2.7 くわばらたもつ『ぜんぶ壊して地獄で愛して』
大まかな流れは三島由紀夫の『金閣寺』と同じなのであるが、ここで現代の漫画作品、くわばらたもつ氏の『ぜんぶ壊して地獄で愛して』をSM理論の俎上に上げたい。
生徒会長吉沢は、成績優秀、品行方正、優等生の鑑。しかし、鬱屈していた。理由はメンヘラの母親。彼女の精神的束縛により、吉沢は生きていなかった。そこに絡む不登校児直井。直井は真性の悪で、吉沢を引きずり下ろそうと様々アクションを仕掛けてくる。吉沢はそれに引きずられて悪を為し始める。それは、束縛で鬱屈する日々からの、逸脱だった。
というのが大まかなあらすじである。基本的に『金閣寺』と同じと説明したのは、吉沢と直井の関係性についてである。吉沢は、美、権力(生徒会長)、権威(優等生)、秩序の体現者(真面目)、乃ち圧倒的にS。対して直井は、(性格的に)醜、無力(一生徒)、無名(不登校児)、混沌(酷い家庭環境)、あらゆるM性が揃っている。直井は吉沢を優等生でなくするために、あれこれ仕掛けてくる。これは、MによるSへのリバである。
この作品の中で新しい知見となるのが、直井が、散々破壊の対象としている吉沢に対し、恋心を抱く点である。どうも、直井は吉沢に、上手に生きて欲しいとかそんなんじゃなく、屈服したがっているようにも見えてしまうのだ、頬を染めた瞬間を見ると(要出典の確認)。リバを仕掛けているが、直井本来の性質はMであるように思われる。となると、本来MのMが仕掛けるリバとは、屈服される瞬間を待っているのではないか、という疑念が浮かぶ。本来がMだと、Sに負けたがるのではないか。
筆者にも年の離れたいとこがいて、彼女は筆者に勝負を挑み、負けたがった。力の差を確認して、屈服したがった。これは、Sに対する服従以外の何物でも無い。本来Sの三島由紀夫が仕掛けたリバは新秩序、自らがSとして支配する形を求めたが、本来がMの女の子達が仕掛けるリバでは、本当はSにねじ伏せて欲しいと思っているのかもしれない。根っこはMなのだ。
本来がSの三島と本来がMの直井。それ以外の目新しさとして、吉沢の家庭環境が挙げられる。彼女は、学校では燦然と輝く圧倒的Sでありながら、家庭では母に絶対服従する下僕のようなMの立場を取る。家庭に入ると吉沢はM、母がSとなる。最終的に吉沢は支配から解放される方向なので、これは三島『金閣寺』と同じ、MによるSへのリバ、となる。が、吉沢が心の底ではMであった場合、母を否定してMとして屈従させる新秩序を受け入れず、また別の解決を見るのではないかと思われる。
以上が具体的な例を基にしたSM理論の応用法である。本論文をお読みの皆様も、是非他の事例や作品にSM理論を行使して、読み解きをしていただけたらと思う。
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