第2話 葬式の前日

 マナトが死んだと言う知らせが来たのは葬式の一週間前。

 すぐに職場に通知書を持参して、忌引き休暇の申請を行なった。


「貧乏くじを引いたな」


 課長は笑いながらそう言い、私の申請を受け取った。課長の言い方には少しモヤっとしたが、私は愛想笑いで誤魔化した。

 結婚には関心が無かったが、息子のマナトについては少なからずの愛着は持っていたからだ。


 息子をマナトと名付けたのは私だ。

 マナトが生まれた時、政府から「命名権に関する通知書」として書類が送られて来た。

『アナタの遺伝子と母親となる女性の遺伝子が受精した』と聞き、「ふーん」と手で雑に開けた封筒の中には、角に「命名」と書かれただけの長方形の紙が入っていた。

 小学校の頃、飼育係だった時、ウザギに「マナト」と名付けた事があった。同封されていた男の子の名前のサンプルが書かれた紙を眺めていたら「マナト」の文字を見つけ、つい懐かしくなり『マナト』と書いた。


 数日後にマナトと言う名前で決まったと通知が来た。

 母親側の女性から名前の候補が上がらなかったので、私の名前で即決となったそうだ。


 不思議なもので、名前を付けると少なからず愛着が湧くものだ。

 私はその日からマナトの様子をスマホなどからたまに覗く様になった。


 だから死んだと聞いた時は、寂しかった。

 あんなテキトーにつけた名前でも、だ。


 葬式が始まるまで、会場の親族席で私と洋子さんは隣同士に座らされた。親族と言っても、私たち二人しかいない。

 広いホールの隅に椅子が二つ並び、ポツンと二人で座っていた。私たち以外には誰もおらず、押しつぶされそうな静けさを感じていると、


「あの」


 隣から洋子さんの小さな声がした。


「マナトって名前、とても素敵だと思いました」


 静かでゆっくりとした声が、湖にポトっと羽毛が落ちる様に大きなホールに響いた。

「え?」と顔を向けると洋子さんが私の方を見ていた。


「私も色々と考えたんですけど。どうしても女の子っぽい名前になってしまって」

「……そう、なんですか」


 てっきり彼女は何も名前を考えていないのだと思っていたが、そんな事は無く、ちゃんと考えてはいたようだ。


「逆に無理に男の子っぽい強そうな感じにしたら、乱暴な感じになってしまって「なんか嫌だなぁ」と思っていたんです。それでマナトって名前を見た時、『あ、良いな』って思いました」


 私は返事をしなかったが、洋子さんから視線は離さなかった。「今、この気まずい状況で言う事なのだろうか?」と言う不思議な気持ちで、一生懸命ゆっくりと喋る彼女の姿を眺めていた。


「なんて言うんでしょう……丁度良いって言うか」

「丁度良い?」

「はい……弱そうで怯えてる風でもなく、強そうで威張ってる感じでもなくて、でも男の子だなって言う感じがして……」

「はぁ」


 褒められているようだが、正直、何を褒められているのかサッパリ分からなかった。なので返事する言葉が一つも浮かんで来ず、空返事みたいになってしまった。

 「マナブ」って同級生と「ガクト」って同級生と一緒に飼育委員をしていたから、ウサギに「マナト」とふざけ半分で名付けただけだ。しかも、そんなウサギにつけた名前を更にふざけ半分に息子につけたのだ。


 褒められたところで、罪悪感しか覚えない。これ以上、洋子さんの賛辞が続くようなら、私は顔を赤らめるかもしれない。


「それで、なんか『良いなぁ』って思いました」

「あ、はぁ」


 声がぱったりと消えた。

 洋子さんの話は終わったようだが、何も返事ができなかった。

 そのせいで、広い会場にさっきよりも大きな沈黙が生まれ、私と洋子さんの間の空気がより一層重たくなった。

 さっきよりも「シーン」と言う空気の擦れる音が大きく聞こえるような気がした。


「今日は、」


 それでも洋子さんはまだ話を続けた。


「どうしてもそれを言おうと思ったんです」


 彼女はニコッと微笑んだ。

 凄く優しい自然な笑み。

 彼女に釣られて、私も笑みが溢れた。


 彼女は、この重い空気をモノともしないのではない、感じていないのだ。

 この数十分で彼女の性格が分かってきた。

 彼女は恐ろしくマイペースで、時間や他人の目という概念がない。

 しかし、道路を渡るカルガモの親子のように、そのユックリさが不思議と焦ったく感じない。むしろ、心地良く見守ってしまう。

 素直で、優しい。

 なのに、自分が決めた事を真っ直ぐに進めていく柔らかい芯もある。


「いい名前をありがとうございます」


 ニコッと私に会釈した彼女を見て、マナトの幼稚園での運動会のことを思い出した。


 運動会の徒競走でマナトは一位を走っていた。でも一緒に走っていた友達が転んだのを見て、マナトは振り返り、立ち止まってしまった。

 そのせいで他の子に抜かれてマナトは三位になった。なのにマナトは気にする素振りもなく、ゴールした後、泣いている友達の膝の土を払ってあげていた。

 私はそれをパソコン越しに見て、クスッと笑ってしまった。


「……なるほど」


 私にとって、それは洞窟の中で大きな光を見た様な大発見だった。

 私はフッと思わず笑ってしまった。


「私、何かおかしな事を言いましたか?」

「いえ、すいません。こちら事です」


 あれだけ重苦しい空気が気づけば何処かへ消えていた。私が笑ったあの時のマナトは洋子さんだったのか。

 笑みが溢れながら「面白いな」と心で思った。








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