第4話 非公開手配

 夜道に自動車の影はない。当然と言えば当然だ。見つかれば停車させられ、事情を聴かれて、間が悪ければ身柄を拘束されかねないのだ。脩平と重邦は可能な限り裏道を選んでペダルを漕いだ。どうやら警察も、表通りには目を光らせるが、裏通りの一つ一つまで見回る人員はないようで、パトカーに出会うことはなかった。

「向こうは目印にパトライト光らせてくれてるから、早めに判るしな」

 脩平は笑い、自転車に取り付けたドリンクを長いストローで吸った。

「お前さ」

 重邦に並び、横目で見た。人影の無い街で外灯や信号機などが普通通りに動いているのが奇異に見える。

「なんか変だよな」

「変?って?」

 重邦はスマホのナビから視線を上げた。

「だってそうだろ?」

「訊いてるのは僕の方だと思うんだけど……。変って、何が?」

「ふん、しらばっくれんなよ!お前、なんで大丈夫って思ったんだ?」

「え?」

 驚いた顔で脩平を見た。

「俺のオヤジが霞ヶ関で仕事中だから大丈夫とか、俺のマンションはまだ大丈夫だとか、妹にまで大丈夫だ、約束するよ――なんて。根拠は何だよ」

 少し行くと大通りを横切らねばならない。注意は怠らず、重邦はホッと溜息を一つ吐いた。

「言おうか悩んだんだけど」

「言え」

 脩平はハンドルから両手を放し、腕組みをしてペダルを漕いだ。その脩平に、重邦は千葉に託した小瓶とメモ帳のことを話した。脩平は黙って聞いていたが、しきりに首を傾げている。

「まてよ、その瓶って奴だけど、本当に危険なものなのか?だって、古いんだろ?」

「うん。多分、戦争の頃のものなんだと思う」

「おいおい、ふざけんなよ。戦争の頃って何十年前の話だ?賞味期限切れまくりだろ?何のクスリだか知らないが、そんなの一つで〈治安なんとか〉なんてあると思うか?」

 重邦の脳裏に一つの言葉が蘇る。

――不滅の化合物……。

 不滅とは、変わること無く在り続ける事を意味する。一般概念的には、変質しないということだ。ならば――。重邦は考えを巡らせた。

――僕もはじめはネーミングが大袈裟なだけで、経年劣化とかで〈変質〉しているだろうと高を括っていた。だから軽い気持ちで千葉先生に調査のお願いをしたけど、もしも変質してなかったとしたら……。

 背に負ったリュックの中に入れた〈もう一冊のメモ帳〉の内容を思い返した。内容のあまりの突拍子の無さに、千葉には預けなかった代物だ。もしもそこに書かれていることが〈真実〉なら――。そしてもう一つ、今になって気になっていることがある。それは金庫のさらに奥にあった〈もう一つの小瓶〉だ。見たが空だったのでそのままにしたが、ただの空瓶など金庫に仕舞うものだろうか。

――あれは……。

 思案するうちに大通りに出た。信号は動くもののない道路で淡々と明滅している。ビルの明かりも普段通り点いている。見回すが、パトライトは見えない。

「ここは押していこう」

 言われて脩平も自転車を降りた。二人は並んで歩いた。

「変わっていない可能性がある」

「え?」

 重邦の呟きに、脩平は顔を上げた。

「全く変化していない可能性があるんだ。だから、もしもそうなら――」

「そうなら――なんなんだ?」

 重邦は、最悪――という言葉を想起した。だが、笑顔を見せた。

「最後に観たニュースでは、残堀川沿いの黎都大が〈何かが起きた〉現場なのは間違いない。そこから知賀さんの家まではゴルフ場を越えて直線で三キロだ。間に合えば良いんだけど」

 脩平が言葉を出そうとした、その時、背後でパトライトが明滅した。

「やべえ!」

 二人同時に自転車を漕ぎ始めた。通りの向こうに入れば、小路が多い。まくことは可能だ。

「自転車!停止しなさい!とまれ!」

 スピーカーから警官の声が響く。普段はあまり聞くことも無い怒声だ。二人は無心で漕いだ。サイレンはけたたましく鳴り響き、ハイビームにしたヘッドライトが二人の影を前方に作る。その影が濃く、短くなった。

「重邦がんばれ!もうすぐ路地だ!」

 必死に漕ぐが、スポーツタイプの脩平の自転車とは違い、重邦が乗ってきたのはママチャリだ。パトカーは重邦のすぐ後方に迫っていた。

「お前、なんでそんなので来たんだよ!ばっかやろ!」

 息を切らせて漕ぐ二人に向かい、警官は「止まれ!」を連呼した。コンビニの角に車両進入禁止の標識が見えた。道幅は二メートル有るか無いかだ。先を行く脩平が、その路地に飛び込む。ついで重邦が転びそうな勢いで折れると、さすがにパトカーは路地の入り口で停車した。

 路地にも人影は無い。無言のままで突っ走ると、反対の出口に着いた。重邦はナビを見た。

「すぐに回り込まれるから、さっさと移動しよう。この通りを左に行って、少し先の小学校を過ぎたら残堀川だから、知賀さんの家までは残り一キロ程度だ」

 顔を上げたが、前にいる脩平は路地から顔を出し、自転車に跨がったまま動こうとしない。

「何をしてるんだ?早く行かないと――」

「無理だな」

「え?」

 重邦も顔を出してみた。動くものがないのは変わりないが、行かねばならない通りの先に異様な量の明かりが点いていた。

「投光器?」

 警察か自衛隊のものと思われた。

「俺たちを探してるのかな…」

 呟く脩平を押して路地に身を潜めた。

「まさか。検問じゃないかな?」

「誰も出歩いてないのにか?それでなんで検問なんてするんだよ?それにあの投光器、向こうを向いてるぞ?こっちから来る奴は気にしてないのかよ?あんなんで検問の意味あるのか?」

「向こうから外に出て欲しくないみたいだ」

 重邦の言葉に脩平は首を捻った。だが重邦には不吉な予感があった。

「だったらなおさら、知賀さんをこの地域から早く連れ出さないと」

 その重邦の両肩に手を置き、脩平は力を入れて押さえ込んだ。重邦は後ろにあったゴミのバケツに腰を下ろす形になった。

「教えろ」

 眼差しは真剣だった。

「お前、何か具体的な心当たりがあるんだな?でなかったら、ここから連れ出さなきゃとか言う理由がない」

 黙って見上げる重邦に、脩平は静かに言った。

「仲間だろ?」

 重邦は唇を舐め、フッと息を吐いた。

「本当にそうなのかはまだ分からないけど――」

 そう前置きをし、声を潜めて話し始めた。

「さっき話した小瓶の中身は、化合物だ」

「危険なのか?」

「人間の歴史上で、おそらくは最小量でも最高に危険だと言える」

「マジか」

「永遠に封印しておかなくてはならない異常な物質――なのかも知れない」

「どんなクスリなんだ?」

 重邦は、その問いに詰まった。

「毒なのか?」

「毒――とかじゃ無いんだが…」

「ハッキリ言えよ!判りにくいだろうが!」

 脩平は重邦を睨み付けた。

「判らない。判らないから、千葉先生に調べて貰えないかってお願いしたんだ。先生は母校の黎都大で組成なんかを調べてくれるって言ってた」

「黎都大――」

「そう。今夜騒ぎがあった場所さ。そして、どうやらその大学を中心にして検問が敷かれているみたいだ」

「おい、待てよ!じゃあ何か?お前が見つけたその危ない物のせいで大学で事件があって、それでこの騒ぎになったってのか?」

 脩平は検問を指さして叫んだ。

「と考えるのが現状では妥当だ」

「一体何だったんだよ!その、化合物ってのは!ヤバいクスリか?爆発とかするような?」

 重邦が手帳を握りしめ、脩平を見つめたとき、いま二人が抜けてきた暗がりの奥から声がした。

「それは私も是非聞きたいわね」

 重邦と脩平はギョッとした。目をこらしても、そこには闇しかない。

「あぁ、逃げなくてもいいの。逃げても無駄だしね。君たちは完全に包囲されているし、そもそも名前も家もすべて押さえてるし。笹本重邦君と、そっちは友達の若宮脩平君、でしょ?都立朱野台高校二年生の」

 闇の中に足が見えた。ほっそりとした、人形のような足だ。重邦には見覚えがあった。現れたのは、化学教官室で千葉に怒鳴られていた女だった。

「また会ったわね、笹本君」

 女はそう言いながら二人の前を通り過ぎ、通りを見回した。

「警察に追われてたでしょ?だめよ、無理しちゃ。さあ、付いてらっしゃい。安全な場所まで移動しなきゃ」

 重邦と脩平は顔を見合わせた。女が警察でないという保証はないが、包囲したというのなら身分を偽る理由もない。

「あなたは――誰なんですか?」

 訊ねた重邦に、女は微笑んだ。

「そこは秘密じゃ無いから教えて上げる。自衛隊――とだけ言っておくわ。ただしゴーストパックだけどね。さあ、いいから来なさい。クルマを待たせてあるからそれで移動しましょう。この辺りにあまり長居もしたくないし」

「ゴースト…パック?なんだそれ?」

 脩平が小声で重邦に尋ねた。

「外部や、時には内部でも限定された者達しかその存在を知らない部隊――が在るというのは都市伝説として聞いたことがある。でもそれは米軍の話だ。自衛隊にゴーストパックがあるなんて聞いたことも無いよ。勿論本当にあったとしたら耳にしてるはずもないわけだけど」

 路地の奥に向かって歩き出した女は、立ち止まって振り返った。

「すごい!よく知ってるわね!でも今はそんなことよりも逃げなきゃ。ここでジッとしててもいつか見つかるわよ?特に笹本君、あなたはほとんど指名手配に近い状態なんだし」

「僕が……ですか?」

 女は小さな吐息を零した。

「知らぬはなんとやら。あなたは極めて重要な〈参考人〉として警察に非公開手配されたの。ついさっきね。見つかれば捕縛され、連行されて尋問を受けるでしょう」

「ちょっと待ってください!僕は何も悪いことなんか――」

「悪人だけを捕まえるわけじゃないのよ、官憲は。こうした非常時においては特に」

 哀れみを込めた視線だった。

「捕まりたい?」

 小首を傾げた女に、それまで黙っていた脩平が食ってかかった。

「自衛隊だから信用出来る――って保証はあんのかよ!国の一味だろ?上手いこと言ってお前らこそ重邦を捕まえたいんじゃないのか?」

「うわあ、君も鋭い!」

 女は笑い、豊満な胸の前で腕を組んだ。

「確かにそうよね?うん、保証はない。けど――」

 女は一瞬思案する表情を見せた。

「警察は笹本君を捕まえる理由を知らされていない。かたや、私は知っている。知っているから、あなたの疑問にある程度――たぶんね――ある程度答えられる人も知ってる」

 ニヤリと笑って見せた。

「あなたにとって有益なのはどっち?それにね、私はあなたに危害なんて加える気は無いわよ?ほら、丸腰」

 そう言い、ジャケットを捲って腰を見せた。ミニの腰を軽く振って笑っている。からかわれたと思い、脩平は髪を掻きむしった。それを制し、重邦が女に一歩近づいた。

「答えられる人を知ってるって言いましたよね」

「ええ、ある程度――とも言ったけど」

 重邦は厳重な検問を振り返った。

「僕らは、友人を救い出したいんです」

 女は黙って聞いている。

「この検問の先に住んでいる知賀小梢さんって、同級生です。お願い出来ますか?」

 女は目を細めて考え込んだ。外見からは、とても自衛官には見えない――というのが二人の共通見解だ。グラビアアイドルだと言われても頷ける容貌を持っている。

「いいわ。なんとかしましょう」

 真剣な眼差しだった。重邦は頷いた。

「自衛隊車両はフリーパスだから、チガコズエさんって言ったかしら?その子もエリアの外に連れ出しましょう。住所を教えて。多分ご家族も一緒ね?」

 お願いします――と重邦は頭を下げた。

「おい重邦!いいのかよ、こんな奴ら信用して!」

 頭を下げたまま、重邦は言った。

「僕らではこの先は困難だよ。特に、僕が手配されたというのなら尚更ね」

 女は頷いた。

「論理的ね」

「あとで知賀さんと連絡取りたいんですけど」

「それもオッケー。あ、言っておくけど君たちのご家族も心配は無用。ということで、さあ、動くわよ!いまは時間との勝負みたいなとこがある――らしいから」

 そう言い、女は路地の闇に向かって歩き出した。重邦は、女の背中に向かって訊ねた。

「名前はなんて言うんですか?」

 女は振り返ることなく、背中で答えた。

「麗美よ。田村麗美。よろしくね、秀才君」

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