恋愛不信 -keikoとsibataのすれ違い夫婦の物語-
吉江 和樹
第1話 3人の出会い
10月のある日だった。
秋も深まり風が赤い。
仕事の帰り道、圭子は、駅の改札を抜けると、階段を徐々に、一段一段とゆっくり降りて行った。
汗臭い色のコートを着た、いかにもサラリーマン風の男達が、足早に彼女を追い越していく。
彼女はホームの誰も居ない場所に立つと、コートの襟を立て、何となく寂しげに、色褪せた様な向かいのホームの看板をちらりと見た。
少しすると2番ホームに、新札幌行きの地下鉄がエナメル色の車体を光らせ、暗い闇を突き破り、勢い良く走り込んで来た。「誰か飛び込みなさい」そう言いながら、誘い込む様に入って来るのだった。
中の乗客は俯いて、何かを祈っている様に見える。
そして、ドアが開くと、
ホームの人の列は地下鉄にゆっくりと流れ込んで行くのだ。
それは、まるでラグビーのスクラムを組んでいるようだった。彼女は人のいないホームから素早く乗りこみ、地下鉄の中で立ったままの時間を過ごすのである。
その時間は25分。大通りから終点、新札幌までだった。
いつも圭子は地下鉄のつり革につかまりながら考えていた。
「この時間は、バスも座れないだろう」彼女は考えていた。
バスは15分間、やはり座れなかった。
そしてバスを降りると5分程度の坂道を歩く。
秋だった。部屋は、もう冷えきっている。
部屋に入り、アパートの暖房を入れると、
そのまま 彼女は大の字になってベッドの上に横になり、眼をつむった。
圭子はふと思った。
今日は金曜日、そう、明日は休日なのだった。
時刻を見るとまだ6時半だ、久々に今日は定時で会社を上がれたのだった。
彼女は思った、久しく飲みにも出ていなかった。彼女は会社の同僚の直美に声を掛けてみる事にした。何度も一緒に飲みに出ている仲だった。
彼女は飲み相手に丁度良い。
圭子は携帯を直美の番号に合わせ、ボタンを押した。
呼び出し音が5回鳴ったが、直美は出なかった。
後2回、そう思って3回待った時、
直美が出た。
彼女の甲高い声が耳に心地よかった。
「どう、今日これから一緒に飲まない」圭子が電話に出た直美に、名前も告げずにいきなり言った。
直美は直ぐに圭子だと分かった。
会社で毎日顔を合わせてるのだ。
彼女に誘われるのは久しぶりだった。
が、特別予定もなかったし、前の彼と別れて、
その時彼女も暇だった。
「いいわよ」気怠そうに彼女が言った。
時間を決めて、場所は何時もの場所。そして桂子は電話を切った。
圭子は早速、何を着て行こうか迷った。
パンティーとブラ一丁で、彼女は自分の部屋の鑑に向かってポーズを取った。
くびれた腰に長い足。胸はCカップ。
しかし、彼女は間違いなく、直美の方がいい女だった。
彼女は自身でも思っていた。
だからと言っちゃなんだが、彼女と居ると男が寄り付いてくるのだった。
大胆な赤のワンピースを着て、首にはプラスチックのネックレス。
化粧をしながら、今夜のふしだらな夜を想像してみた。
激しく熱くなった物が、一層激しく高まってきた。
待ち合わせの場所。
5分ほど経ったところで厚化粧の直美が何時ものピンクのコートで現れた。
店は週末の金曜日。煙草の煙がけむたかったが、客の会話はリズミカルな音楽の様に耳に響いた。とりあえず二人は席に着いた。
席に着いた圭子は、さっそく辺りを見渡した。
二人はビール、中ジョッキを頼むと、出てきたジョッキを軽く合わせた。
お通しは何時ものポテトだ。
さっそく、圭子が、直美が黙っているので、ちょっと面倒くさそうに言いだした。
「直美知ってる? 安本課長、総務の牧野と付き合ってるらしいわよ」
圭子が切り出した。
今日の彼女が、何を企んでいるかは直美は感んじていた。
「へえー、知らなかった」
直美は少し乗らないようだった。
その噂を耳にしていたが、直美は口を合わせた。そして軽く塩の効いたつまみのポテトを口に放り込んだ。
「あの子、同じ課の遠藤とも付き合ってるはずよ」直美が面倒くさそうに言った。
「だから二股よ」
そう言いながら圭子は辺りを見渡していた。
そしてぎこちない手つきでカバンからタバコを取り出し火をつけた。
メンソールだ。
「あら、あなたタバコ吸うの」
直美は最近禁煙したばかりだった。
「最近ちょっとね、一日5本程度よ」
直美はもう一本ポテトを手にした。
そしてその先を何となく見つめながら言った。
「本数はどんどん増えていくものよ。どこまで我慢できるかしら」
1時間ほど経ったところ、2人は少し疲れてきていた。
そこで直美がビールの中ジョッキ3杯目を注文しようとしてた時、桂子が空を見上げる様な目つきで呟いた。
2杯目の中ジョッキを持ち上げ、彼女は天井を見上げた。
「私だけのお殿様がどこかの河から下ってこないかしら、
もーもたろさん、ももたろさん何てね」
そして、ジョッキを置くと6本目の煙草に火をつけた。
「そんなおとぎ話みたいなこと言ってるから行き遅れたのよ」直美が言った。
「私は別に行き遅れたと思っていないわ」と桂子。
二人はそれ以上何も言わずにまた飲み始めた。
そしてまた、あらぬ噂に花を咲かせていた。
すると、しばらくすると
「二人だけで女子会かい」
その時、直美の心に響く声がしたのだった。
稲妻の様に激しい電気が、
直美の頭の先から足の先までビリビリと走り抜けていった。
この時、彼女は、神の声を聴いたのだった。「この男だ」。直美は思った。
彼女は我を失い男を見つめていた。
男はさり気なく、2人の向かいの席に腰を掛け、テーブルにウイスキーの入ったグラスを置いた。
その時の直美は、少し赤みががった大きな目を、さらに大きく見開いて、男を見つめていた。
心の中に、電気が走り、しばらく彼女は言葉を失ってしまっていた。
彼女の心の時間が、止まってしまっていた。
彼女は怯えていた。そんな自分の心に、神の声に、怯えていた。
何故なら彼女は自分が信じられなかったのだ、自分に自信が持てなかったのだ。
桂子は、この直美の変わり様に気付かず、彼女はメンソールの煙草を一息吸うと、
男に向かって冷たく言った。
「丁度退屈していたところなの」桂子が言った。
我に返った直美は、男を自分に向かせようとしてみたが、言葉が見つからない。
桂子が適当なことを言った。
「あたしたち、銀行員よ・・・」(これは嘘だった)
男は、その言葉に、それほど関心も無さそうに返事をしながら、探るように直美の胸元を見つめていた。が、その男の視線の方向を見ながら、桂子は強く思っていたのだった。男は直美に興味を持ったようだったが、「直美には渡さない」圭子は思っていた。
直美が男に自分の話をしようとすると、桂子が口をはさんで、あからさまに邪魔をした。彼の視線は、次第に、桂子の横顔から首筋、そして深く割れた胸元へと投げかけられてきていた。桂子は黙ったまま何も言わずに、静かにその男の視線を受け止めていた。結局、その日、直美は男とほとんど何も話せなかった。
男は柴田と言って、45歳のIT企業勤務のプログラマーと言うことだった。
それから約1時間後、桂子がひどく酔っぱらった直美をタクシーに乗せ、地下鉄に向かった。するとそこに柴田がいた。約束した訳ではなかった。飲み屋街の地下鉄駅の入り口。秋風が吹きこんでいた。
彼女は、静かに彼の手を引き、何時ものホテルへ向かった。
その夜、二人はホテルのベッドの上で、激しく絡み合った。
男は圭子の匂うような女に酔った。
そして男の強さに何もかもを忘れかけて、なまめかしく圭子は囁いた。
「あたしたち今日あったばかりなのに・・・」そして切なげに、透き通るような思いを彼にぶつけ、自身の中の女を感じていた。そして、そのまま眠りについた。
次の朝
「良かったら電話して、携帯教えるのは初めてよ」そして紙を一枚、テーブルの上に投げ捨て、圭子はホテルを出た。
直美は次の朝目、覚ますと酷く頭が重かった。前日何があったよく覚えてはいなかった。どうやって帰ってきたかすら、記憶にない。何時もの通りだった。しかし一ついつもと違う点がある。男の顔、名前を憶えていたのだった。
そして運命という言葉を思った。
それから一週間後、圭子の携帯が鳴った。圭子は思った。柴田だろう、柴田であって欲しい。電話は柴田だった。誘われるままに、何時ものホテルに出かけた。次の朝、何時ものホテルのベッドの中、柴田は圭子に結婚を申し込んだ。彼女に驚きはなかった。
彼女はそうなるような気がしていた、そうなる事を望んでいた、そうなるに違いないと思っていた、そして肯いた。全ての過ちの始まりだった。そして、それが嘘の始まりに過ぎないことを、二人とも気づいていなかった。
月曜日会社に出かけても特別なことはなかった。結婚したことを、課長に報告すると課長はあたりまえのように笑って、
「おめでとう」
といっただけだった。同僚たちからも、
「おめでとうございます」
そう言って、特別なことでもなさそうに祝福された。
直美はなにも言わなかった。
そして圭子は、柴田と、彼の部屋で結婚生活を開始した。彼は優しかった。
いい人だった。
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