第22話 祈りの幕が上がる時

 光蘚ヒカリゴケが浮かび上がらせる線画の回廊を、四人は足を引きずるように進んでいた。

 一〇メートルほどの距離を空けて、“人食い虎ベンガルタイガー” がついてくるのは相も変わらず。


(『前門の虎、後門の狼』とはいうが、これじゃあべこべだのぅ)


 今川伍吉ごきち(87)は、ひぃふぅ言いながら、頭の隅っこで思った。

 伍吉は金田よし(92)に次ぐ古老で、愛好会の内外で好々爺として慕われている。

 子供の頃は冒険家になりたくて、所沢の『トトロの森』を駆け回っていたものだ。

 実家は『猫バス』が走っていた『七曲がり通り』の奥、劇中で幼い姉妹が雨宿りをした地蔵は、すぐ近所である。


(上安松の地蔵さまは、もう拝めんじゃろうなぁ)


 後悔はない。

 伍吉は今回の計画が持ち上がったとき、大げさではなく命を捨てる覚悟をした。

 連れ合いはすでに亡く、三人いた娘もすべて嫁がせ、孫どころか今度曾孫が玄孫を産む。

 充分に生きたし、責任も果たした。

 他家に嫁がせた娘たちに、老老介護をさせるつもりはない。

 この迷宮ツアーを先途と決めて、日本を発った。

 だからこそ、計画の目的は果たしたかった。

 しかし計画は予期せぬ展開の連続に、もはや原形を留めていない。

 家の前を走るぐねぐねと曲がった通りのように、ひん曲がりまくってしまった。


(……このふたりだけはなんとか助けてやりたいのぅ)


 妻を支える岡博(65)と、夫に支えられる岡寛美(65)の夫婦をチラリと見て、伍吉は吐息した。

 ふたりの友人は、自分の娘たちよりもさらに若い。

 まだまだ生きて然るべき歳だ。


「ひぃふぅ、やっとこさ次の扉だよ」


 先頭を行く金田葦が、回廊の先に現れた扉を見つけた。

 扉はこれまで同様、開け放たれている。


「やれやれ、ようやっと『前門』が現れたてくれたか。とにかく中に入って休もう」

 

 疲労と飢渇きかつで気力が欠片も残っていない。

 たとえ中に “竜属ドラゴン” がいようとも、もはや座り込む以外できない。

 四人は扉を潜ると、そのままくずおれた。

 そこは東西三区画ブロック、南北四区画の大広間だったが、疲れ切った伍吉たちにそこまで観察する余裕はない。

 もう少しだけでも気魂が残っていれば、壁際に蜘蛛の巣と厚く堆積した埃に塗れた “暖炉” があることに気づいただろう。

 他の玄室と違い、この広間には生活の痕跡があった。


「………………あなた……わたし、もう疲れたわ………………」


 夫の肩に頭をもたれさせながら、岡寛美が蚊の鳴くような声で囁いた。


「………………そうか……」


 やがて博は答えた。

 寛美は充分に頑張ってくれた。生きてくれた。

 自分の我が儘エゴに応えて続けてくれた。

 もうこれ以上、頑張れとは言えなかった。

 これ以上、自分のために生きてくれとは頼めなかった。


「……わかった……」


 博は腰に差していたナイフを抜いた。

 刃渡り二〇センチほどのボウイナイフで、渡米してから購入した。

 護身用として買ったものだが、強大な迷宮の魔物を相手に、探索者どころか還暦を過ぎた自分がこれでどうこうできるはずもない。

 心の底では、こういった事態を想定していたのだろう。


「……金田さん、今川さん、妻はもう限界のようです……」


「…………そうかい」


 葦はしわくちゃの顔で、悲しげにうなずいた。


「……すまんかったの。悪足掻きして、かえってあんたらを苦しめてしまった……」


 悄然と伍吉も応じる。

 寛美が逝けば、すぐに博も続くだろう。

 そうなれば残された葦と伍吉も、強いて生きる理由がなくなる。

 米寿、卒寿の大年寄りだ。

 ここで座り込んでいるだけで、数日もすれば後を追える。


「……なに、すぐにまた会えるさ」


「……そうじゃな。あっちで茶飲み話でもしよう。今度はお天道様の下がええなぁ」


 年配の友人に向かって博はうなずき、寛美は微かに微笑んだ。

 妻が目を閉じ、夫はその妻の胸に切っ先を突き付ける。

 逡巡は、愛妻を苦しめるだけ。

 それでもナイフを握る博の手は震えに震えた。

 意を決したとき、迷宮の土埃で汚れた最愛の妻の胸に、命の染みが広がった。

 女盗賊と聖女が玄室に飛び込んできたのは、その直後だった。


◆◇◆


「この馬鹿、なにやってんのよ!」


 あたしは怒号し、奥さんの胸にナイフを突き立てている旦那を蹴り飛ばす!

 愕然とする旦那を無視し、早くも血の気が失せた奥さんに視線を走らせる!

 胸に刺さったナイフの位置、深さ!

 位置は最悪! 深さは――ギリギリ!

 即死じゃない!

 即死だったら奥さんの年齢からして、いくらエバでも蘇生できないかもしれない!

 緊急救命! 今しかない!


「エバァ! 護符アミュレットぉ!」


 勢いよく振り返ったときには、エバが純白の僧衣の下から “魔女の護符アミュレット・オブ・アンドリーナ” を取り出して、駆け寄っていた!

 秘めたる力スペシャルパワーが解放されれば、奥さんは言うに及ばず、ここにいる全員の生命力ヒットポイントがMAXまで回復する!


「それじゃ駄目じゃ! “神癒ゴッド・ヒール” じゃなきゃ!」


 お婆ちゃんが悲鳴を上げて、奥さんに覆い被さる!


「そうじゃ、“” じゃなきゃ駄目じゃ!」


 一歩遅れてお爺ちゃんが、奥さんとエバの間に蹌踉よろぼふように割って入った!


「ちょっとどいて! この護符の力は “神癒” と同じなの! どんな怪我でも一瞬で治るの!」


「「いーや、駄目じゃ! “なんじゃ!」」


 あたしに負けず劣らずの猛烈な剣幕で お爺ちゃんとお婆ちゃん、今川伍吉さんと金田葦さんが言い返す!


 呆気にとられるあたし。

 年寄り特有の思い込み?

 認知が歪んでる?

 もしかして高齢者特有のあの症状?

 そうじゃなかった。

 すべての事情を看破したのは、やはりエバだった。


「ご病気……なのですね」


 口から漏れる謎の言葉。


「護符の力では傷は癒やせても、病気までは治せません。病気を含めたあらゆる状態異常を癒やせるのは “神癒” だけです」


「な、なに、言ってんの? 全然意味がわかんないんだけど」


「……ステージIVの膵癌すいがんです。お願いです。どうか妻に “神癒” をかけてください」


 あたしに蹴り飛ばされた旦那……岡博さんが妻の寛美さんに歩み寄り抱きしめた。

 病気、ステージIVの癌、あらゆる状態異常を治せるのは “神癒” だけ。

 そして皮と骨だけになった、奥さん……寛美さんの “骸骨のような姿スケルトン・フィギュア


「ちょ、ちょっと待って。それじゃ、もしかして今回の遭難は……」


「最初からエバさんに妻を……寛美を癒やしてもらうのが目的でした。進行した寛美の病気を治すには “神癒” しかありません……ですがあの魔法が効果を発揮するのは迷宮の中だけ。迷宮には適性試験に合格した心身共に頑健な探索者しか入れません。

還暦を過ぎた病身の妻に、過酷な訓練に耐え試験に合格するなどできるはずもなく。


 でもこの “ニューヨーク・ダンジョン” は違う。この迷宮だけは、一般の見学者を受け入れている。

 どうすればこの迷宮でエバさんに治療を受けられるか。わたしは藁にも縋る思いで所沢迷宮愛好会の皆さんに相談しました……そして金田さん、今川さん、増尾さん、神宮さんは、わたしたちのために計画を練ってくれたのです。


 エバさんは熟練の回復役ヒーラーです。どんなに化粧で誤魔化しても、妻を見れば一目で病の身と見抜いてしまうでしょう。だから事前に会うことができず、ツアーの参加前に迷宮保険には入れなかった。遭難を装い、あなたの善意に縋るしかなかったのです」


 奥さんを……寛美さんを抱きしめながら、博さんは止めどない涙を流しました。


「お願いです! 妻を――寛美を助けてください!」


「なあ、あんた聖女様なんじゃろ!? 人を助けるのが使命なんじゃろ!? 後生じゃから、このふたりを助けてやってくれ!」


「迷宮ってのは姥捨山うばすてやまなんかえ!? 人は生きるために迷宮に潜るっていったのは、あんた自身じゃろが!?」


 博さんが、お爺ちゃんが、お婆ちゃんが、口々に訴える。

 迷宮のような深い瞳で見つめ返すエバ。



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エバさんが大活躍する本編はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16816410413873474742

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第一回の配信はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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第二回の配信はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16817330665829292579

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実はエバさん、リアルでダンジョン配信をしてるんです!

エバさんの生の声を聞いてみよう!

https://www.youtube.com/watch?v=k3lqu11-r5U&list=PLLeb4pSfGM47QCStZp5KocWQbnbE8b9Jj

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