第3話 だって、お腹が空いてたんだもの!
食料と水を買い、テレサは街を出た。
本当は馬も欲しかったが、馬を買うような金はない。食料と水だって、たいした量は買えなかった。
水は途中で川や泉を探すとして、問題は食料よね。
道具がないから、山の中で動物を狩るのは難しいだろう。
「まあ、なんとかなるか」
独り言をいう時も、女らしい言葉にならないことを意識する。
日頃から意識していないと、ふとした瞬間に素が出てしまうからだ。
母の故郷は、王都から少し離れたところにある。だが、近道を通れば徒歩でも一日あれば到着するはずだ。
これからどうするかは、母の故郷についてから考えよう。
バウマン家で嫌がらせのように家事や雑用を押しつけられていたから、できることはそれなりにある。
「上手く働き口を見つけられるといいけど」
王都の方が仕事は多いだろうが、バウマン家の人間に見つかるリスクも大きい。
それに今は、母が愛していた故郷でゆっくりと過ごしたい。
◆
「……おかしいな」
かなり歩いたのに、まだ街は見えてこない。
真っ直ぐに山道を歩いてきたつもりだが、どこかで道を間違えてしまったのだろうか。
前方に広がっているのはただの荒れ地だ。
左右をきょろきょろと見回しても、草や木以外は何も見えない。
溜息を吐いたのと同時に、腹が大きく鳴った。
既に鞄にはほとんど食料は残っていない。夕方過ぎには到着するだろうと、昼に持っていた食料をかなり食べてしまったのである。
冷たい風がテレサの頬を撫でた。目の前の荒れ地が、夕陽に照らされてほんの少しだけ綺麗に見える。
引き返すべきか、それとも山の中をさまようべきか。
一度座って考えようとした時、耳を塞ぎたくなるほどの叫び声が聞こえてきた。
「助けてくれ! 誰か、頼むから!」
男の声だ。距離はそこまで離れていないだろう。
もしかして、獣にでも襲われている?
山の中でも、ちゃんと山道を通れば獣に遭遇する可能性は低いはずだけど。
とはいえ、可能性が低いというだけで、獣が山道に出没することもある。
知らない人を助ける義理はないが、無視するのも気が引ける。
それにこんな山の中なら、異能を使っても咎められることはないだろう。
「誰かー!」
再び叫び声が聞こえる。覚悟を決めて、テレサは声がする方へ走り出した。
◆
「誰か! おい、やめろ、こっちへくるな!」
「待て、逃げるな! 逃げても無駄だぞ!」
目の前に広がる光景を見て、テレサは全力で走ってきたことを後悔した。
なぜなら、目の前では二十歳前後の男が二人、追いかけっこをしていただけだったからである。
追いかけられている方は、ぎょっとするほどの美男子だ。
桃色の髪に、翡翠色の瞳。砂糖菓子のように甘い顔立ち。華やかさと上品さを両立させた顔立ちは、きっと多くの少女を魅了するだろう。
今は、必死の形相で逃げ回っているけれど。
「あっ、おい、そこ、そこのお前! 俺を助けてくれ! 頼む!」
彼はテレサに気づいたようで、情けなく叫んだ。そんな彼を見て、追いかけている方の男が怒りの叫び声をあげる。
「被害者面をするな! お前が俺の女に手を出したんだろ!」
なるほど、ただの痴情のもつれか。
テレサは呆れて溜息を吐いた。
獣に襲われているなら助けてやろうと思っていたが、他人の恋人に手を出して怒られているのなら自業自得である。
追いかけている男は、日に焼けており、立派な体格を有している。イケメンさでは桃色の髪の青年に負けているものの、喧嘩をすれば勝敗は明らかだ。
とりあえず、妙なことに巻き込まれないうちに逃げよう。
そう考えたテレサは踵を返そうとする。しかし、美青年が走ってきて、素早くテレサの背後に隠れた。
「お願いだ、俺を助けてくれ!」
美青年は震える手でテレサの肩を掴んだ。
「関係ねえ奴はすっこんでろ! こいつは俺の婚約者に手を出して、しかも遊びだと彼女を捨てたんだぞ! しかも彼女から金を受け取っていたんだ!」
「俺は彼女に甘い夢を見せてやっただけだ! 浮気されたのはお前に魅力がないからだろ!」
テレサの背後に隠れているくせに、美青年は威勢よく言い返した。
話を聞いている限り、この男は顔がいいだけで最悪な男ね。
助ける必要はない。テレサがそう判断した時、ちょうどテレサの腹が盛大に鳴った。
それを聞いた美青年が、慌ててテレサの耳元で叫ぶ。
「あいつをどうにかしてくれたら、美味い飯をたらふく奢ってやる!」
美味しいご飯を、たらふく?
金なし、食料なしのテレサにとって、これほど魅力的な言葉もない。
「どかないと、お前ごと殴るぞ!」
目の前の男が大きく拳を振り上げた。
これ、正当防衛にならないかしら? なるわよね。うん、なるわ、絶対。
すう、とテレサは大きく息を吸い込んだ。そして、ぎゅっと拳を握り締め、男の頬を思いっきりぶん殴る。
男は勢いよく吹っ飛んで木の幹に激突し、そのまま意識を失ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます