1312 A.D.

東方世界の奇書-1

『(前略)

 我々の文化圏に錬金術なるものが伝わったのは、一一〇〇年代だったと史書にはある。人々にとって最も価値のあるもの──即ち金を精製するために、西方のアカデミアの学者たちがあらゆる仮説を唱えたとされるものだ。この世界に存在するものは四元素が作用、または反作用していると言ったのはアリストテレスだった。火は風を助け、風は水を助け、水は土を助け、土は火を助ける──この四元素が相関し、相克することで万物が構成されるという理論である。

 こうした理論が支持された結果、幾多のいかがわしい学者たちが錬金術師を名乗り、金の錬成は元より、賢者の石の精製やゴーレムの錬成に励むようになった。それらはもはや、理論体系に裏打ちされた学問ではなく、魔術に等しい。神の御業である命の生成を人の手で成し得るはずもないのだ。ましてや不死の獲得など、彼らの思考は狂気に満ちている。

 西方の国のあるところには、湖の真ん中に建つ修道院があるという。船でしか辿り着く術のない離島の修道院に不死の化け物が捕獲されたと我々が知ったのは一四〇〇年に差し掛かる頃だったが、実際には一三〇八年のことだという。

 化け物は西方で人狼ライカンと呼ばれる怪物のことで、馬ほどもある巨大な狼の姿とヒトの姿を変幻自在に行き来することができる。胎内に満月を宿し、莫大な魔力を持つゆえに永遠の命を生きるという。我々の世界ではイブリースと同種の悪魔的な何かだと推測される。

 人狼を捕獲したとされる修道院では密かに錬金術による不死の獲得の研究がされていると噂されており、彼らは神の使徒ではなくサタンの代理者だと我々の間では言われていた。我々が尊ぶべき神を世俗に引き落とし、辱める以外の何物でもない。

 一三一〇年、東方教会より西方教会の聖都へ使者が派遣された。西方教会との文化的交流を目的とした派遣だった。その折、様々な会派の枢機卿と謁見した使者は各地の修道院を見て回らないかと誘いを受け、翌、一三一一年に最初の修道院訪問が叶った。

 西方教会は我々の教義よりは厳格でなく、ゆえに富と権力を持った司教の傲慢が目立った。神に殉ずる覚悟を持つ我々と違い、教会は華美な装飾に彩られ、天国の門に最も近い場所とはとても思えない有り様だったと記録されている。

 西方教会とは、偶像崇拝を是とするところからして我々の主義とは異なる。持ち得るものだけで生きていこうとする我々に反し、彼らは強欲マモンの手下に成り下がったのだ。

 我々の使者が湖の真ん中にある孤島の修道院へ赴いたのは、一三一二年、夏の初めのことだった。以下は彼が残した記録を基に記述する。

 孤島は絶壁で囲まれ、船着き場から命綱もなしに崖沿いの細い道を岸壁にへばりつくようにして登るという、外界の者を受け付けない様相を呈していた。最初の難所さえ越えてしまえば何も難しいことはなく、孤島全域が修道院の庭だった。

 修道院は華美な装飾が目につく旧式の建築で、重厚な天井の重みが建物全体の壁によって支えられている。磔刑像を始めとした偶像のある荘厳な礼拝堂は、バシリカ式を好む我々からすれば、救い主が貫いた清貧の教えに反するものだった。

 修道院に暮らす修道者は十数名。清貧の教えが守られているのは自給自足で生活していることくらいだ。若い者から年老いた者まで、皆、感情を表に出すことのない完璧な無表情であった。笑いを悪とする会派の教えに沿ったものだろう。けだし、彼らの無表情は何処となく陰気で、背筋が寒くなるようだったと、使者は記録で吐露している。

 使者は二ヶ月、修道院に逗留する予定だった。彼には修室棟の相部屋ではなく、使われていない部屋が宛てがわれた。最初は特別扱いのように思われたが、彼は後にこれが修道院側の気遣いなどではなく、修道院がひた隠す事実を明らかにしないための策だったと振り返っている。

 修道院で過ごした彼の細やかな記録の多くを省き、核心に触れたい。

 彼が修道院の秘密に気づいたのは、修道者たちが時課によって順番に姿を消すことがきっかけだった。彼らは五人一組で交代しながら、何かを見守るか、観察しているようだった。彼は修道院での暮らしぶりを尋ねることで彼らとの距離を縮めようと試みた。しかし、彼らは本音では余所者との交流を拒絶していたために、それは上手くいかなかった。

 彼が修道院に逗留して一ヶ月が経つ頃だ。その日、彼はたまたま、五人一組で歩く修道者たちを見つけて後をつけた。彼らは庭へ奉仕に行くと見せかけて、院内に隠された地下への階段を降りていった。彼は階段の場所を覚えると、後日、外出が禁じられた時間に部屋を抜け出してそこへ行き、手燭の明かりを頼りに地下へと下った。

 地下に拘留されていたのは裸の男だった。手首や肘、膝といった関節に杭を打ち込まれ、裸足で立った状態で壁に縫い止められていた。髪は腰に届くほど長く、老人のように白い。ドルイドの子孫たちのように白い肌は肌理が細かく、男がまだ若いことを伝えた。それが男だとわかったのは膨らみのない胸板であったが、然るべき場所に男性器はなく、乳房のない女のようでもあったと記録されている。

 男はそれまで項垂れるようにしていたが、使者が近づく気配に顔を上げた。双眸は満月を思わせる金色をしていた。彼が何より驚かされたのは、男の美貌である。西方の古代彫刻を彷彿とするような野性味のある顔立ちは、目にした者が誰しも息を呑むほどの絶世の美しさだった。

 男は使者を見て笑ったという。彼も修道者を示す貫頭衣姿だったから、かの修道院の者が夜警に来たように思ったのだろう。しかし、使者の肌の色は我々と同じで浅黒く、西方の修道者の肌の色とは異なった。彼が修道院の者でないと気づいた男は彼に言った。此処の人間どもは悪魔を生み出そうとしている、と。男の身体でありながら男性器がなく、女性器と子宮を持つ人狼ライカンが妊娠しないかと実験しているというのだ。それは即ち、姦淫の罪を犯しているという告発である。

 修道院の者たちは人狼を聖釘せいていに見立てた杭ではりつけにして自由を奪ったあと、人狼の不死を確かめるために、文字にすることもおぞましい虐待を加えた──目玉を刳貫くりぬく、爪を剥がす、腕や足を切断する、舌を切るなど。挙句、人狼の腹を生きたままで切り開き、中身を記録するといったことまでしていた。』

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