第2話 「あ」と「せ」の言い分

 「あのさ」



 オレは言葉を発した後、「あ」をはっきり発音できたことに驚いて両手で口を覆った。



「ふふ。びっくりした? 私ね、『あ』なの。

 友達からは『あっちゃん』って呼ばれてる。

 私がいるから、ここでは『あ』を遠慮なく使って」



 女の子は頬にピンクの文字を光らせながらにっこりする。



「あっちゃん、なんで?」


「突然いなくなったかって?」


「うん」



 他にも聞きたいことはある。「あ」ってJKだったの? とか。 



「ちょっとね。休みたくなったの。忙しすぎ。だからね、失踪してみたの。

 名前『あ』がつく人多すぎ。出席番号の最初ってだけで、いろんなこと押し付けられて困ってる人、多いと思う。

 言葉も『あ』つくの多すぎ」



 あっちゃんはどべーっと折りたたみ式の小さなテーブルに突っ伏した。



「必要とされてるってことじゃん。『ありがとう』とかさ、やっぱ、大事な言葉ってあるじゃん」



 宥めてみた。



「まあねー。『ありがとう』はいい言葉だよねー。分かってるんだけどさ」


「だったら、元の場所に戻れば? みんな困ってっじゃん」


「ちょっとは困ればいーの。こっちだって全部が全部、気に入ってるわけじゃないんだから」



 ふんっとあっちゃんは鼻を鳴らした。あらら。ご機嫌ななめ。



「聞くだけならできるよ?

 例えば何が嫌?」



 不満を溜め込むのは良くない。ガス抜きしてもらおう。



「『悪魔』『飽きる』『あざとい』って、遣われるたびに、相手を傷つけようとする悪意とか、言われちゃった痛みとか感じるわけ。結構キツイよ」


「他人が他人に言ってるのに感じるの?」


「そー。ふつーにデリケートなの」


「それは嫌かも。だったらここでちょっと休んでけば?

 オレ、別にカノジョとかいないし、気にすることないから」



 気を遣わせてはいけないと思って言っただけなのに。絡まれた。



「知ってる」


「は?」


「この間フラれたばっか」


「なんで知ってんだよ」



 確かに3日前告った。めっちゃ勇気った。クラスメイト。話しやすくて、メッセージのやり取りが楽しくて、これ、もう、イケるんじゃね? そう思って告った。散った。



「私、『あ』だよ。グループで言ったら、絶対的エースのセンターなわけ。知らないはずないでしょ」



 ぜんっぜん意味分からん。



「よーするに、何でも知ってるって?」


「そ。あれ何。本田君の告り方が気に入らない」


「は?」



 オレ、どんな風に告ったっけ? メッセージじゃなく、電話でもなく、ちゃんと面と向かって告ったはず。



「『あ』がなくても告っちゃってさ」



 思い出した。ーーー「好きです。つきってください」ーーー



「『あ』あったじゃん」


「違うの!」



 ダンっとあっちゃんは拳でテーブルを叩いた。



「何が」


「『あ』には大切な言葉があるでしょ。すっごくいい言葉が」


「?」


「ほら、告白に相応しい」


「んーーー?」


「『愛してる』だよ。ボケ」



 うわっ。初対面なのに「ボケ」って。コイツ、口悪っ。



「高校生で言わねーし」


「それが腹立つわけ。こんないい言葉があるのに。日本男子はそんなこと言わないとか言っちゃってさー。ふざけるな。遣えよ」


「何、あっちゃんのカレシ、言ってくんないとか?」



 聞いてみた。



「うっさいなー。私は気に入ってこのカッコしてるだけで、人間とは違うから」


「ふーん」


「せっかくいい言葉があるのに、最近じゃ『好き』って言うんだもん」



 あっちゃんはご立腹。そんなことくらいで「あ」を消失させないでほしい。



「わんわんわんわんわんわん!」



 いきなりラッシーが窓に向かって吠えた。見れば、机の前の窓の外から女の子がこっちを覗いている。ここ、2階なんだけど。



「せっちゃん」



 あっちゃんは立ち上がって窓の鍵を開け、せっちゃんとやらを招き入れた。



「探したよぉぉぉ、あっちゃん」



 せっちゃんがあっちゃんに抱きついた。

 白い水着姿のせっちゃんは、左の太ももにに「せ」という文字を紫色に発光させている。抜群のプロポーション。同い年くらいに見える。



「友達ですか?」



 オレが尋ねると、せっちゃんは「うん」と返事。



「せっちゃん、ごめんね。

 私、ちょっと心を休めたかったの」


「あっちゃん。分かる。分かるよ。

 アタシだってキツイもん。

 ホントに嫌なワード、いっぱいあるもんね

 でも、一緒に頑張ろーよ」



 タレ目に泣きぼくろのせっちゃんは色っぽい。ついつい視線がたわわんとした胸に行ってしまう。



「せっちゃんだって頑張ってるのにね。

 でもでも、私『アソコ』とか『愛液』とか、

 聞いただけでゾワっとする。もー嫌」


「そんなこと言ったら、アタシなんて、

 『セックス』『おせっせ』『性癖』『折檻』」



 ちょっと待った。



「せっちゃんがここにいたら、『せ』も消失してるんじゃ?」



 不安になって聞いてみた。せっちゃんは泣きぼくろの上の目をまたたかせながら答える。



「すぐ戻るから大丈夫。『セックス』とかそんな言葉、あんま、遣わないし」



 ま、オレはレディの前でそんな言葉、遣えないが。

 

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