修道士マタイの口述

「あれはもう、この世の地獄でした。僕は関わらないようにしていましたが、一部の修道士たちは自分が敬虔な信徒であることも忘れて、あの子どもにのめり込んでいたんです。

 子どもはシオンと言いました。あの院では最も若いヨハネという修道士が拾った孤児だったのです。名前も彼──ヨハネがつけました。弟のように可愛がっていましたよ、最初はね。

 ……えぇ、最初は、です。そのうち、ヨハネはシオンを変な目で見るようになっていきました。

 変──僕は神に仕える身ですから、恋をしたことがないので、はっきりとは言えませんが。色欲の悪魔が実在するんだとしたら──そんな目です。本能ばかりのケダモノと何も変わらない目でした。

 シオンが来てから一ヶ月経たないうちに、ヨハネの気がれました。どんなに綺麗な顔をしていても、相手は十歳くらいの子どもですよ。なのにヨハネは、中庭で世にも悍ましい行動に出たのです。思い出したくもない。

 ……見つけたのは僕です。その日は中庭の掃除をする当番だったので、準備のために様子を見に行ったんです。そうしたら、ヨハネが──すみません、これ以上は吐きそうです。

 シオンは痛ましい有り様でした。……裂けた肛門から血が出ていて、膝まで伝っていました。真っ青な顔でガクガク震えて、しばらく誰も近づけませんでした。それはそうでしょう。年齢が近いこともあって、シオンもヨハネを慕っていたようでしたから。僕などは仲のいい兄弟のようだと思って見ていましたよ。

 ……ヨハネのその後、ですか?

 戒律を破った上に子どもを暴行したんですから、本来なら破門です。だけど、ヨハネの様子が余りに酷くて──外には出せないほど気が狂れていましたから、院長の判断で、修室から隔離して別棟の納屋に軟禁したのです。万に一つ、彼が正気を取り戻して改心することがあるかも知れないからと、院長も仰っていたのですけど……。

 結論から言うと、ヨハネは死にました。納屋に置いてあったすきで両目を突いたのです。夜のうちにそうしたようで、見つけたときにはもう──。数日、高熱を出して寝込んだ末に、助かりませんでした。

 今、改めて考えてみると、ヨハネの死がきっかけだったように思います。一人、また一人と気がおかしくなって、院を去っていきました。誰よりも熱心に主を崇めていた敬虔な者たちが、です。中にはシオンを指差して、あいつは悪魔の化身だと口角泡を飛ばす者まで居ましたが、そのときは信じる者もなく、何より院長がシオンを庇ったので、彼は失望して院を去りました。

 けれど、彼の言い分は正しかったのです。そのときには恐らくもう、院長までもが悪魔の牙に掛かっていたのです。

 陰でシオンに媚び、機嫌を取る修道士たちが増えました。シオンを神か何かのように崇める集団も居たほどです。僕は極力、シオンからも、彼らからも距離を置き、正常を保つ同志と行動するようにしていました。

 シオンが院に来てから二年目の夏でした。シオンが或る道士──僕も名前までは知りません──を誘惑して淫行しようとしたとして、院長が遂に、子どもに成り済ました悪魔を捕らえたのです。シオンは修道士たちの目の届かない場所に監禁されたらしく、それきり姿を見なくなりました。それが地獄の始まりです。正しい判断力を失っていない僕らからしてみたら、彼らの様子は異様でした。院長がシオンを囲って我が物にしているに違いない、暴行された被害者なのだから自ら淫行しようとするはずがないと言って、シオンを取り戻そうとする計画を密談していました。

 彼らの推測は半分、当たっていました。暴動が起きたその日、シオンは院長の部屋に繋がれた状態で見つかったそうです。寝台に両の手足を括り付けられ、仰向けで寝たきりにされた背中には褥瘡じょくそうができて腐りかけていたと聞きました。僕はその目でシオンを見たわけではないので、確かなことは言えません。院長を木に吊るして殺害したあと、誰がシオンを引き取って世話をするかで揉める中、あの殺戮に発展したのです。彼らはある時まで神の使徒でした。それなのに、人ですらない道に堕ちてしまったのです。

 僕と他の数人は、どうにか院を脱出して、こうして此処まで逃げることができました。逗留を許可して下さり感謝します。聖都に院でのことを報告しなければなりませんが、取るものも取りあえず離れたものですから、荒れ野で朽ち果てるところでした。

 シオンの行方、ですか?

 いいえ、僕は知りません。狂信者たちに救われたことまでは聞きましたが、殺し合う彼らから逃げ出すことに必死で、安否までは──。

 シオンの特徴──そうですね、あの子が悪魔だとするなら、あなたがたにも知らせておくべきですね。

 十二歳くらいの子どもです。とても綺麗な顔立ちで、死んでしまったヨハネなんかは、聖霊様が降りてきたみたいだと言っていました。……えぇ、本当にそうです。本当にそうなら良かった。……白い髪に真っ白な肌。瞳は夜のように昏かった。髪も瞳も生まれつきだそうです。華奢で小柄で、ひどく痩せていました。

 ……顔つきまではっきりと思い出せませんが、そうですね、特徴はあなたと似ていたように思います」

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