第10話 聖女様の噂
「とりあえず、これくらいはいいだろ」
そう言ってフランクが差し出したのは、先程路面店で買ったばかりのホットワインだ。
疲れた身体にはちょうどいい。
「ありがとうございます」
カップに入ったワインをゆっくりと飲む。あまり度数は高くないようで、甘口で飲みやすい。
「それにしてもテレンス、さっきはお手柄だったな。あれで、ごろつき退治系の依頼がくるようになるかもしれない」
瞳をキラキラと輝かせ、フランクが笑う。
確かにごろつき退治の依頼なら、テレサの異能を使えば簡単だ。
「なあ、テレンス」
「はい」
「そういえばお前は、なんで家を出てきたんだ?」
不思議そうな顔でじっと見つめられ、テレサはとっさに目を逸らしてしまった。
フランクはテレサの身分も確認せずに雇ってくれて、共に暮らすことを許してくれた。
だが、出自について一切質問しない、なんて約束は交わしていない。
この人のことだから、特に意味もなく聞いてそうだわ。デリカシーなんてものは存在しなさそうだし。
だからきっと、私を怪しんでいるわけじゃないはず。
そういえば、と言っている通り、なんとなく気になっただけよ。
フランクといると、言葉の裏や本心を探ろうとしなくていい。だから、彼といるのは楽だ。
「……母が死んだんです」
「ああ、モルグが故郷だったという母親だろう。それは残念だったな、本当に……」
「はい。僕は妾の子で、酷い扱いを受けていました。なので母が死んだ後は、家にいる意味なんてなかったんです」
女だ、と彼に明かすことはできない。けれどそれ以外の部分では、なるべく嘘をつきたくないと思った。
それに女だと明かしたくないのも、彼を信頼していないからじゃない。
女だと明かすことで、フランクの態度が変わってしまうことが嫌なのだ。
バウマン家の娘だと伝えたところで、フランクがそれを周りに言いふらすとは思っていない。
けれど、女だと知れば少しは態度が変わるだろう。
今さら甘い言葉で他の子と同じように口説かれるのは嫌だもの。
「なるほど。正妻の子じゃないから、扱いが悪かったわけか」
「はい」
「お前は何も悪くないのにな」
当たり前のことを、フランクはさらっと口にしてくれた。
どんな顔をしたらいいか分からなくなって、残っていたワインを一気に飲む。
「怪力の異能持ちの男なんて、たいそう持て囃されるだろうと思ったんだ」
フランクはそう言うと、少しだけ陰のある笑みを浮かべた。
「俺は異能持ちだが、枯れた花を咲かせるなんて、言ってみれば美しいだけの力だ。まあ、美しすぎる俺の顔にはぴったりなんだが……」
こんな時でさえ自分の顔を褒めるなんて、と少し呆れる。
でも、雰囲気を暗くしすぎないように気を遣ってくれているのかもしれない。彼がそこまで考えられるかどうかは分からないけれど。
「こんな異能かと、周囲には何度かがっかりされたな。それでも一応、王都相談員の任につくことはできたが」
女のくせに怪力という異能を持って生まれてきたテレサは、野蛮だと周りから冷笑され、馬鹿にされた。
同じように、枯れた花を咲かせるという異能を持って生まれた彼も、役に立たないと馬鹿にされたのだろうか。
性別が逆だったら、ちょっとは違う扱いを受けていたのかしら。
「お前が用心棒になってくれて、本当に助かった。これからは俺も、ちゃんと王都相談員として働ける。ただの遊び人、なんて馬鹿にされることもない」
そう言って、フランクも残りのワインを飲み干した。
いつも通りの明るい笑みを浮かべ、空になったテレサのカップをとる。
「返してきてやる」
そう言うと、くるりと背を向け、フランクはホットワインの店へ行った。
主人なのだから、そういう雑用はテレサに任せてもいいのに。
フランクが戻ってくるのを待っていると、ふと、近くにいた二人組の会話が耳に入ってきた。
「聞いたか、聖女様の……メリナ様の噂」
「噂って?」
「第二王子に婚約を申し込まれたらしいぞ。なんでも最近、姉が亡くなって落ち込んでいたメリナ様を、第二王子が元気づけようとしたとか」
メリナが、第二王子と婚約?
っていうか、姉が亡くなって落ち込んでいた?
そんなのあり得ないわよ。あの子が、私が死んだことを悲しむはずないじゃない。
どくん、どくんと心臓がうるさくなる。
メリナの話なんて聞きたくないのに、テレサはその場から動くことができなかった。
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