だった。次第に目の縁が熱くなり視界が滲み始める。


 たまらずトイレに行くと言って席を外した。


 便座に腰を掛け天を仰ぐ。『四の五の考えず、楽しめよ』か――



 トイレから戻ると、健太郎は携帯で誰かと通話していた。戻ったことに気づくと、早々に通話を切り上げた。


「嫁さんか?」

「いや、同窓会の話だ。恵一は参加出来ないって伝えといた。言いにくいだろ」

「悪いな」

「それより、すっきりしたか?」

「ある意味な」


 いつの間にか夜は更けていき、やがて幸せな時間は終わりを告げる。

 居酒屋の前で別れ、軽く咳払いをしながら、その背中を見送った。



 健太郎と会えるのも、これが最後かも知れないな――

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