二階・五階

第21話 帰郷

 ヒタヒタと、虎が後をつけてくる。

 二階では、“人食い虎ベンガルタイガー

 四階では、“虎男ワータイガー

 そして強制連結路シュートによって二階に落とされた今は、再び “人食い虎”

 年寄りどもで腹を満たすでもなく、付かず離れずの距離を保っている。

 ある意味、この虎のお陰で他の魔物が寄ってこないともいえた。

 見方を変えれば、まるで守護者ボディーガードだ。


(年寄りか……あたしや伍吉からしたら、岡さんたちは息子と娘みたいなもんだ)


 一行で最年長の金田よし(92)は、妻を支える博(65)と夫にもたれかかる寛美(65)を見て、胸の内で独り言ちた。

 自分たちより三〇も若いふたりも、世間一般の尺度では年寄り――高齢者として、ひとくくりにされる。

 病院のベッドで管につながれていようと、迷宮の深層を元気に彷徨っていようと、年寄りは年寄り。高齢者は高齢者。

 人生、やることをやり終えて、あとは気楽にお迎えを待つだけ――下の世代からはそう思われてる。


(馬鹿にするんじゃないよ。やることやればそれでポックリ逝けるなら、人生こんな楽なことはないさ)


 やることやっても、心臓は止まってくれないのだ。

 やることやっても、腹は空くのだ。

 年を取っても、生きなければならないのだ。


 四人の高齢者は、休んでは歩き、歩いては休んで、光蘚ヒカリゴケが浮き上がらせる線画の迷宮を進む。

 いったい全体、どこの誰が、どんな意図をもって、こんな年寄り連中を追い立てているのか。


 限界はとっくに過ぎている。

 岡寛美などは皮と骨だけの、“骸骨のような姿スケルトン・フィギュア” だ。

 それでも心臓は止まらない。

 喉も渇けば、腹も減る。


(ああ、迷宮ってやつはまったくもって人生の縮図だよ。好き勝手に立ち止まって、好き勝手に死ぬことも出来ない)


 葦はもう一度、岡博と寛美の夫婦を見た。

 なんとしてもこのふたりを生き延びさせねばならない。

 それがこの迷宮での自分と伍吉のだ。

  

 巨大な虎に追い立てられいつしか四人は、開け放たれた扉の前に立っていた。

 扉の奥は一×一区画ブロックの玄室で、正面の壁には巨大な肖像画が飾られていた。


 紫衣しえをまとった妙齢の女。

 完璧なまでに整った容貌。

 白磁よりも白い肌。

 対照的に、鮮血のように赤い唇。

 姿勢よく座る膝の上に置かれた、銀色の杖。

 

 困憊こんぱいも忘れて、四人は立ち竦んだ。

 謎のアラビアンが “奥方” と呼んだ女が額縁の奥から妖艶に、葦たちを見下ろしていた。


◆◇◆


 その絵を見たとき、“妖美” なんて生まれてから一度も使ったことのない言葉が真っ先に浮かんだ。

 正面の壁に飾られた巨大な額縁の中で微笑む、美しい女性。

 紫のドレスをまとい、優しげに微笑んでいる。

 でもその微笑みはあまりにも、見る者を圧倒した。

 エバの微笑みが人を包み込む陽なら、さしずめこの女は妖。

 妖艶などという言葉ではまるで足りない、魔性めいた美しさだった。


「このひと、もしかして……」


「ええ、先程遭ったアラビアン、予言者 “アヴドゥル” が “奥方” と呼んだ女性―― “新宿ダンジョン” の真の迷宮支配者アーク・ダンジョンマスター、大魔女アンドリーナ、その人です」

 

「このひとが、エバの義姉おねえさん……」


 あたしは呆然と呟き、偉大な紫衣の魔女の前で立ち尽くした。

 まさかの邂逅。

 だってそうでしょ?

 ここは彼女の迷宮じゃない。

 彼女の迷宮は、ここから一万キロ以上離れた場所にあるんだから。


「どうして? ここは違うのに……」


「この先が彼女が子供時代を過ごしたホームなのです。彼女はそこで優しい両親からたっぷりの愛情を注がれて育ちました」

 

 まるで自分の過去を語るように、エバは懐かしげに語った。


「この先? この先が大魔女の家だったっていうの?」


「はい。時の流れから隔絶された憩いの場所……その場所は今はもうありません」


 エバの表情に、寂しげな色が浮かぶ。

 

「ケイコさん、この絵を見てなにか気づきませんか?」


「?」


 首を傾げてから、あたしは数歩後ずさった。

 大魔女の威光オーラが凄すぎて、そもそも絵全体を意識できてない。

 距離を置き、深呼吸してから、改めて肖像画を見る。

 すると……。


「なんだろう。確かになんか変かも……」


 確かに覚える据わりの悪さ。

 迷宮での違和感は、危機に直結する。

 それらわずかな差異を察知する観察力・観察眼は、斥候スカウト を任させる盗賊シーフ にとって何よりも重要な能力だ。

 そして気づいた。


「手がおかしい。まるで何かを握ってるみたい」


 膝の上に置かれた大魔女の両手。

 それは何かを――そう、まるで細長い棒を握ってるような仕草をしていた。


「そのとおりです。本来この絵に描かれたアンドリーナは、両手に銀色に輝く杖を握っていなければなりません。そしてその杖こそが、この先の区域エリアに進むためのキーアイテムパスポートなのです」


「でもお爺ちゃんたちは……」


「そのとおりです」


 エバは表情を厳しくすると、もう一度うなずいてみせた。


「金田さんたちはキーアイテムが無いにも関わらず、この先に進んでしまっている」


 あたしにはエバの言わんとしてることが理解できた。


「迷宮のシステムを書き換えられるほど、あいつが―― “僭称者役立たず” が支配力をおよぼしてるってわけね……」


 一体全体、これってどういうわけ?

 “ローマ・ダンジョン自分の迷宮” ならまだしも、星の化身、世界蛇 “真龍ラージブレス” が支配する迷宮の理を書き換えるなんて。


「お爺ちゃんやお婆ちゃんを使ってまで、なんで “僭称者役立たず” はあんたをそんな場所におびき寄せようとしてるんだろう」


「わかりません。わかっているのはもはやこの迷宮が、あの魔術師の手の内にあるということだけ。キーアイテムが必要なチェックポイントを自在に操れるほどに」


「どちらにせよ、ハト派の階層フロアはこの先が最深部。今回の事件caseもいよいよ煮詰まってきたって感じね」


「心の準備はいいですか、ケイコさん」


「ドントコイ」


 エバはあたしの言葉に、背負い袋の脇に差し込んであった銀杖を引き抜き、義姉の肖像画に近づいた。

 “大地の杖” と呼ばれるその杖こそ、ついさっきこの手前の玄室で、門番ガーディアンである “鎧の悪魔フィーンド” を倒して手に入れたキーアイテムなのだ。

 杖から漏れていた銀色の光が徐々に強まり、やがて玄室を満たした。

 まばゆさに、目を閉じる。

 目蓋に受けていた銀光の気配が去り再び目を開けたとき、絵画の中の魔女の手には銀色に輝く杖があった。

 そしていつの間にか東の壁に現れている、もうひとつの扉。

 

「では参りましょう」


 エバが歩を進める。

 それは聖女の帰郷だった。



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エバさんが大活躍する本編はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16816410413873474742

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第一回の配信はこちら

https://kakuyomu.jp/works/16817139558675399757

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第二回の配信はこちら

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実はエバさん、リアルでダンジョン配信をしてるんです!

エバさんの生の声を聞いてみよう!

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