第2話 結婚記念日


 二人の生活は、朝は、いつも圭子が柴田より早く起きた。圭子は、滅多に朝ご飯を食べない一日2食主義。

 昼も彼と別々だから、一緒に食事をするのは、夕食だけだった。


 夕食と言えば、柴田はカレーが好きだった。


 彼女が時々、朝、食事をするとき、柴田は、まだ、寝たままだ。

 起こすと機嫌が悪いので、起こさずに、自分だけで食事をする事にしている。

 

 食事と言っても、買い置きの食パンに、買い置きのバターと、買い置きのはちみつ(バターも、はちみつも結構高価なものだ)を塗って3分焼くだけ。


 飲み物は、買い置きの牛乳に、買い置きの青汁を入れ、はちみつを入れてかき混ぜる。よくかき混ぜなければ、青汁も、はちみつも解けないので、よくかき混ぜる。

 

 これだけ。


 食事を済ませると、さすがに、「彼をそろそろ起こさなければ」、

圭子はそう思い、彼を起して、彼女はさっさと出かける。


 だから彼が、どんな朝ご飯を食べているか桂子は知らない。


 朝、いつも乗るバスの込み具合は、毎日ほとんど変わらない。

 そして、毎日座れる。

 バス停には、だいたい10人程度待っているが、必ず座れる。

 そこが始発の駅なのだ。


 そして終着駅までバスに乗ることになる。


 終着駅に着く頃にはバスは満杯状態。

 運転手は「もう乗れません、次にしてください」と言いながらも乗車口を開ける。

 

 圭子の仕事は中学の計算問題と同じレベルだった。

 中学時代の試験問題を解かされているような気が彼女はしている。

 時々高校級も出てくるのだが、彼女は数学は好きだったので面白いと思っている。


 それを基に資料を作成し、そして会議で発表する。

 この会議は各部署の部長クラスが出席し、もし間違いがあったりすると、ここで締め上げられる。

 この締め上げが厳しいので気が抜けない。

 

 彼女は、昼休みの時間は、ほとんど部下の後藤と一緒だった。

 若い女の子のグループに交じって食事をする事もあるが、女の子の話題に、

全くついていけず、苦痛すら感じ、結局圭子は一人になる。

(時代の違いというのは恐ろしかった)


 そうすると部下の後藤が、必ず圭子に近づいてくる。

 そして後藤が鬱陶しくなって、女の子の集団に近づく。


 そして一人になる。

 するとまた、後藤が近づいてくる。


 この繰り返しだ。


 昼ごはんのメニューは、会社の食堂のA定食550円。

 魚と肉料理が毎日交互に出てくる。

 そして、自動販売機の野菜ジュース130円を飲むようにしている。


 一日の出費はこの680円である。

 

 3時の休憩時間にはラジオ体操がある。

 参加は自由だが、彼女は必ず参加するようにしている。

 この時間に体操をすると、体中の血行が促進されるような気がする。


 彼女が参加するようになってから、参加者が増えたと評判になっている。


 彼女は、ここは一発、見たけりゃ見せてやる。

 そう思い、ブラジャースケスケのTシャツ一枚に着替えて体操をしている。

 このTシャツは、去年、彼女が近所の藍染め教室に参加した時に、その藍染め工房で自分が手染めしたもので、彼女お気に入りのTシャツだった。

 

 4時を過ぎる頃、彼女はいつも仕事が重く感じてくる。

 定時は5時半だが、それまでの1時間半が、かなりハードな上り坂に感じられる。

 そこで気を抜くと残業ということになる。


 結局、短時間で過酷にやりきるか、長時間で楽に、仕事をするかの違いである。


 帰りもバスに乗って約40分。

 彼女は必ず座れるので楽だと思っている。

 眠っていても、終点まで行く事になるので、着いたら運転手が起こしてくれる。

「お客さん、着きましたよ」

 この一言が彼女には非常にありがたかった。


 はバスの中ではよく高校生、中学生の女子一群と一緒になることがある、彼女たちがうるさい。

 何が楽しいのか、きゃあきゃあ騒ぎながら、話をしている。

 自分にもあった、あの頃だ。圭子はそうは思ったが、腹ただしく感じた。


 一度、前の席に座っている、女子高生のポニーテールの髪の毛を、捕まえて思いっきり引っ張ってやろうと思っているが、さすがに実行できないでいる。


 バスを降りて10分くらい歩き、そして部屋に着く。

 今日は、柴田は帰っていた。

「ただいま」彼女が言った。

「おかえり」新聞を読んだまま、顔を上げずに彼が言った。


 柴田が風呂に入り、そして食事をした。

 圭子は食事をしてから入る。

 彼女は少しぬるめのお湯がいいのだ。

 そしてシャワーを浴びる。


 風呂に入りながら圭子は考えた。

 そろそろ冬。

 しかし今年はまだ雪はない。

 

 そうだ、まだ何も冬の準備していない。そろそろ始めなければ。

 彼の服も、夏物のままだ。そう、そして今年の冬はダウンのコートを新調しよう。

 何色にしようか。そんなことを考えながら、彼女は風呂に入っていた。


 そして圭子は風呂から上がり、本を読んでいる柴田に言った、

「お願いがあるの」

「何だい」柴田が本を読んだまま答えた。

「私、今年の冬はダウンコートを買おうと思っているの」圭子が言った。

「いいね、僕もダウンが欲しい、お揃いにしようか?」


 柴田が、本から顔を上げずに言った。


「素敵!おそろいのダウン、お揃いなんて初めてね」圭子は、はじけるような笑顔を見せて喜んだ。

「次の休みに買い物に行こうか」柴田が本を見たまま言った。

「久しぶりのデートね」圭子が言う。

「そうだった、次の休みは結婚記念日だ」柴田が答えた。

「あら、覚えていたの」圭子が柴田に抱き着き、叫んだ。


 さっそく次の休みに二人で街に出かけてダウンコートを買った。

 

 二人で街へ出るのは久しぶりだ。ダウンは圭子が深い赤、柴田が深い緑だった。

 柴田は緑色が好きらしい。圭子はそう思った。結構高価なダウンだった。

 二人はどうせ買うならいいもの主義だった。安いものは買わない。

 そしてその日が、偶然にも結婚記念日だったことが、さらに圭子を喜ばせた。


 お昼は二人でラーメンを食べた。

 山岡家のラーメンである。

 圭子は山岡家のラーメンが好きだった。

 何がどうと言われてもわからない。

 

 コクだの深みだの香りだの、抽象的なことは分からない。

 ただ決定的に美味しいだけである。

 彼女はそう感じていた。

 二人で外食も久しぶりである。

 彼女は子供のようにはしゃいだ。


 夜は寿司を食べた。


「結婚記念日。贅沢をしよう」柴田がそう言ったのが、圭子を感動的に喜ばせた。

 圭子は、部屋の近くのトリトンが好きだったので、そこへ行く事にした。

「私はサーモンが好き」

 圭子が言うと、柴田が答えるように言った。

「僕は何といってもトロ、脂ののった、とけるようなトロが好きだ」


 二人は買ったお揃いのダウンをさっそく着ていた。

 その日の柴田は久しぶりに楽しげな表情を見せ、そして二人はお酒を飲みながら寿司を食べた。

 お酒を飲んだということが、その夜を一段と素敵な結婚記念日とした。

 しかし、二人が心の奥底で何を思っていたのか、お互いをどう思っていたのかは知らない。


 それは二人だけしか知らない。

 

 圭子は、部屋に帰ってからのことは、よく覚えていなかった。ただ満足した夜だったという以外は・・・・。

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