第26話 もう限界

「ここです」


 テレサがそう言って扉を指差すと、カーラは緊張した顔でごくりと頷いた。


 今、テレサたちはテレサが暮らす屋敷の前に立っている。今日は客として、王都相談員のフランクに相談しにきたのだ。

 もちろん、フランクにはちゃんと事情を伝えている。


 カーラさんとフランク様は何度か面識があるけれど、一応フランク様は変装しているし、喋ったことはないから気づかないはずだわ。


 カーラは大人気だ。宴の最中に、他人の客を気にする余裕なんてないだろう。


「……あの、本当に大丈夫なんでしょうか。私、自由になるお金、本当に全然ないんです」

「大丈夫です。お金がなくても、ちゃんと話を聞いてくれる方ですよ」

「でも、オーナーがお金を渡したら、私のせいにされないか、不安で」


 カーラが心配するのも無理はない。王都相談員にはいろいろな人がいて、金持ちからしか依頼を受け付けない者もいるのだ。


 しかし、フランクはそんな人たちとは違う。なぜなら、選り好みできるほど人気ではないからだ。


「とりあえず、話してみましょう。安心できそうだったら、依頼すればいいんですから」


 テレサがやや強めに背中を押すと、はい、とカーラは頷いた。


 カーラさんはきっと、現状を変えたいとずっと思っていたはずよ。でも、そのきっかけが掴めなかっただけ。

 こうして背中を押せば、きっといくらでも変われる。


 テレサが辛い日々から抜け出せたのも、母の死という大きなきっかけがあったからだ。


 コンコン、と扉をノックする。少しすると、緊張した顔のクルトさんが出てきた。


「いらっしゃいませ、お客様。すぐに主人を呼んでまいります」

「お願いします」


 極力目を合わせないように喋った。そうしないと、知り合いだということがバレてしまいそうだったから。


「では、応接間でお待ちください」


 クルトに言われ、慣れない風を装って応接間へ向かう。カーラは不安なのか、テレサに身を寄せて座った。

 少しすると、フランクが応接間にやってきた。


「いらっしゃいませ。今回は、どのような依頼でしょうか?」


 フランクはにっこりと笑った。砂糖菓子のように甘い笑顔は、対女性用である。


「こんなに可愛い方々がお客様だと、なんだか緊張してしまいますね」


 照れたようにフランクが笑う。演技だと分かっていても、少しだけどきっとしてしまう。

 それはカーラも同じようで、カーラは赤くなった頬を隠すように俯いていた。


 なんだか、複雑な気持ちだわ。


「今日は相談したいことがあって、ここにきたんです」


 テレサが口を開いても、フランクはカーラばかり見つめている。面白くないが、目を合わせて他人のふりをする自信もない。


「カーラさん」


 カーラの背中をそっと叩く。カーラは軽く頷いて、ゆっくりと顔を上げた。


「私……実は、異能使いなんです。それが今働いている店のオーナーにバレて、無理やり、異能を使わせられているんです」


 カーラの声は震えている。強制されたこととはいえ、自分の罪を口にしているのだから当然だ。


「私の異能は、触った異性を魅了すること、です。私が眠ったり、意識を失えば効果はなくなります」


 カーラの話を聞きながら、フランクがメモをとる。異能の詳細についてはまだ聞けておらず、テレサも今初めて知った。


 カーラさんが意識を失うことが、効果がなくなる条件なのね。


「その異能を使って仕事を?」


 事情を知っているくせに、フランクはそう尋ねた。カーラは気まずそうな表情になったものの、深呼吸をして話を続ける。


「はい。私は妓楼で働いているんです。それで、お客さんに異能を使って、大金を使わせて……でも、お金はほとんど店に渡しています。私には、母が残した借金がありますから」


 ぎゅ、と拳を握り締めてカーラは俯いた。


「逃げようとは思わなかったんですか?」


 フランクの問いかけに、カーラが泣きそうな顔をする。

 ここまでぐいぐい事情を聞けるのは、王都相談員という立場があるからだ。


「……私は、オルタナシアで生まれました。母はオルタナシアで働いていた妓女で、私が四歳の時に、母は駆け落ちしていなくなったんです。父は誰なのかも分かりません」


 父は不在で、母親は自分を疎ましく思っていた。

 そんなカーラの幼少期を想像するだけで胸が苦しくなる。


「そんな中、私の面倒を見てくれたのはアイーダさん……店で働いていた別の妓女なんです」


 アイーダは元妓女だ。年齢から察するに、おそらく、カーラの母親とは同僚だったのだろう。


「優しくしてもらったわけじゃありません。でも、住む場所や食べる物をくれたのはアイーダさんでした。だから……」


 きっとカーラは、アイーダを母のように慕っているわけではない。二人の様子を見ていれば、そこまでの親密さがないことは分かる。


 けれどカーラにとっては、アイーダが最も近しい存在なのだろう。だから、店から逃げることができずにいるのだ。


「そのアイーダという人も、貴女の異能について知っているのですか?」


 フランクの問いかけに、カーラはゆっくりと首を振った。


「……分かりません」


 カーラが本当のことを口にしているのかどうかは分からない。

 異能についてアイーダが知っていたと認めれば、アイーダの罪を暴くことになるから。


 もしかしたらカーラさんは、アイーダさんを庇っているのかもしれないわ。


 カーラが両手の拳をぎゅっと握り締めた。顔を上げて、真っ直ぐにフランクを見つめる。


「私、もう限界なんです。今の暮らしが続いたら、きっとおかしくなってしまいます。だから……」


 すう、とカーラは大きく息を吸った。


「助けてほしいんです。お願いします……!」

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