2.5 谷崎潤一郎文学
文豪谷崎潤一郎は、エロティックな作品を多く残したが、それは彼が性的遊戯としてのSMを体得しており、それを基に作品を書いたからだ、と極論する。言い方が上手でないが。SMを体得していた谷崎潤一郎は、本能的にSM理論を下敷きに作品を書いてしまったのである、であるから、彼の作品に登場する人物たちの行動は、SM理論で紐解ける。
分かりやすいのが『春琴抄』である。
師匠の春琴は、師匠という時点で権威である。権力者である。そして秩序の体現者であり、畏怖すべき美貌の持ち主乃ち美の要素を持ち合わせている。唯一盲である点が美ではないかもしれないが、それを引き算しても、有り余るほどのSの性質を有している。
対して弟子の男は、服従、無名、醜ではないかもしれないが美ではない。いずれも師匠春琴に従属する立場である。乃ち、被支配、M性の強い男である。
物語冒頭から、春琴Sによる弟子Mの被虐シーンが登場する。強く叱責、時にばちで殴るのだ(要出典の確認)。このSとMの関係は物語終盤まで続く。
やがて、物語の終盤、春琴が怪しげな液体を顔にかけられ、「美」を失ってしまう。この時春琴は、Sの立場を失いかける。それまで成り立っていた秩序が崩れようとする。
それに対し弟子は、自らの目を突くことで、春琴に対しMの立場を堅持する。つまり、自らも盲となることで唯一優位であった視覚という優位性を捨て、美を失いMの立場に移行しそうな春琴Sに対し、自らが謂わばドMの立場であることを表明し、不安定になった現行SM秩序を、再び安定させる。これはSM関係にあった二人が、再度SM関係を結ぶ話なのである(余談だが、美を毀損した何者かが、今回、リバの契機を生んだ)。
その他の彼の作品に於いても、Sの要素とMの要素に分類し、SがMを支配する、という関係性を基に解釈すると、様々読み解ける、なぜそうなるのかが腑に落ちるはずである。
なお、谷崎潤一郎はM男性だったらしく、女性崇拝者だったのも宜なるかな、おそらく「美少女に犯されるエロ画像」を好んだことだろう。
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