1-3.

 丸パンをちぎって、口に入れると外はカリカリ、中はふわふわでとても美味しい。異世界の食事が口に合うか心配だったが、これなら心配なさそうだ。……神子の塔の外では食文化が大きく変わる、なんてことはないよね?


 なお、私はこの異世界転生であるということを、事実として認識することにした。理由は2つ。ひとつは、やはりというか見た目も年齢も変わってしまっていること。いくら自分の記憶があやふやになりつつあるからと言って、私は黒髪黒目だったはずだ。染めていたかもしれないが、ラベンダー色なんて目立つ色に染めるほど冒険心は持っていない。それに、瞳の色が金色というのも、自分が変わってしまったんだと認識する一助となった。

 もうひとつは、ステータスカードである。「ステータスオープン」と言うと、どこからともなく手のひらの上にA6サイズの白いカードが出てくるなぞ、ファンタジー以外の何物でもない。仕舞う時は、「ステータスクローズ」でいい。しゅんっ、と一瞬でどこへともなく白いカードは消える。私の目が可笑しくなったんじゃないかと、頭の心配をしたくなった。でもたぶん、これが現実なんだろう。

 ちなみにこのステータスカード、各種ギルドという組織に加入すると色が変わるらしい。冒険者ギルドでは赤系統に、魔法士ギルドは青系統に、商人ギルドはオレンジ系統に、職人ギルドは緑系統に。初心者ほど色は淡く、階級が上がれば上がる程色が濃くなるらしい。ギルドは兼業できるので、2つに入っていれば2色に分かれて、3つに入っていれば3色に分かれて、という風に変化するらしい。全部『最初に読む本』の受け売りだけど。


 『最初に読む本』には、神子の塔の使い方とルールの次にステータスカードの使い方が書いてあり、ポイントの使い方が説明されていた。私が持っているポイントは、5,000。これが多いのか少ないのか分からないが、ギフトやスキルの一覧表を見る限り、多い方なのだと思う。欲しいものは何でも取れそうだ。とはいえ、全部は無理だから取捨選択しなきゃいけないけど。


 食事を終えた私は、50ポイント使って取得した生活魔法のクリーンを使って、皿を綺麗にした。このクリーン、何でも綺麗にしてくれる魔法で、重宝するらしい。この世界の人は大抵が生活魔法を使えるらしい。ただ、生活魔法の中でも向き不向きがあるようなので、『生活魔法全乗せセット』というのを取得した。おかげ様で、便利なクリーンも楽々である。

 魔法がなかった世界から来たはずの私がなぜ、簡単に生活魔法を使えるかと言えば、万人に扱いやすい代わりに融通の利かない魔法だからだ。つまり、発動の意志とクリーンと唱えるだけで簡単に使えるお手軽魔法なのだ。その代わり、生活魔法を攻撃転用するなどは出来ないらしい。詳しくは本を読め、と書いてあった。後ほど、調べよう。

 私はトレイを冷蔵庫の上に乗せると、『最初に読む本』を再び開いた。トレイを冷蔵庫の上に置いておけば、後ほど勝手に回収され、また時間になったら冷蔵庫の中に食事が現れるらしい。食事は選べないものの、必ず支給される。好きに食べたかったら、早くこの神子の塔を出て異世界ライフを堪能するしかないらしい。


 何故、『最初に読む本』が辞書並みに分厚いかと言えば、4分の3以上がギフトやスキルの説明に割り当てられているからだ。その説明も簡素で十分ではないらしいので、それを補うために部屋の本棚や2階の大図書館を利用する必要があるらしい。

 だが、異世界転生といえば、でお馴染みのセットもあるようだ。『武術セット』『魔術セット』『料理選集』『薬師大全』など見ているだけでも楽しい。他にも色々とセットもあるし、個別に取得できるものもある。セットの方が若干お得にポイントを使えるようだ。

 となると、異世界での常識が必要だ。どうやって生きていくのか、しっかり考えねばならない。なんせ、神子の塔を出たら1階にしか入れない、つまりこの部屋へは帰ってこられない。ということは、天涯孤独の身で頼れる人は居ない上に、右も左も分からない世界へと飛び込むことになる。準備はしっかりとする必要があるだろう。

 ひとまず、『最初に読む本』に目を通して、その次は本棚の本の読破かな。私は、気合を入れて『最初に読む本』に向かい合った。


 ☆


 私がこの部屋で目覚めてから、約1週間が経った。なぜ約なのかと言えば、この部屋には壁掛け時計こそあるがカレンダーがなく、また筆記用具がない。よって、日付感覚が曖昧なのだ。窓があるから、外の光は入って来るし天気も分かる。朝になれば眩しいし、夜になれば暗い。でも生活魔法のライトが使えるから、不便さは感じないし、それなりにのんびり読書三昧な生活していた。

 幸いなことに私は本を読むことが苦手でないし、この世界アークトゥルスを知るということは、物語を読んでいるようで面白かった。もちろん、現実であることは念頭に置いているけれども。

 部屋に引きこもりで鬱屈とした気分になったので、そんな日は2階の大図書館へと足を運んだ。大図書館は大きすぎて圧倒されたが、何より驚いたのはパソコンがあったことである。タッチパネルのタブレット端末の方が近いかもしれない。それで本を検索するのだ。

 大図書館には本を読むスペースもあったので、気になった本を片っ端から目を通した。本を読むといっても速読にも限りがあるので、斜め読みである。今は情報を仕入れることを優先して、あとから気になったことを復習しようと思っている。


 目が覚めてから1週間経ったのだ。1週間しか経っていないが、されど1週間は読書に専念してきた。最低限の知識は得ていると思う。まだまだ勉強せねばならないことは沢山あるが、次のステップに進んでもよいと思うのだ。つまり、この神子の塔の住人やこの世界アークトゥルスの住人との交流である。

 そう考えた理由として、本で得た知識がどこまで現実に即しているか分からなかったからだ。例えば、冒険者として生きていくならばどのくらいの武器が扱えて、魔法が扱えるべきなのか。実は必要な必須スキルとか、頭に入れなきゃいけない知識とか。本は武器の扱い方や魔法の使い方を教えてくれるが、冒険者なら、商人ならどのくらい必要かということは教えてくれない。これでは頭でっかちの世間知らずになってしまう。それは最初の一歩をつまずくのと同じことである。


 私は、クローゼットの中から紺色のワンピースを取り出して着替えた。靴下を履いてショートブーツに履き替えれば、完璧である。化粧はしない、一応まだ10歳の少女なので。ボブなので髪は梳くだけにして、部屋を出た。

 廊下に出ると、左奥にある足元が光っている場所に立つ。これは転移の魔法陣で、瞬時に希望した階に移動できる。いつもは「2階」と言って大図書館へと移動するのだが、今日の目的地は1階である。「1階」とはっきりと発音すると、一瞬だけ目の前がブレて、前の壁に1と大きく書かれている場所まで移動できた。

 廊下の奥には、ガヤガヤと賑やかな音がたくさん聞こえる。私は勇気をもって、音の聞こえる方へと足を向けた。

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