3.2 まんこメンタリティ
今までの世で、通例、「女性的」とされてきた性質は、全てM性が併せ持つ性質なのであり、その起源は女性器乃ち「まんこ」にあると考え、そしてまんこを持つ者達に顕著な精神性、という意味を込めて、「まんこメンタリティ」という言葉を提起する。
世の女性的と言われる性質とは、どんなものだったか。優しい。柔和。助け合う。大凡このようなものではないだろうか。そう、Mが、まんこ故に持つ性質とは――
相手に奉仕する性質。
相手に支配されたがる性質。
相手となるべく喧嘩しない性質。
概ねこのような性質である。女性がやたら奉仕活動や慈善事業に熱心だったり、相手と相和する方向に話を持って行こうとしたりするのは、まんこに原因があり、全てはまんこに由来する精神性乃ちまんこメンタリティの賜物だったのである。
昔から寄付や慈善活動に熱心な貴族が存在した。彼らがなぜ自分とは関係の無い生活者にそれほど同情を寄せるのか筆者には理解できなかったが、根本にはまんこメンタリティが関係していたのである。相手に奉仕したがる精神性を生得的に持ち合わせているのがMたる女性なのだ。
おやおやそれはキリスト教圏だけの現象でしょう? と仰る方もいるだろう。しかし、彼女たちが支持するキリスト教圏の教義、いや、イエス・キリストが説いた教えこそ、まんこメンタリティそのものなのである。奉仕せよ。他人を愛せ。それは、まんこメンタリティの性質に合致した業なのだ。戦乱の世では男性の力が強くなる。ちんこメンタリティが幅を利かせて女性は被虐される。その中で、女性の性質乃ちまんこメンタリティを説き、信者を増やしていくイエス・キリストは、彼女たちの味方であり、希望であったことだろう。そして何より、性に合う。性に合うからこそ、彼が説く教えを実践しようと動けたのである。イエス・キリストの説く博愛の精神、奉仕の精神は、紛れもなくまんこメンタリティを言語化したものであった。繰り返すが、イエス・キリストが説いたのはまんこメンタリティそのものだったのだ。まんこメンタリティを男性が説くなんて! 革新的であったに違いない。そしてイエス・キリストは、M性の強い男性だったに違いないのだ。
M性の強い男性と言えば。ジョン・レノンだろう。彼は主夫になって、所謂男性的な競争社会から一度は下りた身である。彼がまんこメンタリティを持っていたことが、名曲『イマジン』に表れている。彼は『イマジン』の中で所有を否定している。国境なんて無いんだと言っている。それらは全てSの産物、支配する性質から生まれる、がしかし、ジョン・レノンはそれらを否定する。そんなものはないと。これはまんこメンタリティの表れなのである。争いも何もないユートピア。イエス・キリストが目指したような世界。それをジョン・レノンが引き継いだのは、彼が同じくまんこメンタリティの持ち主だったからである。
さて、国境が無くて、所有が否定されて、みんなおんなじなんだ、と説き始められると思い当たるのが、社会主義である。人民全て平等、階級を否定した社会主義。それは、まんこメンタリティを実践した結果生まれる一政治形態だったのだ。ちんこメンタリティが資本主義なら、まんこメンタリティは社会主義を志すのである。これは何も志そうとして志しているわけではなく、Mの成せる業として、ごく自然に、社会主義的な発想をしてしまう、ということなのである。謂わば思想以前なのだ。身から出る社会主義である。
中江兆民が著書の中で、理想主義者の洋学紳士と、侵略主義者の豪傑君とで論を戦わせる。この、理想主義者こそまんこメンタリティの持ち主であり、侵略主義者こそちんこメンタリティの持ち主の、典型的な思考回路となる。それを二項対立として対置した兆民は賢かった。是非参照していただきたい(だが著者はNHKの教育番組『100分de名著』であらましをさらっただけで原著を読んでいない、と付記しておく)。まんこメンタリティのジョン・レノンが、ちんこメンタリティの軍人と犬猿の仲だった理由も、よく分かることだろう。そして彼らのどちらが正しかった訳でもなく、どちらも言い分はあって、どちらも時に無茶を言っている、ということである。現代の分断も、ちんこメンタリティとまんこメンタリティの対立、で全て片付けられるような気さえ、筆者にはしている。
まんこメンタリティが社会主義の根源なら。やはり、左翼思想の大本も、まんこメンタリティにあると言える。左翼思想には、平等、奉仕、愛、の精神が根っこにある。そういう感情を抱かせる根本が、まんこメンタリティなのである。
なお、左翼対右翼の話にしてしまうと、なんとなく左翼が負けそうである。まんこメンタリティはちんこメンタリティに劣っているのか。やはり男性優位なのか。Sが支配しMが支配される側なのか。
まんこメンタリティは服従的、従属的、奉仕するのが好き。田辺聖子も、「女は服従するのが好きな生き物」と朝日新聞で語っていた(要出典の確認)。ならば、まんこメンタリティはちんこメンタリティに従ってしまうのではないか。それを、意外にも喜びとして。
しかし、これだけは付記せねばなるまい。女性は元来Mである。それがまんこメンタリティというものである。従属的で、奉仕するのが好き、「女は服従するのが好きな生き物」なのである。しかし、被虐・屈従することに、何も感じないわけではない。彼女らの多くは、支配されることに、多かれ少なかれ怒りや恨みを覚えているのだ、自分でも知覚できないほど潜在的に。
それが、リバの一形態、リョナとして表れる。リョナとは、相手を肉体的に破壊することに性的興奮を覚える謂わば異常性癖なのだが、強く被虐された女性はリョナ願望を得る例が多い(要出典)。リョナを愛好する者は、被虐体験、Mの体験に対して怒りや恨みを覚え、空想の中でリバを発動し、S本人ではなくSの分身である何者かを、バラす。肉体を解体して、復讐するのである。それが彼女たちのリバなのだ。
意志を曲げられた女性は、MであろうとSに恨みを持つ。それが閾値に達するとリョナ等の反逆のリバが行われるが、一般には閾値まで達しないため、表面上はにこにこ、時に小言を言いながら従属しているように見える。なお、意志を曲げられて子供を持たされた『蛇とピアス』の作者、金原ひとみの恨み節(リバ以前)に関しては、朝日新聞のオピニオン欄に掲載された子育てインタビューを参照していただきたい(要出典の確認)。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます