第5話 橙の灯

 その日を境に、カフェの真相を確かめる暇もないほど、忙しい日々となった。


 いつもは近所の人しか訪れない神社だが、近隣地域や遠方からも参拝者が増え、御朱印対応の毎日。参拝者の多くはクラウドファンディングでこの神社の存在を知ったらしく、わざわざ足を運んでくれたのだ。それと同時に祈祷依頼も増え、外出することもしばしば。その間は、シゲさんや氏子さんに留守を頼んでいる。さらには、クラウドファンディングの返礼品制作もあり、氏子さんたちの力を借りながら、忙しくも楽しい日々を送っていた。


 麓の町で仕事を終えた私は、その足でミナコさんのカフェへ寄ってみることにした。シゲさんは空き家のままだと言っていたが……目的地に着くと、やはりそこにはミナコさんのカフェが在った。綺麗に手入れされた敷地と、改装された建物。実際に目の当たりにしているのだから、夢でもなんでもない。

(冗談を言っていたのは、シゲさんのほうじゃないか)


「ミナコさん、こんにちは」

「あら、カオリちゃん。久し振りですね。なんだか、以前よりも顔色が良くなった気がするわ」

「そうですかね? 最近は色々と忙しかったんですけど、なんやかんやで充実している気がします。あ、今日も『おまかせ』をお願いできますか?」

「もちろん。お好きな席でお待ちくださいね」


 この日も私はテーブル席を選んだ。椅子に座わり、一息ついて周囲を見渡すと、他のテーブルには食べ終わったあとの食器がそのまま残っていた。オープン以来、初めて来たが、そこそこお客さんは入っているようで安心した。


 その時、私は気付いた。仕事を終えてカフェに来たのはお昼の12時頃だったはずだが、窓からはあの時と同じオレンジの光が差し込んでいる。店内の時計を見ると、午後4時10分。普通なら誰もが戸惑う現象だが、なぜか私はそれを受け入れた。


「お待たせしました。本日の『おまかせ』です」


 作法を心得た私は、目を閉じてミナコさんの合図を待つ。すると、香ばしくて少し酸味のある香りが漂い始める。これはまさか……。


「どうぞ、目を開けてみてください」


「あ、やっぱり! 私、ナポリタン大好きなんです。それにクリームソーダも…! 子供の頃から大好きで、今でも外食となると必ずナポリタンとクリームソーダを頼むんです。大人になってもこれが好みだなんて、笑っちゃいますよね」

「ううん、全然そんなことないですよ。好きな物を食べると元気が出ますから。さぁ、召し上がってください」

「いただきます」


 ナポリタンといえば、ケチャップを使ったものが家庭的な味だが、ミナコさんのナポリタンはケチャップだけでなくトマトソースの味わいもしっかり感じられる。玉ねぎ、ピーマン、ベーコンといったシンプルな具材なのに奥深さがある。それに、クリームソーダの甘くてシュワシュワとした喉越し。この組み合わせが大好きなのだ。


「そういえば、初めてこのカフェを訪れた日から、不思議と良いことが立て続けに起こっているんです。重度の脳性麻痺で入院している父も、当初は寝たきりのままになる、と言われてたんですけど、最近は簡単なリハビリもできるようになって……」

「万事うまくいく、って言ったでしょう?タダシくんも、きっと退院できるまでに回復するから大丈夫よ」


「え、タダシって私のお父さんの名前……ミナコさんは一体……」


 そう問いかけた瞬間。

 カフェにいたはずの私は、神社の境内に佇んでいた。


「なんで、私……」


 夢でも見ているかのような出来事に混乱し、先程までいたミナコさんのカフェに戻ると……そこは、ただの空き家に成り果てていた。建物は朽ち果て、周辺には草木が鬱蒼と生い茂っている。


 ミナコさん、あなたは———



 あれから5年が経つ。私は友人から紹介された男性と結婚し、2年前に子どもを授かった。父も奇跡的に回復し、手足に麻痺は残ったものの、今では退院して裏方の仕事をやっている。


「ますます母さんに似てきたな」

 父はそんなセリフをよく口にする。私の母は、私を産んですぐに他界した。なので、母の顔もどんな人だったのかも知らない。


 ある日の夕暮れ時。境内の掃除をしていると、2歳になる娘のエミは私の服をくいっと引っ張る。「どうしたの?」と声をかけると、娘は鳥居のほうをじっと見つめていた。すると、一瞬の静寂の隙。


「———よかったね、カオリちゃん」


 あぁ、この声は。


 姿は見えないが、聞き覚えのある穏やかで優しい声。ずっと会いたかった人の声。私はまだ、あの人にお礼を言っていない。


「ありがとう、お母さん」


 優しい風が頬を掠めると、だいだいあかりは次第に姿を消していった。


 

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橙の灯が落ちるまで とづきこう @kou_meme

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