ヘレンによる本当の話-1

 一一四七年、初秋。俺はアドルフという旅人に成り代わって村を訪れた。人口は百五十に届くかという小さな村だ。山間にあって住民も少ないから、連中は家族同然の付き合いをする仲だった。それを規律のように重んじて、少しでも反目するようなことがあれば親戚縁者まで村を追い出されるようなところさ。理不尽だなんて連中は思っちゃいない。村の秩序とやらを守るには必要なことだと盲信していた。

 そういう場所からはいい匂いがする。俺が好きな匂いだ。。好物の匂いには特に敏感になる。

 その村は一見、長閑でいいところだった。有閑階級の人間が暇をつぶすために訪れるにしては、だいぶつまらない場所ではあったが。

 ……アドルフか。あれは帝都に住む、アドルフ・フォン──何だったか忘れた──という子爵の嫡男だ。三十になったというのに未婚で、帝国内を気ままに旅して回るような放蕩ぶりの割に、商才がある坊ちゃんだよ。背丈は俺と同じくらいだが、濃茶の髪で、髭を蓄えた男前だった。彼がちょうど村の周辺を回るというから、時期を見て成り代わったのさ。田舎の人間は爵位ある人間の顔なんか知らないからね、見た目が違っても別人だなんて気づかれることもない。

 俺が村に入ったのは八月の終わりだった。アドルフが郡都を出たのと同じくらいに訪ねたのさ。アドルフの正確な噂が広まる前に行かないとね、いろいろ厄介なことになる。

 村人たちは当然、余所者を嫌ったよ。しかも身なりのいい人間だ。立場のある人間なんかと近づく機会もない彼らのことだから、何をしに来たんだと、口には出さなくとも顔に書いてある。笑わずにいるのが大変だった。

 俺は真っ先に首長を探して訪ねた。急な訪問の理由を作り上げて、実しやかに伝えた。何と言ったのかは忘れたよ。場当たり的な口実だったけれど、彼は鵜呑みにして承諾してくれた。少しばかりの小金を握らせれば、だいたいの人間はそういうものに靡く。俺には何の価値もないからね、手にした金は惜しみなく渡せるのさ。

 村では子ども好きを装って過ごした。大人たちが野良仕事をしている間、遊び回る子どもたちの相手をするのが楽しくてね。まだ柔らかい肉と甘く蕩ける脂の味を思いながら遊んでやった。……ああ、そんな顔をするな。人間だって仔牛や仔羊の肉は格別に旨いと喰らうじゃないか。俺も同じさ。

 子どもは大人と違って警戒心は薄い。それに正直だ。遊んでくれる大人に懐くのは早い。子どもを介せば大人だって絆せる。俺の目論見は当たった。二週間もする頃には俺に敵視する者は居なかったよ。内心はどうあれ、ね。

 俺に特によく懐いてくれたのはシシーという少女と、ラースという男児、アクセルという少年だった。彼らとは日が暮れるまで遊んだ。日が暮れても遊ぶこともあった。俺が農夫たちの手伝いをしているときは三人も一緒に手伝ったし、何処に行くにも、何をするにも一緒だった。

 シシーはその年、十一歳になる少女でね。来年には結婚もできるようになるんだと言っていた。同い年の女の子たちは俺を遠目から見て囁き合うばかりだったのに、シシーは男の子たちに混じって俺と一緒に山や森に入っていった。まぁ、少しお転婆な少女だった。蛇を素手で掴むような子どもだったからね、だいぶお転婆だったかも知れない。……ふふ、上品な育ちのお前には想像もつかないだろう。

 そんなシシーと二人きりになったときがあった。シシーが恥ずかしそうに俺の手を握ってきたから頬にキスをした。彼女は首まで真っ赤になってね。あぁ、この子も女の子だと思ったものだよ。

 彼女が死んだのは次の日だ。昼前に俺のところに泣きそうな顔で来たのはアクセルだった。どうしたのかと尋ねると、シシーがおかしいと言うんだ。ついて行ってみると村で二番目に長生きの爺さん──ヨハンとか言ったかな──の納屋でね。蓄えてあった麦わらの上でシシーがぐったりしていた。首に指の痕があったから、圧迫されて気絶していたようだった。どうしよう、とアクセルが泣きながら言うから聞いてみれば、シシーを殺そうとしたのはアクセルだった。アクセルは彼女が死んでしまったと思って取り乱していたけれど。

 彼女は俺が何とかすると言ってアクセルを帰した。喰らう予定ではあったけれど、まだ先のことだと思っていたからね。さて、どうしようかと悩んで服を捲ってみた。膣から血が出ていた。どうも、アクセルはシシーのことが好きだったらしいとわかった。このまま彼女を生かして帰したらどうなるか──別にアクセルを気の毒だと思ったわけじゃない。むしろ運が向いていると思った。彼女が気づく前に納屋から連れ出して森の奥へと運んだ。何処であろうと、森は俺の庭みたいなものだからね。そこで何をしたかなんて無粋なことは聞かないでおくれ。好きな相手には聞かせたくないようなことをした、と言えば充分だろう。ああ、ニール、だからそんな顔をするな。お前と出逢う前、遠い昔の話なんだよ。

 泣き叫ぶ彼女を一日かけて嬲ったあとはくびり殺した。彼女はもう処女じゃないし、脂が旨い歳の頃でもなかったからね。アクセルを庇おうとしたわけでもないが、必然的にアクセルの痕跡は消えた。

 彼女の屍体は収穫前の麦畑に捨てた。その頃にはもう夜明けだった。村の男たちが総出で彼女を探しているところに出会したから、シシーが居なくなったと聞いて森に入ってきたところだと答えた。嘘は吐いていない。森に居たのは事実だからね。

 シシーが居なくなった日、俺は昼前からアクセルと一緒にいたことになっていた。アクセルがそう話したんだ、俺のことは疑っても村の子どもは疑わないのが彼らだからね。アクセルも共犯のようなものだった。シシーを辱めて殺そうとしたのはアクセルだからね。俺は上手いこと庇ってくれたと認識されたようだった。

 シシーの葬儀は村を挙げて執り行われた。村には国教の教会も、西方の国教の教会もなかったからね。葬儀は村の周辺で昔から信仰されている豊穣の女神に魂の浄化と再来を祈るような儀式だった。死して土に還った亡者や獣たちのお陰で、我々は今の豊かな実りを受け取ることができる──みたいな意味の祈りを捧げてね。

 シシーが死んでから、ラースは俺に近づかなくなった。

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