湖畔の村にて-3
「……
そのまま気まずく沈黙が下りる前に、彼は対岸を見つめて呟いた。
「厳密には違う」
人狼は不貞腐れた調子で言葉を紡ぐ。
「半屍者と
昼間だというのに孤島の対岸に現われた悪霊は、修道者を示す貫頭衣を着ていた。肉が腐ったせいで灰色の表皮をしており、眼球はなくなっていた。血だか腐汁だかわからないものを涙のように垂れ流し、顎周りに残った肉で辛うじて繋がる口から呪いを吐き出すようにして、あの悪霊は確かに彼を見つめていた。
「私の肉は甘いだろうか」
彼は思わず呟いた。
遠い昔、彼が死んだ日。彼の父も、彼の母も狂ってしまっていたあの日。彼は正教が悪魔と呼びなわす存在を父母の影に見た。あの頃から超自然的な存在に好かれているのだとしたら──彼の周りで起きた悲劇は、彼が生きていたからこそ起きてしまったのだろうと思う。
「違うよ」
彼の頭の中を見透かしたように人狼が言った。肩が震えかけたけれど、それは先程の呟きに対する答えなのだと思い直し、そっと金色の双眸を振り向くに留める。
「奴らは俺の匂いに反応したのさ」
真摯な瞳が真っ直ぐに彼を見下ろしていた。哀れみと愛情を複雑に混ぜ合わせたような眼差しで、人狼が儚く微笑んでいた。
昼下がり。村に戻った彼は午後の聖務に取り掛かる神父を捕まえて、孤島の修道院について尋ねてみた。村人たちの田舎訛りの現地語を聞くより、聖都の公用語が通じるぶん、気楽だからだ。
「禁足地、という言葉をご存知ですかな」
年老いた神父は教壇に聖典を置きながら、最前列のベンチに座る彼に問うた。
「ええ、聞いたことはあります」
彼は鷹揚に頷いた。
それは本来、一般人が立ち入ることのできない神域を示す言葉だが、諸事情あって危険が伴うために人の立ち入りを禁ずる場所にも転用されるようになった。
「大昔から、あの島は禁足地とされておりまして」
神父の口から村に伝わる伝承が聞けるとは思わなかったものの、この村の人々は幼い頃から島に立ち入ってはならないと言われてきたようだった。彷徨っているのは悪魔や悪霊、死霊など、様々な説があるようだったが、どれも人間に悪さをするものに違いはない。
「修道士たちが惨たらしく殺されてしまってからは特に、あそこに入った者は奇病に罹って死んでしまうと言われております」
そう言って、神父は話を締めくくった。
「修道士を殺した
彼の問いに、神父はそっと首を振った。
「もともと良くない噂が多いところでしたからな、巡礼した女たちを閉じ込めて嬲り殺しにしていた場所だと聞いたことがあります」
そうして、憂いを含んだ溜息をつく。
「閉ざされた場所では、あらゆることに麻痺してしまうのですよ、特に上の者が道に背いておればこそ、下の者たちは何の疑問も抱かない」
沈黙する彼に、
「人間は過つ生き物です、然るが故に立ち直る機会を神は与えて下さる」
神父は穏やかに微笑んだ。
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