司祭ヨセフの手記-1

『見渡す限り何もない無謬の土地に院が建設されて二十年になる。当初はわたしと司教を始めとした数人で始まった院も、十数名の修道者を抱えるまでに発展した。

 荒れ果てていた土地を耕すところから始まり、作物が無事に実るまで何年を費やしただろう。主と同じ道を歩まんとする志が挫けることはなかったが、それでも、あの二十年を思い出すと感慨は深い。

 あの頃は、志を同じくする道士が何人も集まるなんて思ってもみなかった。神の道を志す理由は様々でも、向いている方向は同じであるという結束感はかけがえがない。生い立ちも境遇も様々な者たちだ。生まれも立場も異なる者たちが同じところに集い、同じ道を歩んでいる──なんという奇跡だろうと、修道者たちを見ていて思わない日はなかった。

 院が開設されて二十年目を迎えようとする、ある寒い朝のことだ。

 ヨハネが真っ青な顔をして、「子どもが行き倒れている」とわたしに報告した。司教とともにいたわたしはすぐさま、礼拝堂まで駆けつけ、ぐったりとベンチに横たわる子どもの姿を確認した。

 少女のように長い髪は、老人のように白い。痩せ細った枯れ枝のような手足は乾いてひび割れている。氷が張るほど冷え込んだ夜の間を、あちらこちらが破れたぼろ布だけを引っ掛けた状態で、生き延びたとは思えなかった。

 ぴくりともしない子どもの身体に、嫌な予感がしていた。子どもを運び込んだだろうヨハネが今にも泣き出しそうな顔で、「生きています」と告げた瞬間の安堵といったらなかった。

 荒れ野の只中に建立された修道院には、修道士として生きることを願う者や巡礼者の他に、住むところや日々の食事にも困るような人々が施しを求めて訪れることがある。我々はもちろん、彼らを拒むことなく出来うる限りのことはしてやるし、嵐の夜には礼拝堂を臨時の宿泊所のように解放することもあった。けれども、運悪くというべきか、折しも此処で尽きる運命だったかのように亡くなる者がいたことも事実だ。我々は彼らの葬儀を行い、手厚く埋葬するものの、院の庭も周辺の土地も遺体だらけにするわけにはいかないという一点では、歓迎していなかった。

 司教と相談の上、子どもはすぐに、修室の空き部屋へと運び込ませた。高熱を出す子どもの世話をヨハネに言いつけ、わたしは部屋を後にした。

 絹糸のような白い髪、命の鼓動が透けそうに白い肌、垢に塗れていても一目で美しいとわかる顔立ち──あの子どもを見ていると、わたしの胸は酷くざわついた。胸の奥に芋虫が這いずっているような、良くない感触がしていた。

 予感は間もなく、的中した。

 その日の夜半、風の音が気になって眠れないわたしは、修室の回廊を歩いていた。特に何が気になったわけではないが、拾い子を療養させているから、少し様子を見ようと思ったのかも知れない。当時の心境はあまりに複雑で解き明かせはしないが、とにかく、その夜も冷え込んでいたのは覚えている。

 手元の灯火の明かりだけが揺らめく回廊の先に闇より黒い影を見て、わたしは直感的にそれを追った。わたしの足音が決して届かぬ距離を保ちながら追い掛けた先には、高熱を出す子どもの部屋があった。

 子どもの世話はヨハネに言いつけてある。ならば、あの影はヨハネのものだ。何を危惧していたのやらと自分で自分を嘲りつつ、部屋を通り過ぎようとして、微かに聞こえた声音に竦んだ。成人するというのに高い音域を保つヨハネの声ではない。もっと低く、年齢を重ねた男の声だ。わたしはその声をよく知っている。わたしがこの修道院へ来た理由の一つであり、留まる理由であり、神の道を行こうと決めたきっかけだからだ。

 声の主は、アタナシウス司教だった。だからこそ、その場から動けなくなってしまった。

 敬虔な信徒のように振る舞っているが、その実、わたしは不埒でふしだらな信徒だ。本来なら司祭の座にいてはならない。なぜなら、わたしは神ではなく、アタナシウス司教の深い声と、雄々しい英雄像のような精悍な立ち姿、底に沈む石の凹凸まで見える澄んだ川面のような瞳に仕えていると言っても過言ではなかった。

 司教が誰かと話している。そっと部屋を覗くと、寝台に寝かされていた子どもが目を開けて起き上がり、司教と何やら言葉を交わしているのがわかった。

 司教には表立って言えない悪癖がある。彼はその立場を利用し、儚げな雰囲気の信徒や修道者が来ると部屋に呼びつけ、をさせるのが好きだった。

 かつて聖都に仕えていた彼は皇帝と繋がりのある子どもに手を出したことで破門される寸前になったが、こうした僻地で修道院に篭もり、以後、戒律は破らないと神に誓うことで見逃された過去がある。

 しかし、あの悪癖はもはや悪魔の呪いと言ってもいい。司教も最初は克服しようとして、実際に克服したように見えたものの、先代司教によって司祭に叙され、その後、司教になると、彼の涙ぐましい努力は全て水泡に帰した。誰も逆らえない立場を使って儚げなしもべを侍らせ、恐るべき酒池肉林を展開したのである。

 わたしはそれでも──例え破戒者になろうとも、アタナシウス司教を崇めていたし、と密かに声を掛けられるたび、彼と秘密の目交いをするたび、生きていることの悦びを痛感していた。

 これほど美しい者があろうかという子どもは、容姿に秀でていただけでなく、男とも女ともつかぬモザイク画の聖霊のような儚い雰囲気があり、司教の好みだろうと直感していた。思い返せば、わたしの胸のざわめきは、正にこれに尽きた。そして、わたしの直感は当たる。

 子どもが回復し、見習いとして修室で暮らすようになって程なく、朝も明けきらぬ中庭で、わたしは司教と子どもの逢瀬を見たことがある。なめらかな皮膚に包まれた未熟な性器を口に含み、一心不乱に舐めしゃぶる司教の背中を見つけた途端、雷に打たれたような気がした。甘い声を上げながら恥じらう子どもの姿には寒気がした。』

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