第30話 友人として
テレサに殴られたアイーダは、呆然とした表情で床に倒れ込んだまま、動こうとしない。
「ちゃんと事実を全て話せ。そうしないと……」
再び拳を振り上げると、アイーダはびくっと全身を震わせ、話すから! と大声で言った。どうやら、先程の一撃がかなり効いたようだ。
やっぱり、とりあえず殴るのが一番だわ。
上手く誘導したり、どうにかして証拠を掴んだり、上手いやり方はいくらでもあるのかもしれない。
しかし、テレサからすると、殴って解決するのが一番手っ取り早いのだ。
それに、この人たちはカーラさんを苦しめていたんだもの。ちょっとくらい殴ったって、ばちは当たらないわよ。
「……私もカーラの異能について知っていたのは事実よ。オーナーが異能の使用を強制していることも知ってるわ」
アイーダの言葉に、ジョバンニがゆっくりと頷く。二人とも、テレサから殴られたせいで、反抗する気力を失ったらしい。
王都相談員であり、貴族であるフランクもいるから、もうどうにもならないと諦めたのだろう。
「でも、仕方ないじゃない。そうしなきゃ、この子はここでやっていけないわよ」
アイーダがそう言うと、カーラが俯いてしまった。この期に及んで彼女を傷つけるなんて腹立たしいが、アイーダの本音なのだろう。
「あの子にとっても悪い話じゃないと思ったわ。普通に働くより早く借金を返せるし、店が守ってくれるから、客と大きなトラブルになることもないんだから」
確かに、もし店を通さず、カーラが個人的に男たちを騙していたら、カーラは数多くのトラブルに巻き込まれていただろう。
クレームを言われるだけで済んでいるのは、彼女がオルタナシアに在籍しているおかげだ。
「異能を無許可で使うことが禁じられていることは知っていただろう?」
テレサの質問に、アイーダはあっさりと頷いた。
「そりゃあね。けど、バレなきゃどうってことない。うちの客はほとんどが平民だし、疑われることもない……そう思ってたのに」
妓楼での揉め事は、他での揉め事に比べ表沙汰になりにくいだろう。だからこそ、店に怒鳴り込んでくる客は多くいても、騒ぎがそれほど広まっていなかったのだ。
テレサたちが調査にこなければ、カーラは一生オルタナシアで異能を使い続けていたかもしれない。
カーラは異能で男を魅了している。そのため、いくら年を重ねても、カーラの人気が落ちることはなかったはずだ。
けどそんなの、カーラさんにとっては、生き地獄だわ。
「アイーダさん、オーナー」
黙っていたカーラが口を開き、ゆっくりと二人に近づいた。空気を呼んで、テレサはフランクのところまで下がる。
「お前、本当に容赦ないな」
アイーダを見ながらフランクに言われた。男の彼からすれば、テレサがアイーダを思いきり殴ったことにびっくりしたのだろう。
いい加減なところも多いが、貴族である以上、紳士としての振る舞いを教育されてきたはずだから。
でも私は女だもの。女相手だからって、手加減しようなんて思わないわ。
「まだ、一発殴っただけですよ」
「……これ以上殴るつもりなのか?」
「それはまあ、カーラさん次第ですけど」
「俺も、お前を怒らせないようにしないとな」
冗談っぽく言うと、フランクは笑った。
「さすがに、主人を殴ったりしませんから」
「そうか。それなら安心だな」
フランク様を殴ったりしたら、せっかく見つけた居場所も仕事もなくなっちゃうわ。
というかそもそも、この人を殴ったりしたら、可哀想だし……。
そこまで考えて、テレサは自分の思考回路に驚いた。
女だろうと容赦はしないし、必要があれば殴るつもりだ。それなのに、どんな状況を想定しても、フランクの顔を殴れる気がしない。
この人の唯一とも言っていい長所って、顔面だもの。
それに、なんていうか……こんなに綺麗な顔、殴れなくない?
はあ、と溜息を吐いたところで、アイーダさん、と名前を呼ぶカーラの声が再び聞こえた。慌てて視線を向けると、カーラがアイーダの手をぎゅっと握っている。
「私、アイーダさんには感謝してるんです。母がいなくなった後、幼かった私の面倒を見てくれたのはアイーダさんでしたから」
カーラは泣きそうな顔でアイーダを見つめている。でも、涙を流すよりも先に、カーラはアイーダの手を離した。
「ありがとうございました、アイーダさん」
感謝と別れの言葉だ。カーラは一度頭を下げると、真っ直ぐにテレサのところへやってきた。
「リリーさん……たぶん、本名は違うんでしょうけど……ありがとうございます」
「カーラさん……」
「でも、アイーダさんのことは、もう殴らないであげてください」
カーラの言葉に頷く。彼女がそう言うなら、これ以上アイーダを殴る理由なんてない。
後はひたすら騒ぎを大きくし、ジョバンニとアイーダを治安維持隊のところへ連れていくだけだ。
それで、今回の依頼は終わる。
だけど。
「カーラさん」
テレサはとっさに、カーラの手を掴んでいた。いきなりの行動に、カーラが軽く目を見開く。
「後で……その、二人で話せませんか。ただの、友人として」
思わず声が震えてしまった。友人、なんて口に出して言うのは初めてだったから。
これで依頼は終わり。でも、カーラと会えなくなってしまうのは嫌だと思った。
私、きっと、カーラさんと友達になりたいんだわ。
こくん、と小さく頷いたカーラを見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
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