第3話 葬式の一年前
マナトが大きくなり小学校へ通う様になった時、私にはどうしても譲れない事があった。
マナトには野球をやって欲しかったのだ。
マナトは運動神経も良く、きっと良い選手になるだろうと言う親バカなバイアスも少しあったが、何より、私自身が自分の野球人生にシコリを残していたからだ。
私は人よりも野球が上手だった。中学でもキャプテンで活躍し、強豪の高校からスカウトが来た。しかし、私はそれを断って地元の友人たちと野球をする事を選んだ。
その時は「それが正しい」と思っていたが、予選の早い段階で負けてしまった自分のチームと全国の切符を手にして心の底から喜んでいる同い年の選手を見比べた時、私は後悔した。
もし、あの時必死になっていたら、あの中に自分もいたかもしれない。
大学で本格的に野球をしたくても、三年間、全国を目指して本気で鎬を削っていた選手たちと、地元でお山の大将をしていた自分とでは埋められない差ができてしまっていた。
だから、マナトには本気で野球をやって欲しい。おそらく、自分の遺伝子がどこまで通用するのか、この目で見たかったのだろう。
マナトが野球の試合に出ると聞くと、休日ならなるべく私は試合を見に行く様にしていた。初めて見る自分の息子は、テレビで見ていた野球選手を間近で見る様で、なんだか緊張した。
ただ、大勢いる子供の中で、なぜかマナトだけは私には他の子供よりも色が濃く見えた。
同じユニフォームで同じ背格好、帽子をかぶって仕舞えば、体が大きいか美男子でない限りは見分けなどつかないのに、マナトだけは見失うことが無かった。
葬式を終え、私と洋子さんは車に乗せられ火葬場に向かう事になった。前を行く霊柩車の荷台にはマナトの遺体が入った棺桶が入っている。
後ろからそれを見ていると、自分の子が荷物の様に荷台に乗っている様子を想像し、なんだか切なくなった。
昼を過ぎ、日差しが強くなって来た。
黒い服を着ているから尚更、その日の日差しは強く感じた。
マナトの初めての試合を見たのも、丁度去年の今頃だった。
「どんな子に育てたいとかって、ありました?」
後部座席の隣に座っていた洋子さんが聞いて来た。時間も経ち、私たちはさっきよりも砕けた感じに会話ができる様になっていた。
「野球をさせたかっただけですかね、私は」
「田代さんがやっぱり言ったんですね」
私は苦笑いで返した。
名前も付けて、こう考えると私は自分が思っていた以上に子煩悩だったみたいだ。
「洋子さんは、何かありましたか?」
「私は……」
洋子さんはそこまで言って、止まってしまった。
「特にない、ですかね」
「そうですか」
洋子さんは、マナトに関心が無かったのだろうか?
あれほど必死に名前の事でお礼を言ってきたのだから、そうは思えないが……特にマナトへの要望は出していなかったのか。
車は麓の駐車場に停車し、火葬場のある建物まで少し歩く事になった。
洋子さんはカバンから日傘を出して、坂を歩き始めた。
「あっ」
私は彼女の日傘を見て、思わず声が出てしまった。
彼女の差した薄紫色の日傘……私がマナトの試合を見に行ったグラウンドでよく見かけた日傘であった。
私の「あっ」と言う声を聞いた途端、洋子さんは恥ずかしそうに目を逸らした。
それを見て、私も恥ずかしくなり、洋子さんから目を逸らしてしまった。
その後、二人とも顔を赤くさせ、しばらく無言で坂を歩いた。しかし、しばらく経ち、お互い観念したように目を合わせた途端、同時に笑ってしまった。
「もしかして洋子さん、私の事、気付いていました?」
「今日、挨拶する前から「ああ、やっぱり」って」
彼女は悪戯に笑った。
私は一人、更に顔を赤らめた。
マナトの初打席、マナトの打った打球は大きくバウンドしてセカンドの頭を超えていった。
私は小さくガッツポーズをし「よしっ!」と思わず声が出てしまった。
すると、近くにいた薄紫色の日傘を差したサングラスの女性が私の方を睨む様に見た。
私は「相手のピッチャーのお母さんだろうか?」と思い、拳を咄嗟に落とした。
「あっ」
しかし、次の瞬間、その女性が小さい声で呟いた。
見るとマナトが二塁に向かう途中に転んでしまっていた。
一塁を踏んでいるので記録はヒットだが、マナトはアウトになってしまった。
その事で、私は大きなため息をついてしまった。
すると隣の女性は今度はギロっと敵意剥き出しで私を見てきた。
気まずくなった私はトイレに行くフリをして、別の場所から観戦する事にした。
以来、マナトの応援で薄紫の日傘を見かけると恐くなり、避ける様になった。
「それでは最後のお別れです」
炉の前でマナトの入った棺桶が開かれた。
棺桶の中でマナトは綺麗な顔で眠っていた。
しかし、葬儀場で見た時はなんとも思わなかったが、洋子さんと二人で色々と話し、改めて息子の寝顔と再会した途端、体の奥から込み上げてくるものがあった。
あと一歩で泣きそうになった。しかし、隣から私よりも早く泣き崩れる洋子さんの姿を見て、私は我に帰った。
私は蹲る彼女を抱き抱えて立たせた。
私の胸の辺りが彼女の流す涙で、どんどんと熱くなっていく。
「あっ」
私は棺桶で眠るマナトを見て、声が出た。
息子の左手には野球のグローブが付けられていた。
泣いている洋子さんの隣で、私は嬉しさを感じた。一つでもマナトに好きな物を与えられた自分が誇らしかった。
でも……マナトはもっと野球がしたかっただろうか?
自分がマナトと同い年の頃は、毎日、ただ野球をするのが楽しくて仕方が無かった。
私は洋子さんを強く抱きしめた。
係員の方が棺桶の蓋を閉め、息子を乗せたストレッチャーは囂々と燃える炎の中へ入って行った。
炉の扉が閉まり、息子の人生が終わった。
子供でも容赦ない呆気ない最後であった。
私は無念で、少しの間、呆然としてしまった。私の胸の中にいた洋子さんは、もっと私に近付こうと顔を私の胸に押し付けて来た。
あの子をもっと生かしてあげたかった。
子供が欲しい。
二人が同時にそう心の中で呟いたのが、その瞬間に分かった。
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