第23話 Skeleton Figure
盲点。
……としか言いようがなかった。
確かに “
欠損した部位の再生こそできないものの、無残に食い引き千切られた四肢を完璧に接合し、潰れた眼球を視力ともども元通りに修復する。病気に至っては重篤な遺伝病すら根治させる。
そして “神癒” を含めたあらゆる加護と呪文は、迷宮でなければ効果を現さない。
魔法伝導物質である “エーテル” が、
もし
迷宮に潜れるのは、厳しい適性検査と基礎訓練に合格した、心身共に頑健な探索者だけ……。
(……でもまさかこんな枯木みたいなお爺ちゃん・お婆ちゃんが、その
感嘆とも賞賛とも畏敬とも違う、なんとも言語化できない思いに囚われる。
強いて言うなら…… 『呆れたわ』の最上級。
「どうなんだえ、エバさん!」
金田
エバは迷宮のように深く静逸な瞳で、葦お婆ちゃんを含めた四人を見つめている。
その瞳にふっと、理解と言う名の優しさが浮かぶ。
「もちろん人は生きるために迷宮に潜るのです。すぐに加護を嘆願しましょう」
「――ま、そうなるだろうね」
安堵に抱き合うお爺ちゃんとお婆ちゃんを横目に、あたしは苦笑して肩を竦めた。
メゾソプラノの清澄な祈祷が捧げられ、エバを通じて
信仰心なんて欠片も持ち合わせてないあたしでも、その気配は確かに感じられて、神聖な母性の温かさと清らかさに心を癒やされた。
寛美さんは、すぐに目を覚ました。
「ここは天国?」
「いや、まだあの迷宮だよ」
「でも身体が痛くないの。それにとても気分がいい。まるで生まれ変わったみたい」
「彼女と女神様のお陰だよ」
そういって博さんが顔を上げた。
旦那さんの視線の先に立つ僧服姿の少女を見て、寛美さんの目尻に涙が溢れた。
頬を伝う、きらめきの筋。
「ありがとう……エバさん」
そうして博さんと寛美さんはもう一度、固く固く抱きしめ合った。
「「うわーーーーんっ!!! よかった! よかったよぉ!!!」」
同じく抱き合って子供のように号泣する、葦お婆ちゃんと伍吉お爺ちゃん。
「もう、出来すぎ」
ぐすっと鼻を啜るあたし。
照れ隠しにスマホを取り出し、Dチューブのアイコンをタップする。
道々
連絡が取れないタカ派のふたりが気になる。
もしかしたら機材が復旧して、LIVEが再開しているかも――。
『これって不公平じゃないか? 癌で苦しんでる人は他にも大勢いるわけだし』
『だまし討ちみたい』
『俺にも癌で闘病中の家族がいるけど、手放しで喜ぶ気にはなれないな』
『あ? かんけーねーだろ、そんなことは』
『本人たちは明日をも知れない病の身なんだ。綺麗事なんて言ってられないだろ』
『文句があるなら岡さん夫妻に直接いえば。あんたたちはズルいって』
『ズルいというか釈然としない。遭難だっていうから心配してたのに』
『はい、偽善者おつ。心配なんてしてなかったくせに、よく言う』
『
『それでも心配は心配。
『むしろよくぞこんな奸智を思いついたと感心するけどな。まさにエバさんが常々言ってる冷静でいる限り “悪巧みの
『エバさんとケイコが納得してるなら、視聴者がどうこう言うことじゃない』
『いや視聴者だけならそうかもしれんけど、各国政府を巻き込んでの陰謀だからな。普段ダン配なんて視てない一般人も注目してるし。世間はこういうのに厳しいぞ』
『まさしくそれそれ。俺らは「どんでん返しありがとうございました。大変美味しくいただきました」で済むけど、世間の目はそうじゃない。特に国を利用した癌治療の抜け駆けだろ? ぜってー騒ぐ奴らが出るって』
『なんか法律犯してるわけ?』
『法ではなく倫理の問題』
『馬鹿か。命が懸かってりゃ場合によっちゃ法だって無視できるのに、倫理なんて。末期癌の苦しさ、わかってねーだろ』
『おまえはわかってるのかよ』
『日本に帰ってから大変だぞ、こりゃ……下手したらこの先、死ぬまで後ろ指されて生きてかなきゃならない』
「な、なによ、これ」
Dチューブを開いたあたしは、画面を埋め尽くすコメントの奔流に絶句した。
「どうしました?」
「……外の空気が悪い」
苦い虫を噛み潰した顔と後味の悪さで、スマホをエバに向ける。
「これは……」
コメントを一読して、エバも表情を強ばらせた。
さすがのエバも、ここまでは考えが及ばなかったようだ。
「『羨望とは、他人の幸福が我慢できない怒りである』。一七世紀のフランス貴族『フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー』の言葉よ――まったく反吐が出るわ!」
あたしは口から排便するような不快さで吐き捨てた。
「――なんじゃ――どうか――したの――かえ?」
葦お婆ちゃんが、エバから手渡された巨大お握り、通称 “元気玉” に脇目も振らずかぶり付きながら訊ねた。
高齢者じゃなくても喉に詰まらせないか心配になる、猛烈な咀嚼と嚥下。
他の三人も似たり寄ったりで、特に全身の細胞が突然正常化した寛美さんは猛烈な乾きと空腹にあたしの水袋をガブ飲みし、“元気玉” を貪っていた。
一気に必要になった莫大なエナジーを補わないと、誇張ではなく餓死してしまう。
あたしとエバは四人が革袋の水を飲み尽くし、巨大なお握りをすべてお腹に収めるのを待って、Dチューブで巻き起こっている論争を伝えた。
「はぁ!? そんな馬鹿な話があるもんかい! それじゃなにかえ! 助かる方法があるってのに、公平じゃないからって指を咥えてろってのかい!?」
「そりゃ、おまえさん、悪平等極まれりってもんじゃろ……」
葦お婆ちゃんは口角泡を吹き零して激高し、温和な伍吉お爺ちゃんも好々爺然とした顔をハッキリ歪めてみせた。
「あくまでDチューブで論争になってるってだけだよ……まだね」
末期癌を根治するための遭難劇。
それ自体は想定の範囲外すぎたけど、その結果に付随する反応は容易に想定できてしまう。
「世間……人間ってのは、度しがたい生き物なのよ」
例えそれが、本人たちが積み重ねた思考と努力の末の成功だったとしても、人間は他人の幸福を素直には受け入れられない。
一般論で包み込こんだ妬みで、重箱の隅を突くように批判する。
生まれ育った村の住人たちの顔が一人ひとり浮かび、あたしは唾を吐きたい衝動を必死に抑えた。
当の岡さん夫妻は、困惑の表情を浮べている。
病気を治すこと、生きること、奥さんを助けること。
それだけを考えて、ここまできたんだから。
あとの煩わしい世間の反応なんて、頭の片隅にだって浮かぶわけない。
「正直……混乱しています。でも確かにそうなってもおかしくはない」
「ええ、社会がわたしたちをどんな目で見るか、わかるつもりです」
博さんと寛美さんが、困惑と沈痛の混ざり合った表情でうつむきあう。
「そんなの気にすることない! 人間は幸せになるために生きてんの! 愛する人の病気を治したい、もっと一緒にいたいと願うことのどこが悪いってのよ! そんなの非難する奴らがイカれてんのよ!」
「そうじゃ、この娘さんの言うとおりじゃ! 文句いってくる奴がいたら、この婆が相手になってやるわ!」
「……じゃが世間ってのは陰湿じゃからの。面と向かっては言わず、チクチクと先を丸めた針で突くように攻撃してくるんじゃ」
あたしに賛同して気炎を上げる葦お婆ちゃんの隣りで、伍吉お爺ちゃんが曲がった腰をさらに曲げて嘆息した。
会話が途切れる。
「先のことは外に出てから考えませんか。ここはまだ灰と隣り合わせの迷宮です――」
先走って沈鬱になるあたしたちに、エバが賢明な判断を示したとき、全身を圧する気配が周囲に満ちた。
エバが、あたしが、四人の高齢者が、見えない手で掴まれたように、顔を向ける。向けさせられる。
視線の先、広間の中央にいつの間にか立っていたのは、杖を持ち、法衣をまとった “
「…… “
あたしの口から決して口にしたくない、不浄の名が零れた。
https://kakuyomu.jp/users/Deetwo/news/16817330669169114245
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エバさんが大活躍する本編はこちら
https://kakuyomu.jp/works/16816410413873474742
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第一回の配信はこちら
https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757
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第二回の配信はこちら
https://kakuyomu.jp/works/16817330665829292579
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実はエバさん、リアルでダンジョン配信をしてるんです!
エバさんの生の声を聞いてみよう!
https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj
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