東方世界の奇書-2

『人狼に与えた数々の傷が遅くとも翌日には回復するのを見て、彼らは不死なる存在が実在することを認めた。そして、次の実験に移った。神の使徒である彼らが姦淫の罪を犯し、女性器を持つ人狼に子を孕ませて産ませる段階である。彼らの興味は人間とは異なる生き物──人狼を生き物と呼ぶかどうかは別として──と人間が番うことで子を成すことはできるのか、ということにあった。尚且つ、それで産まれた子も不死であるのか、不死であるならば千年王国の到来を待つべき使徒団を形成することは可能なのか、という、探究の名を借りた狂気に身を投じていた。

 彼らは女性器を持つ人狼の肉体を犯すばかりではなく、実際に触れ合うことあたわぬ女体の神秘の研究までし始めたという。つまり、勃起した男性器は何本まで咥え込めるのか、赤子を産むために柔軟性を持つ膣はどの程度まで拡がるのか、女が絶頂を迎えすぎると失神し、或いは死を迎えることはあるのか、というような正気を疑うものばかりだった。

 逃げ出したいと思わないのかと使者が問うと、人狼は諦めたように首を振ったという。

 ここは神域に等しく思うような力が出せない、我が魔力も日々の拷問で尽きようとしている、貴様らが戴く神の力は偉大すぎる、たかだか千年生きた程度の魔物には敵わない──人狼はそう言って再び項垂れた。

 使者はそのまま地下を離れた。翌日には何も知らぬ顔で時課の務めに合流したものの、彼らが秘密裏に取るであろう行動に注意し続けた。彼らが人狼に暴行を加える瞬間を押さえ、敬虔な信徒たるものが悪魔に魂を売るつもりなのかと叱責して然るべきだと考えていたのである。

 しかしてその時はなかなか訪れず、遂には使者が逗留を終える頃を迎えてしまった。その間も、彼らは五人一組の交代制で入れ代わり立ち代わり、人狼を相手しているはずだった。使者の目的は度を超えた拷問を咎めることにあったはずだが、徐々に、拷問される人狼のあられもない姿を見てみたいだけではないのかと考えるようになり、気が狂う寸前の心境だったという。

 修道院を離れる前日、彼はようやく、修道者たちのあとを追って地下への階段を降りた。そこで繰り広げられていたのは酒池肉林の宴よりも遥かに血みどろの、凄惨な地獄絵図だったという。彼らは壁から引きずり下ろした人狼の金の両目を潰して視界を奪い、目玉が再生しないように眼窩を男根で抉り続けていた。四つ這いの人狼は後背位で獣のように犯されながら、終わらない苦痛に酷く呻いていた。

 神よ──彼は祈らずには居られなかった。これを記している私自身も祈りたい気分だ。

 彼らは同じ人間相手にここまで惨いことはしないだろう。即ち、人狼が人狼であるために、人には向けられぬ暗い好奇心や探究心を満たしているに過ぎないのだ。それは人の道だけでなく、神の道からももとる。錬金術の普及によって万物は何がしか──アカデミアの四元素のような──で形成されていることが証明され、神より肋骨を賜わり受肉したという創世記は否定されようとしている。男と女が交わる姦淫の罪を原罪に背負って生まれた我らは、それが自然の法則であることを認める局面に存在している。無原罪の救い主を否定しようとする時代ではあるものの、彼らの行為は決して許されるものではない。相手が不死であろうと、人と同じ姿をした命を冒涜することなかれというのが、我々が人であって獣ではないという証明なのだから。

 使者が彼らの罪を止めようとしたときだ。その瞬間、五体満足の人狼の身体が内側から崩れるように溶け落ちた。驚いたのは彼らも同じだったらしい。教会の公用語ではなく、現地の言葉で罵声のようなことを叫んでいたそうだが、使者には何を言っているのかわからなかった。しかし、彼らがただ驚いたわけではないということは、彼らの表情を見ればわかったという。

 狼の遠鳴きがした。刹那、ある修道者の影から巨大な白狼はくろうが躍り出て、瞬く間に五人を噛み殺してしまった。狼は身を潜める使者に鼻先を向け、金色の瞳でじっと見つめたあと、人間の言葉で言った。此処はこの世の地獄と化す、死にたくなければ去れ、と。狼の声は壁に縫い止められていた男のものに間違いなかったそうだ。

 使者は慌てて修道院を離れ、船着き場で一晩を明かし、翌日、迎えの船で帰路についた。その後、修道院の人々がどうなったのかは誰も知らない。

 この修道院の記述はここで途絶え、西方を巡礼する使者も彼ではなくなったと注記されている。彼のその後を知る者はいない。ある日、貫頭衣を脱ぎ捨てて裸になり、熱砂の砂漠へ駆け出して行ったまま戻らなかったというのが、彼と思しき人物の唯一の記録だ。

 かの湖の畔に位置する小さな村には今でも言い伝えがあるという。孤島に聳える修道院の荘厳な建物の中には悪魔が巣食っているのだと。霧深い日には悪魔に殺された亡者が徘徊し、天国の門へ逝くための贄を喰らうから、あの島には近づいてはならない。かつて船着き場があった岸辺に美しい男が見えたら遠くても逃げろ。あれは人間を呪い続ける化け物だ、と。

(後略)』














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