司教アタナシウスの記憶-1

 神に選ばれし子だ、と瞬間的に理解した。

 ヨハネが見つけた拾い子を見た瞬間、私は雷に打たれるのと同じ衝撃を受けた。

 真っ白な髪に血の気を感じない白い肌──異様さが際立っていたからこそ、この子は神の御使いなのだと理解したのだ。そして、この聖霊を私の手許に閉じ込めてしまいたいと願った。

 荒野に建つ修道院とはいえ、本来であれば、身元のわからぬ浮浪者は受け入れないのが仕来りだ。行き倒れの浮浪者を手厚く看護した修道院が戝に襲われ、多くの犠牲者を出したという話は枚挙に遑がない。我らが信奉する神は万人の神ではないのだ。

 我欲から、あの子を引き取る旨を提案したものの、ヨセフは最後まで頷かなかった。普段から良くない顔色を更に悪くし、あの子を見ると落ち着かないのだと訴えるから、私はヨセフの痩せぎすの身体を抱き寄せ、耳許で、心配いらぬと囁いた。

 ヨセフが私に心酔していることは知っていたし、私自身、ヨセフを体良く扱う術は心得ていた。何より、彼は私に宿る魔性を熟知する、たった一人の存在だった。偶然、幻覚作用のある植物を庭で見つけてしまったために、私がその葉を乾燥させて焚きしめ、私好みの新入りや巡礼者に何をして来たか、吹聴されては困る。

 町の有力者の息子として生を受けたにも関わらず、幼い子どもに悪戯ばかりする私を案じた両親が改心せよと放り込んだのが教会だ。私にとってはそれだけの場所で、信仰などない。しかし、皆で集団生活をする環境は私には最高だった。自分好みの人間と寝食を共にすることの至福といったらない。更に、一介の修道士から階級を上げれば、私を信頼する連中を好きにできる。その一心で、時に挫折しながら掴み取った地位なのだ。みすみす放り出すわけにいかない。

 ヨセフを説き伏せ、子どもは院で預かることにした。久方ぶりに私の胸は熱く燃えた。

 皆が寝静まるのを待って、私は子どもの部屋を訪れた。不寝番をしているヨハネには、私が看病を替わるから休みなさいと告げて追い出した。

 寝台の傍らに座し、私はしばし、子どもの美しい寝顔に見入っていた。罪や穢れがこの世に存在することも知らぬ、正真正銘の無垢な寝顔だ。ただ眺めているだけで感嘆の吐息が口をつく。麗しく、少女のように儚げなのに、股ぐらには男の象徴がぶら下がっているのかと思うと、目眩がするほどの昂奮を覚えた。両性具有とは異なる。見た目の印象と肉体の造形がかけ離れているほど生まれる違和感が、私の本能を刺激するのだ。

 程なく、子どもは目を覚ました。新月の夜のように深い色をした漆黒の瞳が私を捉えた瞬間、私はこの子の下僕に成り下がろうと強く誓っていた。

 神に祝福された御子だ。ただの人間である私ごときが容易く触れてはならない。天の玉座にて神の右側におわす御方なのだ。この方に触れて良いと言われるまで、言われても尚、私は永遠に隷属を誓おう。

「此処はどこ」と、高く澄んだ声が私に尋ねた。見知らぬ男を不安げに見つめる表情さえ、崇高だった。

 私は生まれて初めて、とても親切な言葉を選び、ここが荒れ野の只中に建つ修道院であることを伝えた。倒れていた君を運び込み、昼夜を問わず看病している旨を、恩着せがましく聞こえないように話した。私がアタナシウスという名で、ここの修道院長を務める司教であることを説明すると、怯えた様子だった子どもの顔が明らかに緩んだ。

 身体を起こそうとする子どもを手伝ってやると、高熱のせいで燃えるような指先が私の手に遠慮なく触れた。たったそれだけで全身が痺れるような歓喜に震えた私は、思わず子どもの瞳をじっくり見つめてしまって、息を呑むことになった。

 私の頬を微風が撫でると同時に、子どもの瞳は漆黒から金色へと変わる。不吉な暗雲に覆われた夜空に風が吹き、満月が顔を出したかのようだ。私は神秘的な光景を当たり前のことであるかのように見つめ、聖母の微笑を湛える子どもに「此処は居心地がいいね」と言われて頷いた。

「ボクのことはあなたの好きにするといいよ」と、子どもはあどけない声で言った。「あなたが望むものは全てあげるから、ボクが欲しいものは全て頂戴」私は再び頷いた。

 今にして思えば、それは何かの魔術であり、暗示だった。その瞬間、修道院は私のものではなく、魔性の子どものものになった。私は子どもの傀儡として存在する代わりに、子どもからこの世の全ての快楽を受け取ってきた。この結末に悔いはない。私は全てを渡すと誓ってしまったのだ。

 それから十日ばかり、子どもは高熱に魘されて寝込む演技をした。演技をしたというのは正確ではない。あの子は夜明けになると本当に高熱を出し、夜更けになると不思議に熱が引くのだった。不寝番を言いつけてあるヨハネを何らかの魔術で深い眠りに誘い、足音も気配もなく私の寝所を訪っては、私に全身を舐めるよう命じたのだった。

 私が従順であることを確信したのか、子どもはようやく意識を取り戻したように振る舞った。何処から来たかも、自分が誰かもわからないと悲嘆に暮れ、美しい顔立ちを涙で濡らすので、子どもは周囲から哀れみを買い、修道士見習いとして受け入れられた。

 彼はシオンと名付けられた。名付けたのはヨハネだった。

 魔性の餌食には、まず、ヨハネが選ばれた。院で一番若く、多感な歳頃であったためか、ヨハネの陥落は早かった。ひと月ともたずに気が狂れ、遂には肉欲の塊になってシオンを強姦したのだ。私は院の醜聞が流れることを恐れ、ヨハネを軟禁する形で拘禁した。納屋に繋がれたヨハネは両目を突いた傷が悪化して死んでしまった。

 ヨハネは都市部の高貴な血筋の十男で、毎月のように多額の寄付が院に入ることもあり、私が正気であったなら魔性に差し出すことはなかっただろう。しかし、幻覚作用のある植物を焚きしめながら性行為をする以上の快楽を味わってしまったら、拒むことなどできなかった。

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