修道院での出来事-2
あの島で俺がしたことは彼女の復讐だと思うだろうが、答えはノーだ。この俺が何かをするのにきっかけはいらない。あの島は怨嗟の濃い匂いで充ちていた、それだけで充分だ。彼女が奴らを憎んでいようがいまいが、愉しそうならそれでいい。お前も境遇を愉しんでしまえば良かったんだ、ニール。真面目に考えすぎるから苦しくなる。飽きるまで愉しんだあとは殺してしまえばいい。殺さなくとも家を出れば良かっただけのことだろう。お前の人生に必要なのは他人に強制される義務なのか、お前自身の意思なのか?
……そうだな、秩序の
俺があの島を改めて訪れたのは五百年前、一三〇〇年代頃のことだ。何年だったか正確には覚えてない。あの頃、あの島の修道院についてはきな臭い噂しか聞かなかった。当時、中東で流行っていた錬金術を輸入して賢者の石の研究をしている、というやつだ。
あの島には手負いの狼のふりをして入り込んだ。所用でたまたま副司祭が島を出たのを知っていたからね。奴の前で鹿用の罠にかかって見せた。奴らは善性を得るためならなんでもするからね。肉を喰らう狼だろうと、怪我をすれば手当てしようとしてくれる。そうして島に入り込み、怪我が治るまで修道院の納屋でひっそり飼われることにした。そんな目をするな、ニール。鹿用の罠に足を噛まれたくらいじゃすぐに治ってしまう。が、傷口くらい簡単に偽装できる。人間の目を欺けるくらい生々しい傷をね。
何日かはおとなしく狼のふりをしていた。副司祭は聖務の合間に様子を見に来ては、足の傷がなかなか治らないことに困った顔をした。奴は狂った連中の中ではまだマトモな人間だったからね。狼の俺を仔犬のように扱うのだけは腑に落ちなかったが。
島に入り込んで七日目に、俺は狼の姿をやめた。いつものように様子を見に来た副司祭は俺を見て息を呑んでいたよ。なにせそのとき、俺は両性体を選んでいた。聖ガブリエルと同じ姿だ。連中の後ろ暗い好奇心を掻き立てるには充分だった。
奴らは俺を聖ガブリエルの降臨とは見なさなかった。それもそうだろう。俺の毛皮は白いが、
俺は聖釘を模した杭で壁に磔にされた。魔力を持つものは聖遺物に対抗できるはずがないと思っていたんだろう。本物であろうと祈りを捧げた偽物であろうと、そんなもので俺を拘束することなんかできないのにな。俺は奴らの思惑に沿って苦しんでみせた。火傷などできるはずもない傷口に熱傷を作るのは造作もないが、奴らの仕打ちに対して悦ばずにいるのは大変だった。
なぁ、ニール。欲望を持つのは生きる上で正しいことだ。その欲望がどんな種類であれ、誰に向けられるものであれ。無欲になればなるほど死に近づく。だからお前は地獄の底で生きていたんじゃないか。人間はとかく己を律したがるが、お前たちはそんなに高尚な生き物じゃない。他の四つ足どもと変わらない獣だ。同じ源から生まれた同胞だ。俺とお前のように。それはお前の神にさえ変えられない事実なんだ。受け入れなくていい。ただ、覚えているだけでいい。
俺は一度も連中の子を宿すことはなかった。豊かな畑に死んだ種を蒔いても発芽することがないのと同じだ。俺の畑に適した種でなければ芽は出ない。そうさな、お前となら可能性はあるかも知れないぞ、ニール。お前が忌避する
そうやって俺は三年、連中に飼われ続けた。朝となく昼となく夜となく、五人ずつ相手にし続けた。連中は最後のほうには研究なぞ投げ出して、俺と身体を繋げることだけを楽しんでいた。教義に縛られた暮らしは息苦しいからな。身体の穴という穴の具合を確かめられたものさ。
……お前は本当に潔癖だな、ニール。堕ちるところまで堕ちた人間に冷静も理性もあるわけがない。業が深まって更なる深淵へ堕ちていくだけのことだろう。お前もよく知ってるじゃないか。お前の父も、お前の母も、お前が思うように悪魔どもに魂を盗まれたんじゃない。望むべくして明け渡したのさ。魔性は招かれない限り境界をまたげない。そうだろう。そしてお前は俺を呼び込んだ。死の淵で、お前の欲望に従って。
飼われ続けて四年目を迎える年の夏のことだ。東方の教会から使者が派遣され、修道院に二ヶ月の予定で逗留することになった。これでようやく狂気の沙汰が終わる、外の人間の知るところとなる──俺がそう思ったと思うか。
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