神父が語る言い伝え
この村には古くから、湖に棲む
わたくしが信奉する神を悪しざまに言いたくはないのですが、この国もこの村も、かつては西の大帝国の領内の端にございましたから、クリスチャニスムが国教化されるに当たって、それ以外の信仰は邪教と見なされた時期があったことは歴史的に事実です。オンディーヌを信仰していた人々は迫害こそ受けることはなかったと言いますが、クリスチャニスム国教化以前に信徒が迫害されてきたことへの報いとばかりに神殿が襲撃され、湖が血で真っ赤に染まるほどの殺戮があったと聞き及んでおります。故に、我々はあの修道院をオンディーヌの怒りに触れた禁足地と見なし、呪われた場所として悲劇を語り継いで来ました。
もちろん、歴史的にそのような事実があったかどうかはわかりません。しかし、権力者にとっての不都合は揉み消されるのが歴史です。わたくしも本気で信じているわけではありませんが、そういう歴史があったとしてもおかしくない場所である、くらいの認識は持っております。
今でこそ修道院の惨劇がオカルトとして語り継がれ、眠れる亡者を冒涜せんとする不届き者もおります。霧が出る日に賛美歌が聞こえるとか、張り出した岸辺に白い男が立っているのを見ると魅入られるとか。身も蓋もないことを言ってしまえば、この辺りは湖以外の地域資源に乏しいのです。古くから貴族層には避暑地として知られていましたが、革命以後、市民が台頭する時代になったのです。自治体の財源を確保するためには湖を観光資源として外部から人を呼び込む他ないと、ありもしない話で耳目を集めることもまた必要でしょう。
ええ、実に世俗的です。……話が逸れましたな、失礼。
この村の
修道院では多いときには十数名の修道士たちが生活していたと言います。大昔に異端とされた、厳格な会派だったと聞いたことがあります。彼らは聖体拝領に使うホスチアとワイン以外のものを殆ど口にせず、草の根や木の実、木の皮だけは例外的に食していたとか。水を飲むときすら聖水のように祈りを捧げてからにしていたと。彼らの考えでは万物には須らく善性と悪性が宿り、全き善なるものは神と御子以外にないということだったようです。彼らは自らに宿る悪性──我々で言う原罪ですな──を限りなくゼロに近づけ、善なる者として生きていくことを神の道と位置づけておりました。
しかし、です。彼らのような極端な考えは道を踏み外しやすい。
ある時までは祈りと自己研鑽こそが彼らの修道だったようですが、何かの拍子にタガが外れたのです。それは会派を率いる司祭や司教の立場の人間の狂気によるものかも知れませんし、殺害されたオンディーヌの神殿の巫女や神官の呪いなのかも知れなかった。或いは悪魔的なものに唆されてしまったのか。
彼らは巡礼者に宿る悪性を祓うことで己の善性が高まると考え、七つの罪源とされている姦淫を犯しました。どうしてそうなってしまったのかは誰にもわかりません。確かなのは、島から命からがら逃げてきた巡礼者の乙女たちがいたことと、修道院で繰り返された陵辱があったということだけです。文献に記述が僅かにあるだけなので、どこまでが真実かを確かめる術はありませんが。
村では島から逃れてきた乙女たちを匿っていました。彼女らの中には目を抉られ、盲目となった者もおりましたし、時代が時代ですから子を宿した者もおりました。身体に深い傷を負い、望まぬ妊娠をした乙女たちの多くが入水したと言います。今でも彼女らの霊魂を慰めるミサが独自に捧げられるくらいですから事実なのでしょう。もしかするとオンディーヌ信仰の名残かも知れないと思うこともありますが。
こういう話もございます。敬虔な修道僧の中には会派の教義や在り方に疑問を持ち、夜の間に脱走を試みる者がおりました。満足に食事もできず、水を飲むにも祈りが必要な状態ですから、不満に思う者がいてもおかしくはないのです。そういった脱走者が辿り着くのも我々の村でしたが、村人の中には免罪符目当てに脱走者を密告する者もおりましたから、修道僧は数日のうちに島へ連行されてしまうのです。脱走に失敗した彼らは岸壁から飛び降りて亡くなったと聞きます。実際、村の近くの湖岸で見つかった遺体には修道僧のものもあったようです。
乙女であれ、修道僧であれ、島に住む者は気が狂った状態で生き長らえるか、永遠の安寧に飛び込むか以外の選択肢はありません。あの場所はそういう場所なのです。
……修道院で起きた惨劇、ですか。ええ、確かに伝え聞いております。
あれは一三〇〇年代に起きた事件だったようです。何でも、修道僧の一人が島から離れた際に手負いの狼を見つけたことが発端だったとか。恐らく猟師の罠にでも掛かったのでしょう。この辺りは貴族諸侯の別荘地でもありましたから、狩猟を趣味とする人が居ても不思議ではありません。
修道僧は傷を手当てするために、狼をひっそりと島に連れ帰りました。捨て置けなかったのでしょうが、あまりに愚かな判断でした。狼は肉を喰らうのです。ホスチアを主食とし、草の根や木の実を齧る生活に馴染めるはずもありません。
ある夏の夜、空腹に耐え兼ねた狼によって、修道院の人々は惨殺されたといいます。人の味を覚えた狼は忽然と消えてしまい、その後の消息はわからずじまいだったとか。
ええ、おっしゃりたいことはわかります。あれだけのおどろおどろしい言い伝えがありながら、惨劇は呆気なさすぎるのです。わたくしも狼は何かの比喩だろうと考えるのですが、なんであるかはさっぱりです。
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