修道院での出来事-3

 磔にされた俺を見つけた使者には、俺は自分の意思でここにいるんじゃないと示すために悲壮な顔をしておいた。お前たちの神の前では無力すぎて逃げ出すこともできず、捕らわれ続けていることで魔力も底を尽き、死んでしまいそうだとな。あの名優ぶりは見せてやりたいよ。大英で最も有名な悲劇の主役を張れるくらいに上出来だった。間もなく死んでしまいそうだと告げる俺に、使者はどんな憐れみをかけたと思う。俺を辱めることに心血を注ぐ連中を羨むような、本能を剥き出しにした顔で、我らが神を讃えよ、さすれば汝の罪をすべて許そうと宣った。どういう意味かは聞くまでもない。貫頭衣を押し上げるそれに奉仕しろ、ということだ。実際、免罪符をチラつかせることで信徒を思いのままにした悪辣な司祭もいる。お前たちの神への信仰はその程度なのさ。たかが聖四文字アドナイ、そういうことだろう。本能を律することができる人間は神なんて信じない。そもそも形而的な存在なんて非合理だ。

 俺は使者に降伏し、受け容れたように見せかけて、そっと暗示のようなものをかけた。これを人間にもわかるように説明するのが大変なんだ。時が来たら発動する呪いのようでもあり、人間の意識の深層に植え付ける毒草のようでもある。まぁ、どちらにしても、そんなものを抱えていたらいいことはない。いつか話したマタイもそうだったが、人間ではいられなくなる。

 マタイ──俺に気に入られたために破滅の道を歩んだ堅物。ヨハネを殺したこと、肉欲の赴くままに俺と番ったことを思い出させた瞬間、奴は肥溜めに飛び込んで死のうとした。それきり、ただ生きているだけの木偶でくになった。真面目くさった連中の化けの皮を剥がす瞬間ほどぞくぞくすることもない。神への献身を誓いながら、それでも獣と同じだと教え込む瞬間ほど愉しいこともない。

 それ以来、使者の姿はしばらく見かけなかった。神に貞操を捧げた奴が女の味を知るとどうなるか、想像できるだろう。修道士どもの暴虐を許しながら、奴がどんな顔でこいつらを羨んでいるかと思うと濡れて仕方なかった。……ああ、だからそんな顔をするな、ニール。こればかりは変えられない性癖なんだ。

 月が変わって、逗留期間が終わろうとしていた頃だった。六人で愉しんでいる地下空間に、使者が忍び込んできたのを気配で感じた。間もなく修道院を離れるから行動も大胆になっていたんだろう。俺を相手する五人は尾行されていることを知っていて事に及んでいた。つまり、俺を研究のために拷問しているのだと見せかけようとしていた。確かに磔にされて二年は膣に頭や腕を挿れようと試されることもあったが、最後の一年ちょっとは子を孕ませようとする行為のみだった。連中も罪を犯していると指摘されることを恐れていたからな。これは錬金術の延長にある実験の段階で、子宮を持つ特殊な男と交わることは女を犯すことには当たらないと主張できるようにしていた。

 何となく、だ。その瞬間、何となく、俺はすべてに飽きた。密やかな肉の宴は平々凡々としていて広がりはないし、使者に見つかるかも知れないという緊張感もなくなる。同じ顔触れと何度も番えば何をどうすれば互いにとってより良いかなんて試行錯誤もしなくなるからな。飽きたから終わりにしようと思った、終わりにするなら地獄を築こうと思った。人狼ライカンを知らない中東の使者が逗留している間に実現しようと思っていたから、その時が来ただけだ。

 俺はすぐに狼に戻って五人を喰い殺した。地下の闇に潜んだまま震え上がる使者に鼻面を向けて、ここを去るよう忠告した。あれを殺してしまったら人狼がどれほどの化け物か知らせる術がなくなるし、あの島に作り上げる地獄の変遷を知ろうとする人間も居なくなる。

 使者の姿が見えなくなってから、修道院に住まう連中はすべて喰い殺し、タナトスを使って毒気をばら蒔いた。命という命を吸い取る呪いの瘴気だ。俺の首を落とした連中が浴びたのと同じものだ。

 ──お前はそう言うがな、ニール。それ以上の理由が必要か。俺は磔にされたことを恨みもしてないし、犯され続けた三年と少しを無駄にしたとも思っていない。地上に築いた地獄は更に五百年もしなければ消えそうにないことがわかった、それで充分だ。瘴気が渦巻き、お前たちなら一秒も呼吸ができないところが地獄なんだ。息をした瞬間に死んでしまう場所で悪霊どもを跋扈させ、それらがお前たちにどんな影響をもたらすかが見たかった。言うなれば、これは俺の探究で実験なんだ。お前たちと同じように、飽くなき好奇心による──な。










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